四柱推命≪詩子の推命日記≫

四柱推命に関する日々の命理的考察およびフリートーク

命理への姿勢!

2015年07月04日 20時46分25秒 | 命理

今年は早くも月下美人が咲きました。昨夜は2輪。今夜は4輪ですが、今夜はまだ開ききってません。もう少し時間がかかりそう・・・今年は花芽が9個です。嬉しくて・・・・

☆命理
今月は午月でしたね。もう終わりますが・・・・午というのは綺麗な肢体をしておりますね。草原で草を食む姿などゆったりとして何事にも動じない生き物に感じます。これに対してネズミは生ごみを食い散らしたり、ドブネズミというのもいますから綺麗とは思えない生き物です。でも砂ネズミなどは可愛らしいと思えますが・・・・ゆったりとした馬とチョロチョロとしたネズミとを即物的にみてその性情を当てはめることも悪くはないとは思いますが、そういう即物的な観点というのは極表面的な一面かと思います。どんな性情も長所としてみれば、表現も綺麗ですが、短所としてみれば印象が悪いものになります。

 「素直、従順」と言えば、とても良い性情のように聞こえます。でも反対に「意志薄弱、流されやすい」と言えば、マイナス面のように聞こえます。性情の良し悪しは表裏一体でプラスと解釈してもらえるか、マイナスだと判断されるか、そこのところはその干支の喜忌によるものだと命理では看ると思っています。そこで読めるのは八字が持つ性情の「気質」のようなものですから、そこから先の性情は命理だけでは読めるものではないでしょう。同じ八字でも大運が次々に巡るにつれて、環境や職業など人はそういった要因でも作られていきますから、自己責任だと思っています。

 こういう命理以外の条件を精密に検証して分類化し、性情を読む手段として理論的に体系付けることができれば、それはそれに越したことがないでしょう。そういったことをおっしゃる講座生も数名いらっしゃいます。もしできれば大変結構なことだと言えるでしょう。

 でもここにも落とし穴というか、わかっていないといけない部分がありますね。性情の良し悪しを判断するにしても看る側の視点がとても主観的であるとうことです。どんな細かな分類による視点を設けても看る側によるズレ、つまり誤差は絶対に生じるということです。アスリートたちの得点が出て、上位を競い合いますが、技術点はそこそこに数値的なものでしょう。ですが、芸術点は技術点のような判断とは少し違いますね。その違いと似たようなものでしょう。先日、この技術点、芸術点という例えを耳にしたときに、性情判断も同じような一面があるなと直感的に感じました。

 また、話は少し変わりますが、命理を学ぶものは命理に対して真摯であってほしいと思います。武田先生、陽先生はじめ、多くの命理の大家たちが口をそろえておっしゃること、「卑しきものは学ぶべからず・・・」です。私はこれを最初に聞いたのは陽先生のメール文でした。意味がわからなかったのですが、その意味が少しづつわかり始めたような気がしています。多くの命理の大家が多くの時間と費用をかけて得た知識を今の私たちは礎として短時間にして得てしまうものです。そういった礎に対して尊敬と感謝なしに学ぶことは恥ずかしいと思うようになりました。

また命理は「占い」とは違います。当たるも八卦、当たらぬも・・・の世界ではありませんね。命理は「当てる」ためにあるものではありませんし、まず命理を学んで自分の人生の反省にすることができたら、人は成長する第一歩を手に入れるとも思っています。もちろん鑑定をして人様のために・・・というのもあるでしょうが、そこには責任もありますから慎重でなくてはなりませんね。私が本日言いたいのは命理に対するこういった姿勢こそが大事であり、「卑しきもの・・・」云々の一面をご紹介したいと思いました



WAKA用にもう一枚の甚平。ピンクのニット生地です。