冷静に考えてみても、2009年の横浜開港150周年記念の開港博覧会(Y150)は後味の悪い地方博だったと思います。
確かに時期も悪かった。
バブルは崩壊し、企業にも人にもゆとりがなくなりました。
「横浜」というブランドに色んな思惑の(善意ではない)人たちが群がったのはいたしかたないかもしれません。
そのあと味の悪さは、本来主役であるべき横浜市民と地元の商工会はこれほど関わりの薄いイベントだった、ということに尽きるのです。
大人の事情があれこれ渦巻く中、Y150のメインキャラクターとして誕生した『たねまる』もある意味不幸でした。
未来に向かうどころか、大人の事情に翻弄され、出航すらできなかったようなものです。
このままお蔵入りになり、やがて忘れられる運命になる、と思われました。
が、そのたねまるが、ここにいましたよ。
都市計画の中で整備された、横浜港をのぞむ「象の鼻パーク」の一角です。

見つめるのは「象の鼻」と呼ばれた開港当時の横浜港の石積み桟橋(復元)。足元には、Y200年に開封する予定のタイムカプセル。

後ろに控えるのはみなと横浜のシンボル、ランドマーク。

開港博はY150以降、地元に戻りました。規模は小さいけれど横浜らしいイベントとして毎年開催されています。
Y150の後味の悪さは、反面港周辺の地元の人たちの反省と自尊心を呼び起こしました。
関わりを続ける事の積み重ねがなけらば、将来に繋がらない。Y200の時には人任せにならないように、毎年工夫を続けています。
たねまるが本来の意味のとおりに、未来の横浜に向かってのびのびと出航できるといいな。
(その時は私は生きて……ない、とは思うけれど。)
確かに時期も悪かった。
バブルは崩壊し、企業にも人にもゆとりがなくなりました。
「横浜」というブランドに色んな思惑の(善意ではない)人たちが群がったのはいたしかたないかもしれません。
そのあと味の悪さは、本来主役であるべき横浜市民と地元の商工会はこれほど関わりの薄いイベントだった、ということに尽きるのです。
大人の事情があれこれ渦巻く中、Y150のメインキャラクターとして誕生した『たねまる』もある意味不幸でした。
未来に向かうどころか、大人の事情に翻弄され、出航すらできなかったようなものです。
このままお蔵入りになり、やがて忘れられる運命になる、と思われました。
が、そのたねまるが、ここにいましたよ。
都市計画の中で整備された、横浜港をのぞむ「象の鼻パーク」の一角です。

見つめるのは「象の鼻」と呼ばれた開港当時の横浜港の石積み桟橋(復元)。足元には、Y200年に開封する予定のタイムカプセル。

後ろに控えるのはみなと横浜のシンボル、ランドマーク。

開港博はY150以降、地元に戻りました。規模は小さいけれど横浜らしいイベントとして毎年開催されています。
Y150の後味の悪さは、反面港周辺の地元の人たちの反省と自尊心を呼び起こしました。
関わりを続ける事の積み重ねがなけらば、将来に繋がらない。Y200の時には人任せにならないように、毎年工夫を続けています。
たねまるが本来の意味のとおりに、未来の横浜に向かってのびのびと出航できるといいな。
(その時は私は生きて……ない、とは思うけれど。)