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ニッポンのゆる~い日常

震災で見えた国防の穴 輸送力と拠点欠如…南西諸島侵攻に対応できぬ

2011-09-11 19:54:23 | 日本
震災で見えた国防の穴 輸送力と拠点欠如…南西諸島侵攻に対応できぬ


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110911/plc11091109090011-n1.htm



 東日本大震災が発生した3月11日午後2時46分、東京・市谷の防衛省11階にある事務次官室での会議中に大きな揺れを感じた火箱(ひばこ)芳文陸上幕僚長(当時)は執務室のある4階まで階段を駆け下りた。

 「増援部隊を送る。しっかりせい」。仙台市の陸上自衛隊東北方面総監部の君塚栄治総監(現陸幕長)を電話で鼓舞すると、北部、東部、中部、西部の4方面総監にも連絡した。「出せるだけの部隊を東北に向かわせろ」。ただし、九州・沖縄の防衛・警備を担う西部方面隊には厚めに部隊を残した。中国への備えはおろそかにできないからだ。

 こうした部隊運用についての指示は陸幕長の権限を越えていると自覚していた。「統合運用」のもと、この役目は統合幕僚長の仕事なのだ。しかし、テレビに映る被災地の映像は、そんな懸念を吹き飛ばした。

 「これは戦(いくさ)だ」


                   × × ×


 12日夜、北海道・小樽港。旭川の2師団の隊員260人と車両86台が乗り込んだのは民間フェリーだった。東日本大震災の発生から30時間がたっている。一刻も早く被災地に、と心ははやっても陸路は寸断され、JR津軽海峡線も不通。北海道の部隊を被災地に送る手段は船しかない。しかし、陸自の輸送要求に海上自衛隊幹部は苦渋に満ちた表情で答えた。「2日は使えない」

 海自の大型輸送艦3隻のうち2隻は修理と海外派遣中。残る1隻はすでに宮城への出動態勢をとっていたのだ。3月29日までに被災地に入った北海道の隊員は約1万人と車両約3400台。だが、その輸送は民間フェリーに頼らざるを得なかった。

「自衛隊の輸送力の欠如は明らか。こんな態勢では、南西諸島での有事に対処できるはずがない」。ある防衛省幹部は自戒を込めていう。国防上、最も危険性が高い想定シナリオは、中国による東シナ海の離島への侵攻だ。その際、本州などから大規模な陸自部隊を緊急展開できるのか。

 自衛隊OBが指摘する「喫緊の課題」の一つは「拠点」だ。震災救援では被災地に近い駐屯地・基地が拠点となった。他地域からの増援部隊や物資はまず、そこに入り、被災現場に向かっていった。しかし、南西諸島では宮古島以西に自衛隊は配置されておらず、拠点はない。防衛上の空白地帯をなくすため与那国島などへの駐屯地建設は必要不可欠なのだ。

 輸送能力にも疑問符がつく。「震災対応で輸送した物資は戦時の2割以下でしかない」(陸自幹部)。有事では武器・弾薬の輸送が膨大になるため、いっそうの輸送力が必要となる。また、米軍が震災で孤立した気仙沼・大島に海兵隊員を送り込んだのは海面のがれきをものともせずに進む高性能の上陸用舟艇(LCU)だった。老朽化が進み、機動性にもかける海自の上陸用舟艇では心もとない。


                          ◇



●有事アレルギー深刻


 震災発生から5日後の3月16日午前5時43分、航空自衛隊松島基地(宮城)。まだ夜は明けず、視界が悪い。雪もちらつく空を切り裂くように米軍のC130輸送機が着陸した。津波で被災した松島基地の復旧後「第1便」だった。

 同機が松島基地に着陸すると、空軍特殊部隊員が搭載してきた高機動車ハンビーとバイクに飛び乗り、仙台空港に向かった。空港復旧に向けての調査である。

 被災地への救援物資の輸送で前線拠点となるべき松島基地の滑走路は基地に勤務する隊員ががれきを除去し、震災翌日には離着陸可能になった。だが、レーダーが使えず、視界も悪い。空自は輸送機の着陸を見送っていた。そこへ米軍機がやってきたのだ。

 着陸したC130は空自も保有している。ただ、米軍は空港のないところにも着陸し、拠点を確保する「橋頭堡(きょうとうほ)」づくりの訓練を積んでいる。その差が出た、と空自幹部は指摘している。



