横浜焼売(シウマイ)物語2024

2年ぶり再開。ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛。落語らぶ。晴れ時々ランニング、更新随時

11月24日と25日に、帆船日本丸の見学はできません。

2012-11-24 | 横浜ラブ
ちょっと、珍しい写真です。



中途半端に帆が張られているようにみえますが、アベンディングセイル作業中の日本丸です。
アベンディングセイルとは、帆を取り外すこと。すべての帆を取り外し、そのあと、本格的な船体整備点検が行われるのです。
そのため、11月24、25日の2日間。この間日本丸の見学はできません。
メモリアルパークと博物館は入場できます。


帆船日本丸は、昭和5(1930)年に生まれた練習帆船です。
太平洋戦争を無事に乗り越え、昭和59(1984)年に新・日本丸に席を譲り、現役を引退しました。
人気のある船で、引退後もその誘致には横浜だけでなく小樽、新湊、神戸など十都市が名乗りを上げました。特に神戸とは最後まで競り合ったのです。
そこで横浜市は、全市をあげて市民の署名活動をはじめ、誘致後の展示には特殊な係留方式を提案しました。その結果、日本丸の引退後の余生が横浜市に委託されることになったのです。
安心して余生を送ってもらうためにも、この時期の点検は欠かせないのです。

*帆船日本丸保存活用基本計画
帆船日本丸を旧三菱造船所内の明治32年(1899)建造の船渠内に係留し、周辺をドックパークとして整備し、湿ドッグ方式で生きた船として原型保存する。
そして青少年を船内に宿泊させて海洋教室を実施し、登檣、操帆、海技の習得体験を計画、併せて海事思想の普及を図る。
また、航海訓練所の協力のもと、訓練を受けた市民による総帆展帆および船内の一般公開を実施する。
“帆船日本丸”の運営には、県・市を始め企業および市民による20億円の基金を募集して財源とする。


通常の展示風景。


年に数回、ボランティアの手によって行われる総帆展帆(そうはんてんぱん)


余談ですが、日本丸にはふたごの兄弟(船だから姉妹)帆船初代・海王丸がいます。
こちらは平成元(1989)年に現役を引退、2代目海王丸に席を譲りました。
現在は、富山県射水市で余生を送っています。