韓国プロ野球は本日開幕しました。
無観客で審判はマスク(口の)をしての試合進行となるそうです。
日本のプロ野球はいつ始まるのか、楽しみではありますが、今の状況では早急には難しいのかもしれません。政府が感染症対策に対して方向を少し変える状況になれば、プロ野球のみならずJリーグ等のプロスポーツも開始できるのかなと思っています。
本日は、子どもの日 です。
プロスポーツが開始され、早く子どもたちに夢ある現実を見せてあげて欲しいと願うばかりです。そのような流れになれば学校も再開され、高校野球も予定が立っていくのかもしれません。
さて、2018年に開催された第49回明治神宮野球大会~高校の部~をトレーナー活動記として振返らせていただいております。試合編はこれが最後となります。
第49回 明治神宮野球大会~高校の部~
決 勝 11月13日
星 稜 札幌大谷 (試合時間:1時間37分)
team 一 二 三 四 五 六 七 八 九 合 計
星 稜 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1
札 幌 0 0 0 0 0 0 2 0 X 2
この試合、相手の札幌大谷は準決勝の試合終了後、お弁当を食べながら前半だけ試合を観戦しました。
準決勝の相手は、九州地区代表の築陽学園高校。打線は少し大味なところはありますが16安打を放ち5得点(13残塁)。打撃力のあるチームです。また、この日の投手は太田君。アンダースローとサイドスローの間くらいだったと思いますが、そこそこ球威もあり変化球にもキレがあり、打ちずらそうでした。8回まで相手打線をノーヒットノーランで抑えていましたが、9回に連打を浴び2点奪われました。初出場ながら力のあるチームです。
星稜高校としては24年ぶりの決勝進出です。
決勝戦には過去3回勝ち進みました。第11回大会(昭和55年)は早稲田実業高校に勝ち優勝。第22回大会(平成3年)は帝京高校に勝ち優勝。そして24年前の第25回大会(平成6年)は創価高校に敗れ準優勝でした。星稜の決勝戦は全て東京地区代表に当たってるのです。
決勝戦については「打てなかった」それに尽きる試合でした。相手投手のエース西原君に1安打に抑えられました。ストレートの速度こそ対応できないことはなかったのですが、右バッターにはスライダー、左バッターにはチェンジアップ(確かそうだったと記憶)を織り交ぜながら、緩急とコースを巧みに投げ分けていました。結果、福本君(法政大学;準硬式)のレフトへのクリーンヒットのみでした。
優勝を狙える位置であったし、ここの優勝を目標にしていただけに、準優勝であっても納得のいかないものであったことでしょう。この悔しさ、自分たちには何が足らないのかということが、ここで認識でき、ひと冬をかけてさらなる目標を持って取り組めたことは、最終的なドラマの完結に向け、ここでの負けは大事な出来事であり、起こるべくして起こった結果なのかな~と後になって思いました。
先発は荻原君。昨日の準決勝、最終回での連続四球やホームランなどがありましたが気持ちを切り替えてこの試合に臨んでいました。彼のすごい所は、メンタル面が強いことです。あまり事に動じない。身体は大きくありませんが素晴らしい芯を持っている選手だといつも観ていて思います。
彼のピッチングは7回の3分の2。6回まで3安打無失点。星稜5回の攻撃では、わずか1安打を活かし荻原君みずからのスクイズで1点を挙げました。そんな流れでしたの我慢くらべのようなものでしたが、6回くらいから相手ベンチで指示があったのか荻原君の球にタイミングを合わせてくるようになりました。そして7回に札幌大谷打線に捕まってしまい、長短4安打を浴び逆転されました。
調子は悪くはなかったが勝ちぬくためには何かが足らない。彼もこの教訓を胸にひと冬の練習に取り組むことができ、寺沢君同様、大きく春から夏にかけて成長していきます。
その後、抑えはエースの奥川君(東京ヤクルトスワローズ)が1回3分の1を投げました。打者4人に3奪三振。彼が交代のためブルペンからマウンドへ出ていった時、球場の雰囲気がガラっと変わるのが分かりました。すごい選手だな~と改めて思いました。そして、上記のような仕事をあっさりとやってのけるのです(あっさりではないんでしょうけど)。
そんな彼が東京ヤクルトスワローズにドラフト1位指名されるとは・・・人生って面白いですね
それぞれの選手がスタッフが、もう一つ勝ち切るところの難しさ、欠けている部分、そしてこのチームの素晴らしい点など再確認できた大会ではなかったかなと感じます。
私は、おめでとうとは言いませんでしたが、彼らの戦いに心の中では「おめでとう」を送っていました。よくやったと思います。
24年ぶりの準優勝です。
ちなみに、前回、第25回明治神宮野球大会(平成6年)は・・・
準々決勝(1回戦) 北九州高校 12-0 7回コールド勝ち
準決勝 北海高校 6-2
決 勝 創価高校 3-6
という結果でした。
この年のエースは、1年生の山本省吾君(元 福岡ソフトバンクホークス)でした。
そうです。この翌年の平成7年夏の選手権大会では、東東京代表の帝京高校との決勝戦でした。平成元年同様、石川県初の深紅の大優勝旗を期待されましたが残念ながら1-3で負けてしまったのです。令和元年のチームと同じ軌跡を歩むんですよね~なんか不思議な感じがします。
第49回明治神宮野球大会~高校の部~、私のトレーナー活動記 試合編の振返りは終了です。
もう一遍はトレーナー活動編&番外編です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます