横浜焼売(シウマイ)物語2024

2年ぶり再開。ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛。落語らぶ。晴れ時々ランニング、更新随時

遅夏休みin長野・了(文武学校と象山神社編)

2016-11-14 | 旅行、おでかけ
前回の、遅夏休みin長野・了(真田邸編)はこちら


文武学校は松代8代藩主の計画をベースに
9代藩主が開校した藩の学校です。
時代は幕末、藩士の子弟を対象にしていました。
が、この学校の優れたところは、早々に西洋の軍事や兵法、医学などを早々に講義科目に取り入れたことです。

建物は当時のまま残っている貴重な遺構です。
またこのころは儒教の教えが教育方針で、校舎には必ず儒教の祖孔子を祀る廟を設えるのが慣例です。
しかし、この校舎には初めからそれがありません。
それはこの学問所が純粋に新しい学問を学ぶための場所であることをしめしていると言えます。
近代の学校の先駆け的な意味合いも持つこの校舎は、
廃藩以降は小学校として昭和40年代まで使用されていました。
こういう校舎が真ん中の庭を囲むように西南北に一棟づつ建っています。

現在も道場では競技会なども開催されています。
この日は、居合道の同好会の方々が鍛錬中。




この学校で教鞭をとっていたひとりが、佐久間象山。
西洋兵学、特に大砲学に通じていたと言われていますが、今でいうマルチ実学クリエイター
日本で初めて電信電話の実験をし、気象学も自分の範疇に収めています。
最先端の価値観に敏感で好奇心旺盛。記事によれば、結構な自信家であった模様です。
この人のすごいところは、情報の共有と公開を徹底していたこと。
自分が学んだ知識は率先して教え、伝えています。
自分の弟子が免許皆伝を求めたところ、「その必要なし」、と断ったそうです。
実践し伝え教えていくことこそが学問であるのに、
なぜ特権のように免許を掲げなくてはならないのか?といったところだったでしょう。
今でこそわかりますが、江戸時代の価値観とは相入れにくかったのではないかなあ。
ツールやスキルは違いますが、この象山さんは
ホリエモンみたいな個性的でちょっとキザで独特の価値観を持つエネルギッシュなタレントだったのではないかと
個人的に勝手にキャスティングしています。
(興味もあるし共感できる部分もあるけど、ちょっと友達にはならないかも…。)

この象山さん、実は横浜にも縁が深く、
ペリー来航の折には横浜で軍議指南役として赴任。その後、開港を主張しました。
実はご近所の野毛山公園には、この象山先生の碑がひっそりと建っています。
そんなわけで、大急ぎで立ち寄ったのが
象山神社。



裏手の公園に可愛い狛犬が。ここも神社の敷地内なんですね。


ところで、佐久間象山てなんと読みますか?
さくましょうざん……ブブーーッ!!!!
さくま ぞうざんが正しいんですよ。

前回の、遅夏休みin長野・了(真田邸編)はこちら
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年賀状にも使えます。





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