四柱推命≪詩子の推命日記≫

四柱推命に関する日々の命理的考察およびフリートーク

丁火寅月

2011年05月30日 21時51分40秒 | インポート
 もう一度、歌を詠みますね。

   山の井の水に落ちたるくれなゐのひと葉の如き悲しみそ来る

でした。何とも、ズキッと傷みますね。使われないようになって久しい古井戸を覗き込めば、痛々しいほどの真紅のもみじ葉が心を刺します。もみじ葉の紅が発する思いに歌人の心が共鳴したのでしょう!不抱18歳のときの歌です。多感な時期でもありますが、20歳前後には健康を害しておりますので体は弱かったのでしょうか、力ない自らの存在を憂えるような歌は多いと感じます。でも、そういった人間の存在の無力さを歌う一方で、大運を見ますと対社会への身の嘆きが潜んでいるはずと読めます。

 四柱八字です。
   己丑
   丙寅
   丁巳
   ○○
 大運02乙丑 12甲子 22癸亥 32壬戌・・・・となります。T6年丁巳年病没(28歳)。
 第二運、第三運は水旺の官殺運です。あきらかに行動や考え方は形而上的で社会に目を向けていたと思われます。この2運を紐解いてみましょう。
 甲子運・・・年干の甲己干合でともに弱化。子は大運の子ですから、寅を生じるだけとは思えません。年運の子なら寅を生じるだけですが。この子は日干が対抗、つまり、任じる積がある官殺です。言い換えると子の力量の一部は寅にとられ、残りは日干に対抗ということです。このような子の扱い方は難しいと言えます。結果、官殺に関しては日干が強ならそれはそれで喜なのです。一方で甲己干合とはいえ大運ですから、甲も残っているんです。寅月は丁火にとっては印で丁火の有り様では木多火熄となりかねないのですが、そこは丙や巳あって大丈夫です。ただ、見逃してはいけないのは甲寅の印多という現象が起きていることです。庚の薬がほしいところです。任じる官殺があるので依るべないとは申せませんが、水生寅生火日干となり、強日干は食傷に洩らせないこととなります。ここは問題なのです。社会に気は向くのですが、強い身を洩らせないということは強い自我は内にこもり、社会に対して器用に順応しきれないもどかしさがあるのです。やや神経の問題ともなります。現代ですと鬱とかひきこもりなども起きますが明治から大正ですから・・・!でも社会情勢としては年表では日清戦争から日露戦争へと移っていたのではなかったかと。社会科は苦手でしたが、このあたりは変に覚えています。不抱は鉄幹に師事していましたから、与謝野晶子への憧憬も強く、影響は大のはず。彼女の「君死に給うことなかれ・・・」の歌に詠まれているように心情的には戦争は男子でありながら、忌の対象ではなかったかと・・・!勝手な憶測ばかりで不抱ファンには罵られそうです。
 いい加減に次の癸亥運に入りますね。この運は前運に比べると官殺は強となります。まず、亥巳、亥寅とあって冲も合もありません。ですが、剋は剋。巳は弱化。天地に透る官殺に丁と丙は束になってかかりますが、己丑にも晦火しますし、火の勢いは落ちます。寅が頼りというところですがここはまた寅も膨れ上がっていますね。微妙なところですから、年運をみて喜忌をみなくてはいけません。年運で金、水は要らないと思います。ところが年運を探りますと20代は多いんです。結果、丁巳年に水火戦でしょうか、亡くなってます。3柱ですので断定的には語れませんが、事象を見ていくと23歳ころの壬子年あたりは病気がかなり悪化しているようです。大阪に意を決して出るのですが病気のために挫折し帰郷したようですし・・・水の官殺は忌の事象です。過去の人ですから、事象と合わせていけば何となく見えたりはするものです。ま、3柱とはいえ、日干が強なら湿土金が喜でしょう。
 