                     × × ×



 海自幹部が目を見張ったのが米軍の情報収集能力だった。避難所の被災者数、電気やガスの状況、必要な物資…。避難所を訪れた米兵が日本語で書かれた用紙を配り、被災者に記入してもらっていた。その回答用紙は宮城沖に停泊していた空母ロナルド・レーガンに集め、米本土の翻訳チームが英語に訳す。返信されたデータは衛星写真の上に貼り付けられ、レーダーを使い、ピンポイントで救援物資を輸送する基礎資料になった。

 これはアフガニスタンとイラクでの対テロ戦で重要な役割を果たした民衆の心をつかむ「対反乱作戦」として米軍が培ったノウハウだ。同時に、米軍の作戦実施の要となる「C4ISR(指揮・統制・通信・コンピューターの4Cと情報=I、監視=S、偵察=R)」の一端を示すものでもある。

 「ニーズというものは集まりにくい。こちらから働きかけないと後手に回る」。15日、東北方面総監部の統合任務部隊(JTF)司令部を訪れたグラック第3海兵遠征軍司令官と、ハリソン在日米陸軍司令官は自衛隊幹部にそう助言した。


                      × × ×


 「原発事故は急速に悪化しかねない。米軍のヘリも借り、一挙に住民を避難させることも必要か…」。3月下旬、JTF指揮官に任命されていた君塚総監は会議で強い危機感をにじませた。大規模な住民避難となれば、避難計画が必要だ。どこに、どれだけの住民を避難させ、あらかじめ生活物資を集積しておくためだ。

 だが、計画策定はかなわなかった。ある首長が「計画が表沙汰になれば住民のパニックを誘発する」と拒むなど、自治体の賛同が得られなかったためだ。

 こうした「有事アレルギー」は自治体だけでなく、中央官庁にもはびこる。

 《日米調整所の役割が不明確な状況が生起。人員・機能の明確化が必要》。8月に防衛省が取りまとめた震災からの「教訓」には、こうある。日米調整所は平成9年に改定された「日米防衛協力のための指針」(新ガイドライン)に明記された「共同調整所」を災害派遣用に準用した機能だ。大震災で、防衛省、東京・横田基地の在日米軍司令部、東北方面総監部の3カ所に設置され、日米協力の調整窓口となった。

 しかし、実際には構成メンバーの選定から始まり、調整すべきテーマも決まらず、16日に発足して3日間は機能しなかった。事前に組織構成の細部が詰められていなかったためだが、これでは本来の有事を想定した共同調整所が有効に機能しない可能性もある。

 災害に関する「日米共同対処計画」は手つかずで、有事の際の「共同作戦計画」の細部を詰める作業も進んでいない。防衛省以外の中央省庁の腰が引けているためだ。

 《指揮統制機能のあり方を検討》《水陸両用機能の保持に関する検討が必要》《各種対処計画の実効性を高めることが必要》

 「教訓」には「検討」「必要」が並ぶが、いずれも昨年12月に策定した防衛力整備の基本方針「防衛計画の大綱」で積み残した課題だ。実際、自衛隊幹部は「常に大綱改定の必要性を痛感しながら、震災対応にあたっていた」と打ち明ける。

 震災と原発事故対応で浮かび上がったのは、10年以上に及ぶ政府の「不作為」であり、民主党政権が防衛大綱策定時に結論を先送りした懸案だった。


                          ◇


 指揮統制、機動展開、統合輸送、情報収集…。最高指揮官でもある菅直人首相(当時)が「ドラえもんのポケットだな」と無邪気にたたえた自衛隊の救援活動だが、震災発生から6カ月が経過し、多くの「穴」も浮かび上がってきた。

2011.9.11 09:05














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インチキだ!沖縄県教委の逆転採決劇

2011-09-11 10:27:49 | 日本
インチキだ!沖縄県教委の逆転採決劇


http://sankei.jp.msn.com/life/news/110911/edc11091107010002-n1.htm



 大変なことになった。沖縄県石垣市と与那国町、竹富町の3市町からなる八重山採択地区協議会が選定した育鵬社の公民教科書を県教委の不可解な指導によって一転不採択にされてしまったのである。多くの全国紙では掲載される機会が少ないニュースだが、事は教科書採択制度や教育委員会制度、そして民主主義が蹂躙される重大問題をはらむと考えている。今回はこの問題を考えよう。




