今日は「つづりかたきょうしつ」の話ではなくて、もう少しちがった視点からの話を。
このところあちこちから講演・研修の依頼や原稿の執筆依頼が続いていて、本業の大学教員としての授業や研究、学内業務との両立に追われる日々が続いています。花粉症なのか、このところ鼻の具合がおもわしくないなかで、また、これに家事や育児・介護もプラスしてあるなかで、時間のやりくりに苦労しながらも、できるだけ依頼は引き受ける方向で考えています。
その依頼の多くは、たとえば大阪府内の各自治体で「これからの青少年会館、青少年教育施設をどうするか?」というテーマであったり、あるいは、何らかの形で学校内外における子どもの人権の保障、子どもの権利条約に関するテーマであったりします。そして時折、子どもの人権というテーマにひっかけて、子どもの虐待防止や社会的養護に関するテーマでの依頼が舞い込んでくることもあります。
そこで、研修や講演の場合、そういう依頼が来るたびに当然、これらが開催される「現場」に私は出向きます。そこは青少年会館だったり、市民交流センターや人権文化センターであったり、生涯学習センターであったりするわけですが。どちらかというと、まぁ、学校よりは生涯学習・社会教育施設が多いのが現状ですね。
そして、その「現場」に出入りして、子どもの権利条約の話や子どもの人権に関する話を私がすれば、当然、国際人権条約や日本の国内法の趣旨・理念や、子どもの人権論の領域での研究成果からすれば、「当然、あるべき姿はこうなるでしょ?」ということが、どうしても中心になってきます。
それがたとえば、子どもの権利条約31条の趣旨からすると、「文化的芸術的生活の権利」の保障という観点からすれば、今こそ青少年教育施設における体験活動の意義を位置付けないとダメだろうとか。あるいは、国連子どもの権利委員会の総括所見の趣旨からすれば、学校の教職員、保育士、児童福祉施設職員、教育行政や児童福祉行政の職員は当然のこと、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーにだって、子どもの人権に関する学習・研修の機会が必要だろう、とか。まぁ、こんな話になっていくわけですよね。
しかしながら、「現場」は「現場」で、たとえば自治体議会での来年度予算の編成に関する議事進行にあわせて、指定管理者制度をこの青少年会館に適用するのではないか、適用されたらこの施設、今までのとおり活動できるのだろうか・・・・とか。あるいは、「子どもの人権に関する学習・研修の充実」というけど、具体的にどんな講座や学習会を開いて、どんな層の市民に呼び掛けたらいいのか・・・・とか。そういう面で切実な思いを抱えていたりします。
そして、「理念とかあるべき姿はわかるのだけど、なかなか本庁(役所)はうんと言ってくれない」とか、「そういう方向性で動けたらいいのだけど、実際は、なかなか難しい・・・・」とか、そういう声が「現場」から私のところに伝わってきます。
でも、私はそこで逆に考えてほしいとも思うわけです。「実際はなかなか難しい・・・・。だけど、そういう方向性に向かっていくには、どうしたらいいのか?」とか。「なかなか本庁(役所)はうんと言ってくれない。だけど、理念やあるべき姿はこの方向だ。だとしたら、ここで何をすればいいのか・・・・」とか。
つまり、理念やあるべき姿と現状を比べてみる作業は大事なのですが、そのときに現状を基準にして理念やあるべき姿を引き下げるような観点に立ってしまえば、「そんなの、何もかわらないでしょう」と思うわけです。
このような次第で、私は理念やあるべき姿に関する議論は、現状を変えていく方向性を照らし出すためのものだと思います。また、「現状はなかなか厳しい・・・・」という話に対しては、「だから、どうしたいの? この方向性でものを考えることはいらないの?」と、私なんかは突っ込んで聴いてみたくなることもしばしばありますね。そして、「この方向性はいらない」とか「この方向性ではない」とホンネのレベルで思うなら、「では、どんな方向性がいいの?」と聴いてみたい。また、「この方向性を目指したいけど、ここで行き詰りそうだ」と思うのなら、その行き詰まりを打開する方策をいっしょに考えたい。そんな風にも思いますね。
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