私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

過去の将来の夢

2011年11月13日 15時24分20秒 | 過食症
もし私が過食症になっていなかったら私の人生はどんなんだったろう。

今頃何をしているんだろう。

私は子供の頃、ミュージシャンになりたかった。

でも、「大人になったら何になりたい?」って訊かれて、堂々と「ミュージシャン!」と答えることができなかった。

子供のころ、新聞の広告欄にとある芸能プロダクションのタレント募集の広告が載っていました。

歌手部門があったので、そこに応募したくて母親に言いました。

そしたら「何バカなこと言ってるの」って怒られました。

それ以来、誰にも自分の夢を語ることができなくなりました。

小学生5年生か6年生のころ、「自分の将来の夢」と題した文章を書くって授業がありました。

そこで私は普通のサラリーマンになりたいと書きました。

他の子たちは総理大臣だとか、宇宙飛行士だとか、そんなことを書いてる中で私は普通のサラリーマンと書きました。

そしたら先生がそのことを心配して親に伝えました。

そんなことがありました。

いつ頃まで本気でミュージシャンになろうと考えていただろうか。

高校を卒業したら、音楽の専門学校に行こうと考えました。

そのことを親に言うのはたいへんでした。

勇気が要りました。

いざ伝えてみたら、お門違いじゃないかと言われました。

うちの家系から音楽の仕事に就いた人なんていない、みたいなことを言われたのも覚えています。

ものの見事に、私の夢を応援してくれる人が私の周りにいなかった。

本当は自分で曲を作り自分で歌うミュージシャンになりたかったのですが、それも堂々とは言えず、とにかく音楽に携わる仕事がしたいと伝えて、一度専門学校の体験入学に行ったことがあります。

でも結局入学はできませんでした。

音楽の専門学校って、学費がすごく高いんですよね。

それに、私の描くミュージシャンが必ずしも音楽の専門学校に行かなければなれないわけでもないことを、私自身も知っていたので強く押しきることもできませんでした。

その後、ネットで知り合った人たちとバンドを組んだりしましたが、実力が伴わないためか、いつしか呼ばれなくなりました。

過食症になるまで3年以上働いていたアルバイトで、勤務歴が長いからか新人を教える立場にならないかと上司から持ちかけられたことがありました。

この職場で腰を落ちつかせて働かないか、という話でした。

私はそれを断りました。

それは私があの頃まだミュージシャンになる夢を諦めていなかった証だと思います。

その後まもなくして過食症が発症しました。

いったい私はいつごろまでミュージシャンになろうとしてたんだろう。

いったいいつその夢を放棄したんだろう。

心の炎はいつ消えたんだろう。