●改正教育基本法下初の教科書採択


 まず、この問題の経緯を振り返る。学校の教科書というのは採択という手続で選定される。今年の採択は来春から使われる中学校の教科書だった。教育基本法が改正、学習指導要領が正式施行される来年度から使われる教科書選びが全国の教育委員会で行われていたのだ。

 石垣市、与那国町、竹富町は同一の採択地区に属し、区域内は同一教科書としなければならない。また本来、教科書採択は公選で選ばれた首長によって選んだ教育委員の合議で決まる仕組みだ。この辺の話と、制度が如何に本来の趣旨から歪められているか-について、そして県教委の「不当な採択介入」については前回の当欄で取り上げた。

 8月23日、協議会の結論は歴史が帝国書院、公民は育鵬社だった。協議会の決定後、石垣市と与那国両教委は協議会の議決通りに採択した。ところが、もうひとつの竹富町は育鵬社を不採択にしたのである。これは無償措置法違反だろう。通常なら協議会決定を軸に一本化が図られ、違法状態を解消していくことになるのだが、ここから歯車は大きく狂い出すのである。




●不当な糾弾キャンペーン


 沖縄では左翼反戦活動家や平和教育グループらプロ市民らを伴う面々が育鵬社や自由社などの不採択を求める反対運動を盛んに展開している。地元紙もこれに沿う形で連日、この問題を批判的に取り上げた。育鵬社を採択すれば、戦争が起こる、とでもいわんがばかりの糾弾キャンペーンが連日繰り広げられ、同調圧力が加えられていった。

 そもそも教科書採択制度とは、こうした党派的な圧力や政治的な糾弾、集団的な威迫、妨害策動などなどから教育委員を守り、彼らのめがねにかなった教科書を子供に届けるという公教育を守るための大切な制度である。

 セオリーに照らすと、県教委は協議会の決定を軸に調整を図るべきだった。だが、県教委はそうではなかったのである。むしろ反対運動に加担する形で「世論が納得しない」「批判のない教科書が望ましい」「県民が納得する教科書が望ましい」などとして育鵬社排除をサポートするのである。




●不可解な指導


 沖縄県教委が提案したのは石垣、与那国、竹富の教育委員全員による協議だった。単なる教育委員の親睦団体だった八重山教育委員協会の臨時総会で全員で協議しましょうと言い出した。それから会議直前になって、これを採択機関と位置づけましょう、ここでの決議に法的拘束力を持たせましょうと言い出したのだった。

 これは問題だ。まずそれまでつみあげられてきた協議会の結論というのは有効だからだ。すでに与那国町教委、石垣市教委は採択を終え、法的拘束力のある決定を済ませている。

 協議会というのは無償措置法13条の4項で「採択地区が二以上の市町村の区域をあわせた地域であるときは、当該採択地区内の市町村立の小学校及び中学校において使用する教科用図書については、当該採択地区内の市町村の教育委員会は、協議して種目ごとに同一の教科用図書を採択しなければならない」という規定を根拠に設置されたものだ。つまり地区内の教科書を統一して無償措置法の適用を受けるために協議会があるのだ。




●親睦団体の決議は有効か


 では県教委の言う八重山教育委員協会の臨時総会というのはどうか。これは全く法的権限がない組織である。従ってここで何を話し合っても何を決めても本来まったくの無効である。

 そこで県教委は何を考えたか。もう一度条文を見てほしい。「当該採択地区内の市町村の教育委員会は、協議して種目ごとに同一の教科用図書を採択しなければならない」とある。「協議して」とあるだけで「当該採択地区内の市町村の教育委員会は、『採択地区協議会』で協議して」とは書かれていない。つまり協議の主体が必ずしも協議会でなくても良い-という解釈を考えたわけである。




●無理筋の県教委


 しかし、これはかなり無理がある話だ。先ほども述べたように与那国も石垣もすでに協議会の議決通りに育鵬社を採択している。この手続に瑕疵はない。瑕疵がなければ、先ほど述べたようにこの採択は法的拘束力を持つし、正当だ。有効ということだ。




