坂本龍馬の奥さんがおりょうさんだというのは有名な話。
京都の町医者の長女で日本で最初に新婚旅行をした女性。
自分の意思がはっきりしていて
当時の女性としては100年先をいっていた、らしい。
龍馬が京都で暗殺された後
一時は高知の龍馬の姉夫婦の元に身を寄せたものの
家風が合わずにここを飛び出します。
京から江戸へ流れ
勝海舟の口利きで勤めることになったのが
横浜の料亭「さくらや」(のちの田中屋)だそうです。
さてそれから一世紀半。
横浜駅西口から鶴屋町方面へ。国道を渡るとその先は切り立った崖。そこにびっしりと立ち並ぶマンション群がある一角が台町(だいまち)です。
急な階段を登り切った右側、小さな看板の出ているベージュの壁の日本家屋
これが現在の「さくらや」。名称は「田中屋」に変わりました。
当時のさくらや(田中屋)は旅館も兼ねていて、その足元までお客を乗せた舟が乗り付けていました。
今はすっかり埋め立てられて道路になっていますが
この辺りは海へ出るための川が複雑に入り込んでいたところ
以前読んだ資料には
当時のさくらや(田中屋)の従業員たちが勢揃いして記念撮影をした古い白黒写真が載っていました。
その中に片目の周りにあざのある女性が写っていて
これがおりょうさん。
頭の回転が速く、月琴が得意。英語も話せたそうです。反面、
先輩だろうがお客だろうが自分の意見をはっきりいう勝ち気な性格から
実は喧嘩が絶えなかった、とか。
江戸より最先端だった京育ち、美人でセンスも良く、インスタがあったらフォロワー十万人など軽くいったであろう人気者?
実際に贔屓にするお客も多かったと言います。
その後再婚し、横須賀へ。
明治39年に亡くなっています。
100年早く生まれたおりょうさんにとって
明治がどういう時代だったか、
龍馬亡き後彼女は幸せだったのか、諦めていたのか
今となっては何もわかりません。
そしてさくらやは紆余曲折を経て
田中屋となった今も変わらず営業中です。
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