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詩歌にみる

2011年05月28日 22時02分32秒 | インポート
 最近、我が夫は部屋の模様替えとかで本棚の要らないものを整理していました。「必要だと思うものがあればとっておけ!」というので気が乗らないまま覗いてみたら、また、笑えてきたのですが・・・短歌俳句関連の本がずらり~とあるのです。そういえば、この人、依然、短歌だ俳句だとうなりまわっていたことがあったよねえ!と。紅葉の徳島箸蔵寺にうなりながら、登った記憶が・・・・私自身もそう嫌いでもないので付き合いにいっしょにうなってはみたのですが、たいしたものもできず、不消化の気分を味わうばかりでちっとも気分転換にはならなかったのですぐにや~めた!なったのですが・・・この一連の本を捨てるのももったいないので戴くことにしてマイルームに保管することにしました。ところがそのうちの一冊がトイレにおいてあるのです。たぶん、夫が持ち込んだのでしょう。そんなわけで最近はトイレに長居するときはつい手を伸ばすことに・・・・・
 前置きが長くてすみません。歌を見るときですが、作品から入るときと作家をみてから読むときとでは違うんですね。作家がわかっているとどうしても先入観が入りますが、作品からですと、とんでもない勘違いをしてしまうことも多々あります。しかしながら、良いところは時代や流派に関係なく読み手の心情とハモってしまうと読み手サイドからの解釈がいくらでも広がっていきます。実はとんでもないことがあったのをトイレの中で思い出したのです。
次の歌ですが
 山の井の水に落ちたるくれなゐのひと葉の如き悲しみぞ来る
というものです。
 バカな私はずっと女流歌人の歌と思っていたのです。ずっと後になってから知ったのですが、男性歌人であったばかりか、大正時代の地元歌人であったのです。それはどうでもよいのですが、とにかく、歌を知っていたのです。長年、たびたび考えては余情に浸ったもので、マネして作ろうと思ってもどうも・・・人間が違うようで・・・ムリでした。私はこの歌の中に秘められたどうしようもなく力ない存在の情念を感じていたのです。侘しげな井戸に落ちているもみじの紅に秘めたる情念とでも申しましょうか、あがいてもあげいても好転しない身辺にも内なる炎を消すわけにはいかないというぎりぎりの情念ですね。これは女性だと思い込んでいたのでものすごく妄想を違う方向に持っていったこともあります。男性だと知ったら、やはり、これは家庭内や恋愛などとは違う、対社会への思いも綴りこんでいるとすぐにも気がつきますね。また、人間の存在を問えば、いつしか、哲学にも・・・となるのですが。ここで四柱推命が登場です。女性とみると陰陽論からも陰命的な発想となり、男性とみると男であることが陽ですから、対社会となりますから、官殺の問題に。歌を鑑賞するにもそういう陰陽論的な発想って自然にしているんだと思います。これは異論があるかもしれませんが、聞き流してください。
 次にこの歌人ですが、それほどまでに縛りの多い環境というか、わが身を社会に生かせていけない苦しみを読んでいるのですから、きっと日干は天地に透って、根があるに違いないと思うのです。身が強くないとこのような自己主張はないと思うのです。私自身が身が強くて自己中なので共感したのかしら・・・なんて・・・!とにかく、正しいかどうかわかりませんがこの歌人の四柱八字です。

歌人香川不抱 M22年 2月 10日 香川県丸亀市生まれ
 己丑
 丙寅
 丁巳
 ○○ です。
いかがでしょう!日干丁です。丁文ですね。文学にはもってこいです。日干も強の可能性ありです。
三柱でみてもどうか・・・と思われるでしょうが、ここは私の関心事ですのでご容赦頂きたいと思います。丁火ですが丙火も強です。己丑にかなり洩らしてはいますが・・・
彼は与謝野鉄幹、晶子夫妻に師事し、歌風としては啄木のような生活派歌人ではあります。鉄幹からは啄木をしのぐというほどの評価は受けておりました。彼の情念のような世界が人を引き込むようですね。この命については次回また・・・・

 
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財多身弱(続き)

