いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

手仕事の日本人・・・手仕事への誇りを感じる!!

2011-01-27 07:06:41 | 日記

見事な工芸品。


これはすごい。

見事な美術品です。




最近まで見られた米俵です。

先日の旅行で
「安達ヶ原ふるさと村」に展示されていました、
藁で編まれたものです。
昔は生活必需品でしたでしょうが、
現在の私達から見ますと
芸術品です。

これら民衆の中に美を見出した人が
「手仕事の日本人」を書いた、民芸運動の創始者
柳 宗悦です。

手元の「手仕事の日本人」・・・・・岩波文庫
をみてみますと

P30は
「手仕事の方には悪い品を作っては恥だという気風がまだ衰えていません。
このことは日本にとって、
地方の存在がどんなに大切なものであるかを告げるでありましょう。
もし日本の凡てが新しい都風(みやこふう)なものに
靡いたとするなら、
日本はついに日本的な着実な品物を持たなくなるに至るでありましょう。」

と書いています。
心すべき言葉です。

「寛政十一年農家年中行事」より
わが長谷川安道さんは

九月三日に

闇の夜、雨の夜は、
縄もじり・俵編みの用意をして、
秋を待つべきだ。


生活のあり方を書いています。

今日は
これから学習会のはしごになります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

露天ふろでの「末廣」の升酒はおいしかった!!・・・岳温泉「櫟(くぬぎ)平ホテル」

2011-01-26 08:42:27 | 日記

明治時代の養蚕農家です。

生活ぶりがしのばれます。

囲炉裏のある風景。



養蚕農家の作業道具です。

このような道具の展示されていました。

茅葺で2階建ての豪農の家です。
珍しいです。


二本松藩の中流の武家屋敷です。

一昨日
前夜いわきでも雪が降りましたが、
岳温泉へ配偶者と1泊旅行。
途中
「安達ヶ原ふるさと村」・・・現在は一部を除いて無料です。
を見学しました。

この施設は
「鬼ばば伝説」地に
二本松の歴史がわかるように
武家屋敷・養蚕農家・茶室を移築や再現されていまして、
明治時代の生活、江戸時代の武士の生活ぶりがわかり、
当時の世界にタイムスリップさせられたひと時を過ごせました。

☆絹の家
  明治時代の養蚕農家の「兜づくり」の家の再現。
   生活道具や養蚕農家の作業行程を展示。

☆農村生活館
  明治初期の豪農の2階建て茅葺の家です。
 2階建ては珍しいですね。
 間口の12間(約22mあります。)
 写真には載せませんでしたが
 蓑などの生活品が展示されその見事さに驚きました。
 「 寛政十一年農家年中行事」に書かれています生活ぶりが・・・

☆武家屋敷
 十万石の二本松藩の中流武士の屋敷です。
  百石で現在の年収で250万くらいといわれます。

二本松はなんといっても「智恵子の里」です。
いろいろなところで「智恵子」にスポットが・・・・

ホテルは「櫟(くぬぎ)平ホテル」でした。
ホテルの地が「櫟(くぬぎ)の産地」から取られた名だそうです。

このホテルの露天風呂での升酒のサービス(時間限定)
には
粋な計らいで楽しめました。

ちらちら降る雪の中での
「末廣」の升酒
おいしかったです!!

夕食のお酒も
「末廣」。

お土産のお酒も
「末廣」でした・・・・

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二本松少年隊が眠る「大燐寺」・・・戊辰戦争で戦死

2011-01-25 15:57:23 | 日記

二本松の大燐寺に戊辰戦争受難者が眠っています。


最年少で13歳です。


戊辰戦争群霊塔です。


二本松少年隊隊長木村銃太郎、副隊長二階堂衛守と
十四名の少年隊戦死者の供養塔です。

昨日から岳温泉に配偶者と旅行。
今日は二本松の少年隊の戦死者があります
大燐寺さんに参詣してきました。
戊辰戦争から143年なのです。
冬の雪の残る静寂としたお寺に眠られています。

意外と知られていない歴史に
二本松藩の戊辰戦争における少年隊の存在がありました。
十二歳から十七歳までの少年62名の事です。

「二本松少年隊」をいう名が付けられたのは戦後50年を経てからでした。
戊辰戦没者五十回忌にあたり刊行された「二本松少年隊記」を基に命名されました。

正式に編成された会津藩の少年隊「白虎隊」とは違い
落城が迫ってから急に動員され、
各隊に配属されたため、名称は付けられなかった!!
また、
戊辰戦争後、「賊軍」と呼ばれた旧藩士や少年隊生き残りの人々が、
かたくなに沈黙を守ってきてことも背景にあったと言われています。

現在では
少年62名が明らかに分かり、
戦死者十四名・負傷者七名と
なったことが明らかになっています。

歴史の事実は
きちんと残したいですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いわきにまたまた雪が・・・・・

2011-01-24 07:38:34 | 日記

またまたいわきに雪が・・・
珍しいこんなに降るとは。


今朝の庭の風景。

そんなに寒くない昨夜でしたが。
ボランティアの為のパソコン練習の帰りにも
今朝の雪は計算外!!

雪国の方の苦労に比べれば
なんだその雪はと笑われますが・・・

雪国で生活していました子供にも笑われています。
ただ、
今年の雪情報はよく当たります。
朝一番で家の前の雪かきをしました。

いわきでも今年はこれからも降りそうですね。
今日の運転、坂道には注意。

いのしし君もこれから、
配偶者と寒い国へ1泊旅行に出かけます。
雪はすごいのでしょう。
楽しんできます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古代磐城郡の役所と寺院・・・夏井公民館講座

2011-01-23 09:49:37 | いわきの歴史


いわき市教育委員会でこのような立派なものを作られているのですが、
現在手に入らないようですので、
載せてみました。
全部でP8あります。
これが国史跡「根岸官衙遺跡群」全体図です。


「いわき」誕生の地の様子です。


「根岸官衙遺跡群」の重要なことがまとめられています。


「根岸官衙遺跡群」と律令政治の様子が。


郡庁跡が見つかりました。


正倉(米を納める倉庫)・豪族居宅跡も見つかりました。


夏井廃寺跡も見つかりました
瓦の生産地もわかりました。

猪狩先生の丁寧なレジメ3枚です





夏井公民館講座の
「歴史探訪 夏井再発見」を書いていましたが、
肝心の全体像を書けないでいました。

「奈良・平安時代の磐城郡」

講師は猪狩忠雄先生
(いわき生涯学習プラザ 副館長)が
講義されていましたので
上記のような資料を載せました。
猪狩先生はいわきの誕生と律令政治について
詳しく説明されました。

「根岸官衙遺跡群」のパンフレットは
いわきの誕生をコンパクトにまとめられたものです。
早く再発行していただいてしていただいて
市民の皆さんも手に取れるようにしてほしいです。

猪狩先生、
丁寧な資料ありがとうございました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする