2週間ぶりの釣りは、ふる里の溪に決めていた。
道志川中流域のここは実家から徒歩10分、子供の頃から親しんだ愛着の溪である。
あの橋のたもとから急坂の入溪路を降りる。さあ、ここから今日の旅が始まる。4キロ上にあるダムの下流域は漁協が関わっていないフリ-エリアで、いつでも釣りが楽しめる。すぐ下流に1箇所、上流に2箇所の管釣りがあって絶えずレインボ-が供給されている。久しぶりに8フィ-ト4インチのロッドを思いっきり振れる、大きな溪流である。

先ずは穏やかな流れのプ-ル。左岸から合流する沢がつくるフィ-ディングレ-ンでライズ発見。飛んでいるのはミッジか?20番のCDCダンを流す。一発で出た。

まだ婚姻色が出ていない美しいヤマメだった。昔、この川にはヤマメと鮎とカジカ、ウナギやもずくガニがたくさん生息していた。下流にダムが出来て鮎とウナギが川から消えた。上流にもダムができて水質が悪化し、ヤマメやカジカは沢や湧き水の流れ込みにしか住まなくなり、今ではレインボ-の川になり果ててしまった。寂しい限りだ。

この川は、荒瀬と穏やかなプ-ルが交互に繰り返す変化に富んだ水量豊かな溪である。どのプ-ルにも昔から『○○淵』と名前が付けられていて、泳いだり、素潜りで魚を捕ったりしたものだ。

ここも子供の頃から変わらぬ穏やかな流れである。奥の大きな二つの岩は『じじいばばあ』と言う名が付けられて親しまれていた。いったい何百年、あの場所で二人してこの流れを見つめてきたのだろうか?

懐かしくて、何度となく河原に腰をおろし、コ-ヒ-を沸かし、タバコの煙をくゆらせながら、子供の頃の想い出と話をした。年に一度しか来ないが、この川はいつまでもいつまでも想い出の川であり続けるだろう。
大好きな沢に入って川飯の準備をしよう。
今日はキムチ味のもつ鍋を作る。食材と調味料を並べる。また今日も忘れ物をしてしまった。ぬたを作ろうと思ったが、その調味料がまるで抜け落ちている。まあいっか。

先ずはワケギのおひたし。ぬたを作りたかったが酢みその材料を忘れた。やむなくキムチ鍋の素をまぶした。これは中々いけまっせ!是非お試しあれ。
酒肴は、メインディッシュの食材を少しずつ拝借して作る、これが私の流儀。
こうすると食材の種類を増やさなくて済むんですよね。

二品目は大好きなセリのおひたし。これは醤油で。香りの強い野菜は旨いんですよ。これでやっとビ-ルが飲めますです。

次はギンナンを焼きながら大根でカクテキ。薄く切った大根を塩もみして10分ほどおいて、水分を切ってからキムチの素をまぶして出来上がり。浅漬けも結構いけちゃいました。

そうこうしているうちにギンナンが焼けました。皮をむいて塩をまぶして。うみゃぁぁっ、もっと持ってくれば良かった。ギンナンは実が白色から緑色に変わったら焼けた証拠。それと焼く前に、必ず皮にちょつとだけ割れ目を入れて下さいね。これカミサンから伝授されました。

さぁてと、ここらでそろそろ焼酎の出番となりましたねぇ。今日も芋の『黒霧島』をハ-フロックで頂いちゃいました。これ、安いけど旨いんですもんねぇ。
今日もこの川には誰ひとり姿がありません。独り占めしている私はなんて幸せ者なのでしょうか!

よしっ、最後はもつ鍋か!
根菜とモツを煮込んで、柔らかくなったらキムチ鍋の素をドボドボッと入れて、少量の味噌、塩、醤油で味を調えてから臭いの強い野菜と油揚げをぶち込む。入れすぎじゃない?と思うくらいがちょうどいいんですよコレが。

エノキが余っちゃった。どうしようか?エェ-イ、茹でちゃえ。もう酔っぱらってるから何でもありってことで。茹でてポン酢ともみじおろしで。いけるじゃん!

ハイッ、モツ鍋の出来上がり!
あんなに沢山あった野菜もこのとおり。『なんだキムチ鍋じゃん』ってか?。違いますっ、絶対にキムチ鍋ではありません!もつ鍋のキムチ味なんですってホントに。
締めくくりは、残ったス-プでインスタントラ-メンを煮込んで辛ラ-メンでございました。ところで、この鉄鍋良くなくない?ひとりぼっち鍋をとっても楽しくさせてくれるスグレモノなんです。最近のアウトドアグッズ、中々よかですたい。

辺りは薄暗くなり始めています。もう完全に黒霧島がまわっちゃってます。頭上の色づいた葉がきれいなピンクに見えてしまってます。でも帰って写真を見てみると確かにきれいなピンクなのでした。もしかして酔ぱらっていなかったのかも?

