幸せへの道 2019/6/9
私たちは 幸せを願って止まない
望んで止まない
幸せを願望するということは
救いを求めるという事でもある
幸せを求め 救いを求めながら
しかし私たちは 正しく求めて願っていない
「青い鳥」の童話がある
チルチルとミチルの兄妹が 幸せの「青い鳥」を求めて
各地を旅するという 物語の童話である
だが兄妹は 幸せの「青い鳥」を見付けることなく
落胆し挫折して 帰ってきている
しかし帰ってきてみて 「青い鳥」の住処を見付けた
幸せの青い鳥は 外の世界にはいなかった
内なる世界にあり いつも自分たちと一緒だったのだ
救いも同じで 既に救われていた
神仏の胸に抱かれて 既に幸せであり
神仏の掌の上で 既に救い取られている
求める必要もなく 願い望む必要もない
既にあることに気付き 受け入れればよい
だが私たちは 受け入れを拒否している
欲得の方を願い望み 楽や遊んでいられることを望むが故に
悲しいことに 既にある幸せと救いとは
辛さに耐え 苦しさに耐え
悲しさにも苦労にも 耐えていかなければならないことが
嫌が上でも求められている
幸せや救いは 苦しみや悲しみや苦労に
耐え続けていく者のみに 与えられる
最早探し求めずとも 人に聞かずとも
既にあり 備わっている
ただ素直になって 疑いなく受け取ればよく
それは神仏に縋ることにより 訪れてくる
されども既に幸せあると 既に救われているという教えはない
教育では教えられなく 道徳でも教えられない
教え諭すのは 信仰心による宗教のみ
だがこの宗教の多くは 利に聡いばかり
故に既に幸せであり 既に救われていると発見するには
自分自身の 手によってのみ行い得られ
神仏の胸と掌の中で 安らぎつつ生きていく
既に幸せになり 既に救われているならば
どんな苦楽も 悲しみさえも
全ては天命と 受け止められる
宿命であり 定めとして
天命として 定めとしてあるから
辛さ苦しさ悲しみに 苦労と感ずることができる
天命や定めとしてなくば 感ずることはない
されば天命によって 神仏の胸の内にて幸せであり
神仏の台の掌に 掬い取られている
幸せを願い望み 救いの中に掬い取られたいなら
強く正しく清らかに 怠りなく励み続ける