我が国の政治は、かっての自民党政権から民主党政権へ、この民主党政権は鳩山政権が辞任した事により、今度は管政権へと移る事になった。
しかし移り変わりを眺めてみれば、さしたる変化は感じられない。
それは一般に言われているような「政治とかね」というものよりも、政に関わるものでありながら、余りにも政とかけ離れた事ばかりに関心をおき過ぎている事にある。
何せ政に関わるものが言うことは、何事によらず「批評批判」ばかりである。「相手がどうの、こうの」という事ばかりで、「自分はこういう施政をしたい」という意見が少ない。
又この「こういう施政をしたい」というものでも、その施政を行う事によって、例えば「新幹線、高速道路、原子力発電所」とか建設すると従来線や地方道が廃れたり、放射能漏れの危険に怯えなければならない地元の気持ちは置き去りや切り捨てにさせた上での施策になっている。そしてそれは、「過疎、不平等」などを産むという発想がない。
いわゆる「犠牲」の上に成り立たせようという姿勢を強行するために、「批評批判」しており、それを又マスコミメディアが便乗して「批評批判」の輪を広げていく。
これが「今の政治の資質」であるし「体質」であ。
しかし移り変わりを眺めてみれば、さしたる変化は感じられない。
それは一般に言われているような「政治とかね」というものよりも、政に関わるものでありながら、余りにも政とかけ離れた事ばかりに関心をおき過ぎている事にある。
何せ政に関わるものが言うことは、何事によらず「批評批判」ばかりである。「相手がどうの、こうの」という事ばかりで、「自分はこういう施政をしたい」という意見が少ない。
又この「こういう施政をしたい」というものでも、その施政を行う事によって、例えば「新幹線、高速道路、原子力発電所」とか建設すると従来線や地方道が廃れたり、放射能漏れの危険に怯えなければならない地元の気持ちは置き去りや切り捨てにさせた上での施策になっている。そしてそれは、「過疎、不平等」などを産むという発想がない。
いわゆる「犠牲」の上に成り立たせようという姿勢を強行するために、「批評批判」しており、それを又マスコミメディアが便乗して「批評批判」の輪を広げていく。
これが「今の政治の資質」であるし「体質」であ。