私はなんでブログをやっているのだろう。
日記を書きたければ個人的な日記帳に書けばいい。
それなのにこうやってブログを用いるのは、やっぱり誰かに見てもらいたいから。
ときどき意識します。
このブログをひょっとしたら家族が見てないだろうか、なんて。
このブログを隅々まで読んでいる人は、家族なんかよりよっぽど私のことを知っている。
誰か私の本音に耳を傾けて。
そんな願望が知らず知らずのうちに実ってるのかもしれません。
昔から引っ込み思案で臆病だった私は、自分ではそれなりに生きているつもりです。
でもいつか死にます。
どんな死に方かしりませんが、孤独死の可能性高し。
それでも数少ない遠い親戚、もしくは近所に住む人、もしくは役所の人、誰でもいい、誰かが遺品整理をしているときに、ひょっとしたらひょっとして、パソコンの履歴からこのブログの存在に気付くかもしれない。
そのときでもいい。
死んでからでもいいから私の心を聴いてほしい。
最近はそんなことも考えます。
ブログのタイトルを変えます。
ブログを始めてからずっと「落書き帳」という、いかにも面倒くさいからつけたの丸出しのタイトルでした。
今日からは、「私が死んだあとであなたが読む物語」。
日記を書きたければ個人的な日記帳に書けばいい。
それなのにこうやってブログを用いるのは、やっぱり誰かに見てもらいたいから。
ときどき意識します。
このブログをひょっとしたら家族が見てないだろうか、なんて。
このブログを隅々まで読んでいる人は、家族なんかよりよっぽど私のことを知っている。
誰か私の本音に耳を傾けて。
そんな願望が知らず知らずのうちに実ってるのかもしれません。
昔から引っ込み思案で臆病だった私は、自分ではそれなりに生きているつもりです。
でもいつか死にます。
どんな死に方かしりませんが、孤独死の可能性高し。
それでも数少ない遠い親戚、もしくは近所に住む人、もしくは役所の人、誰でもいい、誰かが遺品整理をしているときに、ひょっとしたらひょっとして、パソコンの履歴からこのブログの存在に気付くかもしれない。
そのときでもいい。
死んでからでもいいから私の心を聴いてほしい。
最近はそんなことも考えます。
ブログのタイトルを変えます。
ブログを始めてからずっと「落書き帳」という、いかにも面倒くさいからつけたの丸出しのタイトルでした。
今日からは、「私が死んだあとであなたが読む物語」。