二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

二宮尊徳さんの教え 2

2008年10月26日 | 言葉のちから 心のちから
サブプライムローンに始まる米国発の金融恐慌が大きな世界の社会問題となっています。もはや世界恐慌が始まっているということも言われており、年末から来年にかけて恐慌が日々の生活に実感するまでになってくるとの予測もあります。

日本を代表する金融機関が、焦げ付いたサブプライムローンをつくりかえた金融商品を証券としてもっており、その総額は15兆円にのぼります。これだけにとどまらず数百億円単位で日本あちこちの年金運用団体や業界ごとの共済組合なども分散して保有しているとも言われています。合わせて23兆円。このお金はほとんど返ってこないと思ったほうがよさそうです。困るの誰でしょうか。

サブプライムの問題はことの始まりで、各国、とくに米国の自分本位な金融制度、また資本主義経済、グローバル経済という名のもとに行われてきた偏った経済の仕組みの歪みが矯正される時がきそうです。

そこで、二宮尊徳さんのお言葉

☆多く譲れば多く返ってくるのが天理である

”世の中で富者が、みんな足ることを知らずに、飽くまで利をむさぼり、不足を唱えている。それはちょうど大人が湯ぶねの中に突っ立って、かがみもせずに、湯ぶねが浅すぎるぞと、怒鳴るようなものだ。望みにまかせて湯をふやせば、小さな子は湯に入れなくなる。だから自分が、かがまないのが間違いなのだ。

この間違いさえわかってかがみさえすれば、湯はたちまち肩まできて自然と十分になるだろう。世間の富者が不足を唱えるのは、これと何ら変わりはない。

この湯ぶねが、大人がかがんで肩につき、子供が立って肩につくのを中庸とするように、百石の者は五十石にかがんで五十石の余財を譲り、千石の者は五百石にかがんで五百石の余財を譲る。これを中庸というべきだ。もし町村で一人この道をふむ者があれば、人々はみんな分を越えた過ちを悟るだろう。

古語に「一家仁なれば一国仁に興る」というのはこのことだ。よく心得なければならない。

仁というのは人道の極地であるが、この湯ぶねの湯のようなものだ。これを手で自分の方へかき寄せれば、湯はこっちのほうへ来るようだけれども、みんな向こうの方へ流れてしまう。これを向こうの方へ押してみれば、湯は向こうへ行くようだけれども、やっぱりこっちの方へ流れて帰る。
少し押せば少し帰り、強く押せば強く帰る。これが天理なのだ。仁と言ったり義と言ったりするのは、向こうへ押すときの名前で、手前にかき寄せれば不仁となり不義となるのだから、気をつけなければならない。

古語に「己に克って礼に復(かえ)れば天下仁に帰す。仁をなす己による。人によらんや」とある。己というのは手が自分の方へ向くときの名前だ。礼というのは、この手を相手の方へ向ける名前だ。

だから私はつねづね、奪うに益なく譲に益あり、これが天理だと教えている。”

『世界に誇る日本の道徳力
     心に響く二宮尊徳90の名言』 石川佐智子 著


仁・義・礼などの教えを湯ぶねに例えて、分かりやすく言葉にされています。

「奪うに益なく、譲に益あり」、現在の社会通念としての経済の仕組みとは全く逆と言ってもよい考え方です。

お金や経済が悪いのではなく、それを使う者の心が映し出されているのが現在の社会ということも言えるのではないでしょうか。お金は便利で社会をスムーズに循環させるのには素晴らしいアイテムだと思います。しかし、これを目的とする人が多かったり、自分だけが…という人が世の中に多くいれば、現在のような社会になってしまうのではないかと思います。自分は…振り返って反省

東洋の、日本の物事の考え方、捉え方には素晴らしいものがたくさんあります。先人に学び、正しい、明るい未来を創っていきたいですね

二葉鍼灸療院 田中良和
コメント (2)
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