●正しい法解釈


 ここに一通の文書がある。これは事態を憂慮した自民党の義家弘介参院議員が文部科学省の幹部を呼び、一連のできごとをめぐる法解釈について文書化したものである。重要なので全部要約してお伝えする。

 (1)八重山採択地区協議会の議論、結論は無償措置法に定めたものに該当する

 (2)地方教育行政法に定めた採択権の行使は、協議会の結果に基づいて行われるべきだ

 (3)ただし、無償措置法の協議には明確な定義がない。当然、採択協議会の協議はこれに該当するが、3市町教委が、それぞれ「新たな協議の場」を設置することに合意するならば、別の「協議の場」を設定し、議論することもあり得る。

 (4)しかし、石垣、与那国は採択協議会の協議の結論に基づいて採択している。沖縄県教委のいう「教育委員協会」を法律に定めた協議の場とするには三市町教委がそれぞれの委員会でそのことに合意することを前提とする

 (5)県教委の権限は各教委への指導、助言であり「新たな協議の場を作ることを促す」ことはできても、主体的に「協議の場を設置する」ことはできない。あくまで「協議の場の設置」主体は石垣、与那国、竹富の教育委員会である。


 簡単にいうと、こういうことだ。今までの協議会は有効。当然、協議会の結論を踏まえて結論は出すべきである。ただ、採択協議というのはみんなが合意すれば、別の場でもあり得る。その場合は全教委が「これを採択協議にしよう」ということに合意してなければ×だというものだ。




●暴走する議事


 こういう制約を踏まえて新たな協議の場では3市町教委はそれぞれが「新たな協議の場」の適格性を別々にわかれて協議した。合意できるかどうかを諮ったのである。普通、教育委員会というのは、委員長が召集して、議案審議を行うものだろう。たまたま教育委員が全員集まったからといって、そんなに簡単に教育委員会の会議にできるものなのか。議決として認めうるものなのか、という疑問が浮かぶ。

 そうした疑問とは別に石垣市、与那国町はそこで教育委員会の総意として「認めない」という結論に至ったそうである。つまり3市町教委の合意が出そろわず合意は成立しなかったのである。

 ところが、新たな協議の場の議事はさらにおかしな方向にいく。今度は出席した3市町教委員全員で「合意があるのかないのか」自体を多数決にかけてしまったのである。強行採決の結果、多数決で「合意はある」が押し切られていったのだった。




●前提は崩れている


 しかし、これって通る話だろうか。合意が出そろわなかったのだから、その時点で、この席を協議の場と認める前提が崩れてしまっているのだぞ。ということは後は何をやっても無効だろう。

 それを参加者全員で採決して「三教委は合意した」と決議しているというわけだが極めて怪しい手続だ。さきの文書では「三市町教委が『それぞれの委員会で』そのことに合意することを前提とする」とある。一堂に会した多数決が『それぞれの委員会』に該当するとも思えないし、三教委でない協議体が三教委の判断と称して勝手に言っていることになるだろう。

 「正当な合意がある」と県教委は言っているがこれは合意があるとはいえないだろう。第一、この協議体の設置主体は県教委ではなく、あくまで3教委のはずで、当事者である石垣、与那国両教委の判断が明確に「認めない」というのだから、県教委やこの協議体が勝手に三教委の意思として「合意があった」などと語ることなどできない。というか、許されないはずだ。




●育鵬社採択は未だ有効


 県教委のスキームではすでに手続が終了して法的にも有効な協議会の結論をどう位置づけるのか、という根本的な問題が放ったらかしだ。全く別個の協議体に無理筋で法的権限があるように画策、これまた横暴採決で結論めいたものはひねり出したものの、二つの結論をパラレルにただ並べてどうするつもりなのだろう。二つの結論の法的関係についてもよくわからないし、混乱を深めるばかりだ。


 一度議決・決定した事柄については再度審議ができない一事不再議の原則に反する、という問題もある。先ほど述べたように沖縄県教委はセオリー通り協議会が出した育鵬社を軸に竹富町を指導すべきだったということでもある。




●置き去りの大問題


 話を戻そう。引っかけ同然の強引な採決に反発が出たのは当然である。石垣市、与那国町の教育長は退席してしまった。与那国町の教育長は戻ってこなかった。石垣市の教育長は、全ての会議に出席しなければならないという地方教育行政法の規定を盾に再び議場に戻ることになった。そして採決。育鵬社不採択という段取りだった。号外は舞うわ、「民意が勝った」「平和を守った」「いや戦争を回避したぞ」「正義は勝つ」てなもんであるが、これって大問題である。




