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ブクログより
沢田教一、1965年から1970年にかけてベトナム、カンボジアにおいて戦場に身を置き取材をしてきた報道カメラマンである。
沢田教一といえば、ピュリツアー賞を受賞した、幼子を抱いて必死に川を泳いで逃げる母親の姿「安全への逃避」をまず思い浮かべるだろう。
そのほかにも「敵を連れて」や「泥まみれの死」などで数々の賞を手にしている。
戦闘の合間に撮影された、ベトナムの町中の一コマや、アオザイを来た少女など、何気ない写真を撮ることで沢田がひととき安らいでいたのではと想像することは、ページをめくる私たちもほっとすることである。
常に戦闘の最前線に身を置き、緊張を強いられる毎日の中で、つかの間の安らぎであったことだろう。
目を背けたくなりような写真の数々と、サイゴンの田園風景や、無邪気な子ども達の写真、どんな写真であれ、その根底にあるものは、沢田の被写体に対するやさしさが感じられる。
沢田は常々悩んでいたという、「戦場で死体の写真ばかり撮っていたら、それに慣れてしまいそうな自分が怖い」または「撮影とは人の不幸につけ込んで、被写体の心の中に土足で踏み込むようなものではないのか」などと。
どんなに賞を手にしても決して手放しで喜べなかったといわれる所以だろう。「安全への逃避」のモデルとなった母親を捜して賞金の一部を後に渡しに行った、というエピソードもある。
戦場カメラマン沢田教一の眼 青森・ベトナム・カンボジア 1955-1970
斉藤光政
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