今日は覚悟の上の溪泊。
人間、覚悟しちゃうと暗闇も怖くなくなるものなんですねぇ。真っ暗闇の中で、ユラユラ揺れる焚き火を眺めながら瞑想にふけります。いや迷想か?妄想?
もう思考力もなくなって何も考えられない状態なんだから、やっぱり瞑想の世界に入っているのでした。焚き火の炎で瞑想、これネイティブアメリカン(インディアン)の人たちがやっていたようですね。

今年最後の溪泊が、まったりとした時間の中で終わろうとしています。
大自然の、変わらぬ優しさと浄化作用によって救われて来たように思います。
だからずっとこれからも、山と溪の旅人であり続けたいと思っています。
山よ、溪よ、ありがとう!
道志川中流域のここは実家から徒歩10分、子供の頃から親しんだ愛着の溪である。
あの橋のたもとから急坂の入溪路を降りる。さあ、ここから今日の旅が始まる。4キロ上にあるダムの下流域は漁協が関わっていないフリ-エリアで、いつでも釣りが楽しめる。すぐ下流に1箇所、上流に2箇所の管釣りがあって絶えずレインボ-が供給されている。久しぶりに8フィ-ト4インチのロッドを思いっきり振れる、大きな溪流である。

先ずは穏やかな流れのプ-ル。左岸から合流する沢がつくるフィ-ディングレ-ンでライズ発見。飛んでいるのはミッジか?20番のCDCダンを流す。一発で出た。

まだ婚姻色が出ていない美しいヤマメだった。昔、この川にはヤマメと鮎とカジカ、ウナギやもずくガニがたくさん生息していた。下流にダムが出来て鮎とウナギが川から消えた。上流にもダムができて水質が悪化し、ヤマメやカジカは沢や湧き水の流れ込みにしか住まなくなり、今ではレインボ-の川になり果ててしまった。寂しい限りだ。

この川は、荒瀬と穏やかなプ-ルが交互に繰り返す変化に富んだ水量豊かな溪である。どのプ-ルにも昔から『○○淵』と名前が付けられていて、泳いだり、素潜りで魚を捕ったりしたものだ。

ここも子供の頃から変わらぬ穏やかな流れである。奥の大きな二つの岩は『じじいばばあ』と言う名が付けられて親しまれていた。いったい何百年、あの場所で二人してこの流れを見つめてきたのだろうか?

懐かしくて、何度となく河原に腰をおろし、コ-ヒ-を沸かし、タバコの煙をくゆらせながら、子供の頃の想い出と話をした。年に一度しか来ないが、この川はいつまでもいつまでも想い出の川であり続けるだろう。
大好きな沢に入って川飯の準備をしよう。
今日はキムチ味のもつ鍋を作る。食材と調味料を並べる。また今日も忘れ物をしてしまった。ぬたを作ろうと思ったが、その調味料がまるで抜け落ちている。まあいっか。

先ずはワケギのおひたし。ぬたを作りたかったが酢みその材料を忘れた。やむなくキムチ鍋の素をまぶした。これは中々いけまっせ!是非お試しあれ。
酒肴は、メインディッシュの食材を少しずつ拝借して作る、これが私の流儀。
こうすると食材の種類を増やさなくて済むんですよね。

二品目は大好きなセリのおひたし。これは醤油で。香りの強い野菜は旨いんですよ。これでやっとビ-ルが飲めますです。

次はギンナンを焼きながら大根でカクテキ。薄く切った大根を塩もみして10分ほどおいて、水分を切ってからキムチの素をまぶして出来上がり。浅漬けも結構いけちゃいました。

そうこうしているうちにギンナンが焼けました。皮をむいて塩をまぶして。うみゃぁぁっ、もっと持ってくれば良かった。ギンナンは実が白色から緑色に変わったら焼けた証拠。それと焼く前に、必ず皮にちょつとだけ割れ目を入れて下さいね。これカミサンから伝授されました。

さぁてと、ここらでそろそろ焼酎の出番となりましたねぇ。今日も芋の『黒霧島』をハ-フロックで頂いちゃいました。これ、安いけど旨いんですもんねぇ。
今日もこの川には誰ひとり姿がありません。独り占めしている私はなんて幸せ者なのでしょうか!

よしっ、最後はもつ鍋か!
根菜とモツを煮込んで、柔らかくなったらキムチ鍋の素をドボドボッと入れて、少量の味噌、塩、醤油で味を調えてから臭いの強い野菜と油揚げをぶち込む。入れすぎじゃない?と思うくらいがちょうどいいんですよコレが。

エノキが余っちゃった。どうしようか?エェ-イ、茹でちゃえ。もう酔っぱらってるから何でもありってことで。茹でてポン酢ともみじおろしで。いけるじゃん!

ハイッ、モツ鍋の出来上がり!
あんなに沢山あった野菜もこのとおり。『なんだキムチ鍋じゃん』ってか?。違いますっ、絶対にキムチ鍋ではありません!もつ鍋のキムチ味なんですってホントに。
締めくくりは、残ったス-プでインスタントラ-メンを煮込んで辛ラ-メンでございました。ところで、この鉄鍋良くなくない?ひとりぼっち鍋をとっても楽しくさせてくれるスグレモノなんです。最近のアウトドアグッズ、中々よかですたい。

辺りは薄暗くなり始めています。もう完全に黒霧島がまわっちゃってます。頭上の色づいた葉がきれいなピンクに見えてしまってます。でも帰って写真を見てみると確かにきれいなピンクなのでした。もしかして酔ぱらっていなかったのかも?

今日は覚悟の上の溪泊。
人間、覚悟しちゃうと暗闇も怖くなくなるものなんですねぇ。真っ暗闇の中で、ユラユラ揺れる焚き火を眺めながら瞑想にふけります。いや迷想か?妄想?
もう思考力もなくなって何も考えられない状態なんだから、やっぱり瞑想の世界に入っているのでした。焚き火の炎で瞑想、これネイティブアメリカン(インディアン)の人たちがやっていたようですね。

今年最後の溪泊が、まったりとした時間の中で終わろうとしています。
大自然の、変わらぬ優しさと浄化作用によって救われて来たように思います。
だからずっとこれからも、山と溪の旅人であり続けたいと思っています。
山よ、溪よ、ありがとう!