2011年05月26日 09時52分17秒 | インポート
 財多身弱の忌象を次のようにお話しました。
  ①財は入るかもしれないが、掴みきれない(財に任じることができない)。
  ②食傷財と流れる財なら、食傷の忌象も考える。
  ③財が無事なら、父親縁の忌象を考える。
とここまで述べました。
 続いて男命の場合ですが、財は金銭、父親以外に女縁、妻縁の良し悪しもみることになります。身弱で財強、つまり、女縁がよろしくないという可能性があります。身が強く財が弱であれば、妻を剋してしまうのですが、逆ですので財強で掴みきれないのと同じく、妻を抑えきれない!となります。振り回されることに・・・!性情的に振り回されるばかりならよいのですが、最悪は病弱であったり・・とか。
 それでは一生、そうなのかと言いますと、そんなことはないのです。大運という後天運で日干が強くなりさえすれば良いのです。そうなれば前回申し上げたように財に任じることができますから、財の喜象が顕れることにもなります。じゃあ、何故、あのおじいちゃんは戊申運に入って奥様がなくなられたのでしょう?変じゃないですか?もちろん、時干支がわかりませんから、断定はできないのですが、ここは勝手に推命しちゃいましょう!!
 癸亥 
 乙卯
 辛丑
 ○○ でした。時干支には日干側(印、比劫)があるとしますね。
そうすると第七運は戊申運でした。戊は癸と干合(干どうしが引き合って減力)して年干の癸は無効に近くなります。亥は支の特性としては子水のように卯を生じることはできませんので乙卯は強まってはいないことになります。一方、申に日干は根が出ます(辛が天地に透ると言います)ので日干VS財は対等とほぼなります。ですのでこの大運は喜神運と言えますね。これは10年の傾向ですが、忘れてはならないのは年運です。年運でこれ以上の湿土、金は喜とはならず、日干を強めすぎるので逆に財を剋すことになりかねません。おまけにおじいちゃんの命には食傷が日干と絡みませんから、余計に・・・!!74歳のときに亡くなられたようなのでおそらく丁丑年です。湿土年です。日干は強まり過ぎて、食傷に流れず、破財となってしまったのでは・・・と推察するわけです。でも、このくらいで、木旺に生まれて、この事象って起きるのかということを考えるのですが・・・・・ここで考えなければならないのは「位相」といって元の四柱八字が佳命かどうかという次元のことです。位相はやや低と思いますし、調候も不要月とはいえ、やや湿なので火の気がほしいが・・・ないし・・・と考えると喜の運もそんなに喜とはなりがたく、長年、不如意であった財の妻ですから、傷んではいたのでしょう。とこのように考えました。少し、難解であったかも・・・・・!!
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身弱財多の人って・・・

2011年05月25日 21時20分13秒 | インポート
 先日のおじいちゃん、元気にしてるかなあ~なんて思い出しておりました。実はあれは瀬戸大橋線に岡山から乗り継いだ後のことだったのです。おじいちゃんは愛媛の○○市までとか・・・40分間くらいのお話でした。四国の田舎では若夫婦が都会に住んでて、いずれはと首を長くして待っている老夫婦がいかに多いか!私は彼らはなかなか帰れないと思うのです。人間って一度出来上がった自分のソサイアティを捨てることは勇気が要りますし、新たに作るには年齢が行き過ぎてて大儀になるんですね。おまけに都会で育てた子供たちがそのネットワークに依存してきますから。というわけで私は娘たちを海の向こうへは出しませんでした。この良し悪しは別にしまして・・・とかなんとか考えているうちに、待てよ!今までに見た命であのおじいちゃんと似たようなのがあったぞとファイルをこそこそしていました。あるんですよね~!公開はできませんけど。
 おじいちゃんの命ですが
  癸亥
  乙卯
  辛丑
  ○○ でした。
 この命は食傷の癸亥は年干支で財を生じていますので財強です。時干支がおそらく日干側のものがあると推察(事象から)したのですが、身弱財多にまちがいありません。身弱で財強のときは食傷はないのがよいのです。あれば食傷は忌です。つまり、年干支ですので出身はイマイチということにはなりますね。でも日干とはほぼ無効ですので日干を洩らすことはないのです。
 仮に
  癸亥
  乙卯
  辛亥
  ○○ でしたらどうでしょうか?
 日支が食傷になります。日支は配偶者の位置ですし、食傷は忌神ですから、いけません。女性の命だとしますと配偶縁以前に食傷の忌象を考えてしまいますね。おじいちゃんの命は日支は丑ですから
用神とも言える湿土ですね。時支に酉でもあれば強いもんですけどね。
 話をもとに戻しまして、身弱財多の人って、財がたくさん入るということではないんですね。日干と財の強さが対等ですと入るんです。さらには通関の食傷があれば、自らの力で食傷財と流れて財運がうなるんです。食傷なしですと、棚からぼたもちみたいに労せずして入る財となります。身弱財多となれば日干は財に対抗できない(任じることができないと言います)ので財を抑えきれないのです。小さな手でコインをいっぱい掴もうとしてもほとんどジャラジャラと落ちてしまい、手中に収められるのはほんのわずかなのです。ですから、そういった命の人は財が入らないことはないケースが多いかも・・・ただ、お金に羽根が生えて飛んでいってるシーンってよくあるじゃないですか。あれですかね!!心当たりのある方いらっしゃいませんか?・・・・そんなことはない!!そうですか、よかったですう!
 でも財ってお金ばかりではありませんから、父親ということもありますね。父親は不如意っということで力ない父親のことが多いです。おじいちゃんのように早くに父親を亡くすこともありますが・・・生きててさえくれたらいいですよね。
 ということで今日は身弱財多についてでした。
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行きずりに・・・

