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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

いろいろ言いたいことがあるのですが(6)

2011-08-14 10:57:38 | 受験・学校

今日は、昨日読んだ五島敦子・関口知子編著『未来をつくる教育ESD』(明石書店、2010年)第2章「教育改革の国際比較」の内容紹介です。

とはいえ、なぜこの内容を紹介するのかというと、今、大阪府内や大阪市内ですすめられている、あるいはこれからすすめられようとしている教育改革の中身を考えるうえで、とても重要だと考えるからです。特に、大阪維新の会が提案しようとしている「教育基本条例(案)」が本当に実施されてしまったら、いったい、どういうことが起きると予想されるか。そのことが下記の内容からもわかります。

まず、この本の第2章では、最近のアメリカの教育改革の動きが紹介されています。とりわけ、この章では、ブッシュ(子)大統領によって2002年に制定された連邦法「落ちこぼれをつくらないための初等中等教育法」(NCLB:No Children Left Behind ACT)について、次のように述べています。ちなみに、NCLB法は、経済的・社会的に不遇な条件下にある児童生徒の教育を保障するために州や地方を支援する連邦補助金について定めた「初等中等教育法(1965年)」を改正してつくられたのだそうです。少し長くなりますが、文字色を変えて、読んでほしい部分を引用・紹介しておきます。

本法は、州と地方の裁量権を増して選択の自由を拡大する一方で、学力テストの結果を公表し、すべての生徒が教育スタンダードに対して一定の習熟レベルに到達していることを求めました。公立学校は「年間向上目標(AYP:Academic Yearly Progress)を、数年間、連続して達成できないと「改善が必要な学校」に指定され、改善計画の作成と実行が求められます。それでも進歩がみられない場合、教職員の再編やチャータースクールへの転換という矯正的な措置がとられます。

歴史的に移民が多く、多様な人種や民族で構成されるアメリカの学校では、人種、所得、英語の習熟度などによる学力格差が課題とされてきました。NCLB法は、本来、こうした格差を是正し、「どの子も置き去りにしない」ことをねらいとした法律です。しかし、テストの成績次第で学校予算を変更するなど、説明責任を強調するあまり、学校現場に混乱がもたらされました。たとえば、AYPを達成するために、学力の低い生徒に州統一テストを受験させなかったり、虚偽の成績を報告したりした事例が明らかになっています。また、すべての子どもにひとつの基準をあてはめ同じテストを受けさせることは、文化的な多元性や障がいをもつ児童生徒への配慮に欠けるという批判もあります。そのため、NCLB法は、本当に支援が必要な子どもたちを排除し、「多くの子どもたちを置き去りにした」と指摘されています。

はたして、アメリカの子どもたちの学力は、こうしたテスト漬けの生活によって実際に向上したのでしょうか。マサチューセッツ州を例にとると、確かに州統一テストの結果では飛躍的な向上が認められるといいます。しかし、PISA2003とPISA2006の結果を比較すると、アメリカの順位が大きく上がっているとはいえません。また、州統一テストの成績が良い生徒が、必ずしも大学進学適性試験であるSATの成績が良いとは限りません。人種や民族による学力格差にも大きな変化は見られず、むしろ格差が固定する傾向にあるとする研究もあります。

(以上、「第2章 教育改革の国際比較」『未来をつくる教育ESD 持続可能な多文化社会をめざして』明石書店、2010年、p.39)

いかがですか? 先日、マスメディアを通じて伝えられた「教育基本条例(案)」の中身を思いだしながら、この文章を読んでみてください。

ちなみに、前に紹介した新聞記事から、「教育基本条例(案)」の要点をまとめると、こんな感じでしょうか・・・・。

大阪の府立高校の校長・副校長の任期制・公募制による採用と給与の年俸制導入、校長に教員採用権付与、生徒の定員割れが3年連続で続くときの学校統廃合。大阪府知事と教育委員会が協議しての府立高校の目標設定、その目標が達成できなかった場合の教育委員の解任、などなど・・・・。

また、すでに何年か前に、市町村別の全国学力テストの結果公開に大阪府ではふみきりましたよね。それ以来、「学力向上」が大阪府の教育改革で大きな課題になっていることかと。

このようなことをふまえて私の目から見ると、今、大阪府内ですすめられている教育改革の動きは、上記のアメリカの改革にどことなく、似てる面があるように思われます。

ですが、本家本元のアメリカにおいて、その改革の行きつく先がどうなっているか。必ずしもうまくいってるとは限らないし、むしろ、こんな改革を導入したら、今まで作り上げてきた各学校での反差別や多文化共生、インクルーシブといった教育実践はぐちゃぐちゃになるかもしれない。そう考えてしかるべきではないのか・・・・と思ってしまいました。

それにしても、地元・大阪で反差別や多文化共生の教育、インクルーシブ教育等々にこだわってきた人権教育系の研究者は、この「教育基本条例(案)」にどういう態度をとるんでしょうかね? 私などは明確に「これはやめたほうがいいだろう」と今、意見をここで述べているわけですが・・・・。


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