●教科書採択は何のためにあるの


 何が問題か。まず圧力に屈する形でごね得を許したことがある。これを許せばどこまで行っても「うちはA社」「こっちはB社」と互いに譲らずに協議会議決が覆される事態が頻発しうる。円満な話し合いで変えるならばまだいい。だが、こんなやり方で、覆ってしまっては制度が成り立たなくなり、共同採択は崩壊する。

 妨害策動から教育委員会制度を守れなかったということでもある。民主主義や民意を語る横暴や圧力に屈したのだ。かなり深刻な事態であって、民主主義の蹂躙に等しい。




●真逆の県教委


 絶対に見逃せないのは、行政の加担だ。彼らは教科書の選択において沖縄県教委が明らかに世論(それも恣意的に作られた)の顔色をうかがっている。これは問題である。「批判がない教科書が望ましい」と県教委はいうのだが、教科書採択ってそんなものだったのか。そういう論理で済ませてよいはずがない。「民意」とか「民主主義」を語りながら、育鵬社を支持する関係者に連日、不当なバッシングを浴びせて、揺さぶりをかけ、揚げ足を取って、糾弾を続けていく。そこから教科書を守るためにこそ県教委は存在しているのじゃないのか。一体、何のための教育委員会なのだろう。




●世論迎合?


 教科書選びは選挙と同様、過熱することがある。それを念頭に置いて教育委員会があって採択制度があるのだ。今、県教委がやっているのは真逆だ。「世論」なるものに迎合して教科書選びをすべきだと県教委が本気でそう思っているならそれは間違っている。




●沈黙の文科省


 ただ、この決議は無効だろうと思う。この協議の場を採択の場とすると合意しているはずの石垣、与那国の教育委員らが無効を唱えている。これだけでもおかしいではないか。これってやっぱり端的に合意がなかったことを示している証拠だということだ。


 育鵬社の教科書へのバッシングは無条件に許されている。文科省も知らん顔だ。放っておいていいのか。検定合格した教科書だぞ。メディアもおおむねそうである。特に沖縄の言論空間に顕著にみられる現象だが、左の批判や糾弾は際限なく許され、異論は徹底的に糾弾される。沖縄県民の公正な判断が阻害される危惧を抱かざるを得ない。




●沈黙の文科省について


 もうひとつ。これだけの危機を前に文部科学省が動くが鈍いのが残念である。教科書採択の危機だという認識がないのだろうか。伝え聞くところでは、文部科学省の動きが鈍いのは、自分が前面に立って指導に乗り出すと、「国が介入」と沖縄メディアにかき立てられるのが怖いようである。教科書検定で、沖縄の集団自決をめぐって日本軍の軍命令があったかどうかについて文科省は大バッシングを浴びた。県民大集会みたいな騒ぎになるのを文科省まで脅えているのだ。




●採択の危機


 日教組と関係の深い面々が政務三役に就いたことも影響しているのだろう。彼らにおもねっているか、日教組の思惑に沿って文科省の動きを封じているかだろう。そうお察しする。

 教科書選定を学校単位でと求めている日教組にとって、今の事態は笑いが止まらんのではないだろうか。育鵬社が排除されれば、それでいいし、今回のように県教委の失態で教科書採択制度がぶっ壊れてしまえば、「じゃこれからは学校単位で、子供達のために先生が直接教科書を選ぶ仕組みにしましょう」と持ちかけることだって可能だ。それは教員の政治信条や「日教組教育」を公然と行うために誠に都合がいいことである。




●奮起せよ


 私は文科官僚から取材という場を通じて多くのことを教わったものである。怠惰な役人、ただの誤魔化し上手な役人、万事他人任せで、無責任極まる役人、指導嫌いの役人などいろいろいたが、不当なものに立ち向かう勇気ある役人もたくさんいた。愚直だが不屈で、頑迷だが誠実に明日のわが国の教育を良くしようと身を粉にする役人の姿を通じて、いろいろなことを考えさせられ、教わったように思う。教育の生命線を握る最後の砦が政治に振り回されたり、沈黙してしまっては一体、何のための文部科学省だろう。

2011.9.11 07:00









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