2011年05月21日 11時08分09秒 | インポート
 ちょっと遠出をし、帰りの電車の中のことでした。疲れたので窓の外をボォ~と眺めておりました。夕暮れの海に点在する島々が暗い影を落とし、遥か彼方ままで島影が重なり続く風景は見事でした。凪いだ海の穏やかさは眠気を誘い始めておりました。すると、隣にすわった男性が急に声をかけてこられたのです。みると涼やかな眼をしたおじいちゃんでした。いきなり年齢のことをお話になるんです「私は今年88歳になったんですが・・・」と。まあ、お年寄りは年齢を経るごとにそれを言いたがる傾向にあるのはよく知っていますので「まあ、そうですか。そんなお年には見えませんよ。10歳は若くみえますねえ!」と申し上げたら、「まあ、髪が黒いですから・・・」といいながら、運転免許証をお見せになるのです。みると
 T12年3月29日
とありました。「本当ですね。へえ~~~~!」。と、俄然、私は元気になり始め、「お生まれになったお時間なんてお聞きになったことありませんか?」とお聞きしますと、「なんのことですかなあ?知りませんなあ~!」と言うので、「ですよねえ~!」
 でもすぐに手のひらサイズの暦を出して、頭の中で四柱を組み、大運をはじき出しました。早速、身辺調査が始まりました。おじいちゃんも大変、楽しそうにお答えいただきますので私も「実は~」と軽くお話しておきました。
 「実は私は今日、大阪の息子に会いに行ってきたんですわ。60で定年をとったので田舎に帰ってこんか?ということでなあ・・・・でも帰っては来んようですわ。私もひとりで行けるとこまでいきますかなあ!!」という決意でした。「わたしは貧乏人のせがれでしてなあ、徴兵検査の年には親父に死なれ、母親だけになったんですわ。戦争では外地に行くことなく、近衛隊とでもいうんでしょうか、天皇陛下をお守りして皇居におったんです。戦後は田舎に戻って、人のお世話で○○銀行に入りましてな、東京へも転勤で2、3年は行きましたわ。支店を開くというのでえらい苦労はしましたけど、38歳には小さいですけど。支店長になりましたな。後はほんまによかったですわ。」とおっしゃいました。ふむふむ・・・・
「で、奥様とは?」とお聞きしますと「家内とは14年前に死に別れましてな、かわいそうなことをしましたよ。突然でしたからなあ。もうちょっとふたりで旅行したりしたかったですなあ。」やさしいそうな眼で 話されました。「家内が家のことは全部してくれてましたから、身の回りのことができるようになるまでは大変でしたわ、煮付けをしたら、砂糖を入れすぎてお菓子みたいになるし、味噌汁を作ったら、煮物みたいになるし、弱りましたなあ・・・」「でも、ちゃんとやれるようになりましたでしょ?」とおききしますと「はい、なんとか・・・家を護ろうとしたら、主婦のしごとは大変ですなあ~!一日、忙しいですわ!!」と。
なるほど。なるほど。納得納得・・・。

 癸亥   大運07 甲寅
 乙卯      17 癸丑 18歳父死亡 母は元気で88歳まで・・結婚もここ
 辛丑      27 壬子
 ○○      37 辛亥
          47 庚戌
          57 己酉
          67 戊申 74歳丁丑が戊寅年に妻死亡
          77 丁未
          87 丙午 ☆いまここ・・
このおじいちゃんの命と大運です。多分、財多身弱でしょう。外見はおだやかで非常に涼やかな眼と柔和というのが印象です。体格も細く、身なりは地味ですが清潔感ありで好感度大です。若い頃はきれいな方であっただろうと・・・まったくマッチョな感じはなく優男ですね。経済観念はきちんとお持ちですが、第二、第三運は厳しかったのではと・・・!!財は忌でしたね。何かあったかもと思いますが、なかなか聞けませんよね。47歳以降はまずまずです。日干に根がでますので時干支になにがあるがわかりませんが、年運で湿土金が来ますとこの命は洩れにくいですから(つまり、水の食傷はありますが日干には無情ですし、戊が生きてると年支の亥は無効に)財の妻はきびしいのかもしれません。ま、奥様の命を計らねば何とも言えませんが・・・77歳から平運としても現在の丙午は環境的圧迫大ですね。お一人で田舎住まいをされるご決意です。大変ですね。でもとっても素敵な方なので地域の方には好かれるはず。「いつまでもお達者で~!!」すると「久しぶりに長話ができて嬉しかったですわ、奥さんもお元気でな!!」と言ってお別れしました。
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