横浜焼売(シウマイ)物語2025

ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛落語らぶ晴れ時々ランニング、更新随時

遅夏休みin長野・後

2016-11-07 | 旅行、おでかけ
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夢のような一夜が明けました。

朝からあいにくの空模様だったので、初め美術館へ行こうかとどうしようか…
迷いながら朝ごはんを食べていると、そこへ突然何かが降ってきました。

そうだ!真田丸に行こう!!!…いや、松代に行こう!!!


松代は長野駅からバスで約30分。
今をときめく真田一族の里、お兄ちゃんの信之さんが治めた城下町です。

バスから見ると、山の雲がどんどん晴れていきました。


目的地の松代は旧松代駅舎の前。
松代には長野電鉄松代線が走っていましたが、2012(平成24)年に廃線。
駅舎だけ当時のまま保存されて、観光案内所になっています。



この駅の背後に松代城(跡),

つまり町は城を要に放射状に広がる形態をとっています。

今、町をあげて、大河ドラマの公開に合わせ真田大博覧会を開催中。こんなところににも真田六文銭が!

まずは、真田宝物館へ。

実は同じく長野県上田市にも真田家のお宝が公開展示されていますが、それはこの松代城に残されたもののレプリカだそうです。
松代には真田幸村(信繁)が大坂夏の陣の最中、ふたりと仲の良かった姉、村松殿に残した書簡も多数残っていて当時の様子を垣間見ることができます。
図らずも敵味方に分かれた信之は、実際には一度も弟と刃を交えることなく、体調不良を理由に不参戦。
(晩年は病気がちだったと伝わっていますが、本音を言えば、心底戦うのが嫌だった!と推察します。)
徳川の命で(しぶしぶ)代理に出陣させた息子も叔父である幸村の軍と相対することなく無事帰還。
信之は息子に随行した古参の武将たち一人一人に労いの手紙を送っています。
その後信之はよく領地を治め、家督を息子に譲り一時引退。
ところがその息子が数年で病死して再び政治の舞台に呼び戻されます。
2歳の孫を真田の次代当主と認めてもらうために奔走し(幕府の許可が必要)、
孫の当主襲名許可を見届けて93歳の長寿を全うしました。
この人は12代当主の幸治さん。

宝物館開設の立役者。真田家所蔵の大名道具を松代町に寄贈しました。

真田家は現在も家系が途絶えることなく続いていて、16代当主はなんと横浜で大学の先生をしています。

小さな地方の豪族だった真田家が激動の乱世を生き残り、江戸、明治大正昭和平成と続くとは当時誰も考えもしなかったでしょう。
一族が内輪で揉めたり身内同士で裏切ったりと、殺伐としていたと考えられる戦国時代にあってなおこの結束力は秀逸。

実は本当に仲が良かったからこそ、兄弟が西と東に別れることができた、のかもしれません。

次回は最終回「遅夏休みin長野・了」
横浜に縁がある場所にも行きました。

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