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立候補者の素質

2010年06月08日 | 短歌に政治や社会
小沢氏の国会招致に慎重=「政治的けじめ付けた」―枝野幹事長(時事通信) - goo ニュース

鳩山前首相の辞任の弁には、「国民が意見を聞かなくなった」という事にあったという。
これはどういう事かというと、選挙で選べれば「国民が何でも言う事を聞いてくれるものだ」というおごりを持っていた事になる。事に同時に辞任した小沢前幹事長なんかも、票を取り議席を取れば「国民は何でも言う事を聞く」みたいに思っていたようだ。
首相が、懐具合が困ったふりすれば、すぐに母親が「おこずかい」くれるように、「剛腕ぶり」を通せば、立候補者の素質もそのようになるものらしい。

それはそうと、ちょっと考えてみたのだが、映画とか展覧会とかスポーツとかを観賞するために、我々は代金を払っている。しかしこうしたものを「鑑賞してあげる」という方が、何故代金を払わなければならないのだろう。
こうしたものに興味を持ってもらえる事は、彼等にとってはうれしい事であろう。それなら、その嬉しさを観客に支払わないで、逆に観客から代金をせしめるのかが、おかしいと思えてしまう。

これは議員などもそうだ。
選挙で選んでもらったのだから、その代償を支払うべき必要がある。
だか現実には、反対に議員として選ばれたのをいいことに多くの特権を得ている。
それを得ることが、どうも「立候補者の素質」みたいになっている。
コメント
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