世の中は生と死が繰り返され成り立っています。人生の天寿を全うし、あるいは、天寿までいかない方もおられますが、人間社会の一翼を担い、社会を形つくってきた人々が身体のエネルギーを使い果たし「死」を迎えます。それがあるからこそ、新たに「生」を受けこの世に生まれてくる命にも意味が出てきます。そして、その新たな命が成長し、また、この世界の社会を形成していきます。
これは天地自然の悠久の流れであり、大自然の変えることのできない原則でもあります。
これからの社会、未来をつくっていくのは「子どもたち」です。その子どもたちの”身体”と”こころ”はどのような状況になっているのでしょうか。私たちにも子ども時代がありました。社会は変化しますので、それに伴い子どもたちの環境も変化していくでしょう。
現在、いじめ、非行、自傷行為、ひきこもり、親による虐待、最悪の場合には殺人や自殺などで奇跡的に授かった人間という尊い命を、その命を失うという悲しい状況が現代の子どもたちを取り巻く環境、社会の姿の大きな一面であると思います。
未来を担う子どもたちの環境を整え、その可能性を引き出すような明るい未来への方向性を示してあげるのが大人の役目であると思います。家庭において、地域社会において、行政において、政治において、日本において、世界において、そのような努力もなされていますが、大人がその役割果たしているかというと、そうでない場合が多いのではないでしょうか。
苦しい子どもたちの真の姿、心の叫びを受けとめ活動されている、”夜回り先生”こと水谷 修 先生、や”平成の駆け込み寺”と言われている西居院 住職 廣中邦充 先生がともに共通して言われることは、「子どもたちが悪いんではない、大人(親)がすべて悪いんだ」ということです。
さて、その社会というところも捉えつつ、成長期の子どもたちの「身体」と「こころ」を書籍を題材にして考えていきたいと思います。
◎思い通りにいかない虫捕りが、子どもを育てる
(養老)こりゃあひどいと思ったのは、京都駅に修学旅行の高校生が全員ベターッて座っているでしょ。
(池田)ああ、時々座っていますね。専用の待機所みたいなところがある。
(養老)それよ。何のためのスペースなのか、最近までわからなかったんだけど、まさか人間用とはね。動物って、常に次にどう動くかということを意識している存在なんだけど、あそこにしゃがみ込んでいる子どもたちには、その気配がまるでない。あれは、動物じゃないね、家畜だよ。指示されるまでは動いちゃいけないって、完全に調教されている。だから、立ちもしないでベターッと座っている。異様な風景です。
(奥本)だから、形のそろった農協のトマトやキュウリなんですよ。学齢以前から、そう教え込まれているんでしょうね。そもそも。今の母親がそうやって調教している。「○○しちゃいけません!」って、二言目には叱っている。
(養老)そうそう、それで思い出すんだけど、僕の友人に若原弘之君という、ラオスに住んでいる虫捕り名人がいてね。彼は、正反対なの。どういうことかというと、たとえば、山の中に若原君が捕虫網を持って、ぽっと立っている。見れば誰でもわかるんだけど。ただ立っているんじゃなくて、ふわっと立っているんですよ。歩くのも、ふわっていう感じ。
(奥本)仙人か忍者みたいな男ですから。
(養老)そうそう。気になって、しばらく見ていたことがあるけど、山の斜面の上りでも下りでも同じなんだ。歩調がまったく変わらない。当たり前のことだけど、チョウって、どこから飛んでくるか分からないじゃない?後ろから頭越しに来るか、前から飛んでくるか。どこから現われても、いちばん楽に網を出せる体勢って、そういう「ふわっ」の姿勢なんですよ。どこにも力が入っていない。
(奥本)いわゆる自然体。
(池田)虫捕りの基本です。
(養老)そうか、基本かぁ(笑)。でね、武道家も同じことを言うんですよ。それを古武道の用語では「居着かない」と言うらしい。その場にベターッと居着いていない。次の動きが常に予想されているあり方ですよね。素人が剣を構えると、相手の次の動きを一方向しか予想できない。ところが達人の武道家になると、相手がどこから来てもいいという構えになる。それを「隙がない」と言うわけです。ああいう立ち方をしている男がいると、昔はヤクザも避けて通ったんですよ。
(池田)ヤクザも避ける虫捕り名人(笑)。
『虫捕る子だけが生き残る』 養老孟司 池田清彦 奥本大三郎 対談集
人に言われたこと、他人から指示を受けたこと、これを守って行動することは大切なことです。しかし、今、自分がどんな状況におかれていて、周囲の環境をどんな感じで、次にどうしたらいいかということを、自分で判断し行動できるという能力は、現代の子どもたちに身についているでしょうか。
こうしちゃダメ、あそこへ行ってはダメ、これは禁止、家庭や地域、あらゆる社会において多くの規制に縛られているのが現状です。規制の中で、いわゆるいい子にしていれば楽ではあります。しかし、そこには好奇心や冒険心、問題意識など実践から学ぶべき智慧や応用力を養う力が失われていきます。
虫捕り名人や武道の達人の話で出てきたように、不測の事態、想定外の事態に、身体やこころが、自然に無理なく対応できるためには、やはり身体を動かすことが大切なのだと思います。成長期の子どもの頃にそれを養うには、身体を使っての”遊び”、自然の中で行う“遊び”が必要なのだと思います。
そこに、失敗があり、思い通りにならないことが世の中にはあることを知り、それでは、どう打開していくかという目的意識や智慧がつき、さらに実践することで、身体もこころも養われてくるのだと感じます。
また、虫捕り名人と武道の達人の共通する身体の要素としては「身体に力みがなく、どんな状況の変化にも対応できる自然体」があると思います。これは科学的にも筋肉を柔軟に使うことができ、力を入れずにパワーを発揮できる筋肉の反射(伸長反射)を存分に使いこなせる状態と言えます。ということは自分の力以上のパフォーマンスを引き出すことにも繋がっていくのです。この状態は、非常に脳がリラックスした状態と言えるのだと思います。
このような身体やこころをつくるためには、たとえば野球やサッカー、バスケなどスポーツにしても、練習だけ行っていればいいというものではなく、日常の何気ない動作や行動が大事であり、それを養うには自然の中で遊び、大自然の中から様々なことを学ぶことが必要だと感じます。
長くなりましたので、続きはパート2で書きたいと思いま~す
二葉鍼灸療院 田中良和
これは天地自然の悠久の流れであり、大自然の変えることのできない原則でもあります。
これからの社会、未来をつくっていくのは「子どもたち」です。その子どもたちの”身体”と”こころ”はどのような状況になっているのでしょうか。私たちにも子ども時代がありました。社会は変化しますので、それに伴い子どもたちの環境も変化していくでしょう。
現在、いじめ、非行、自傷行為、ひきこもり、親による虐待、最悪の場合には殺人や自殺などで奇跡的に授かった人間という尊い命を、その命を失うという悲しい状況が現代の子どもたちを取り巻く環境、社会の姿の大きな一面であると思います。
未来を担う子どもたちの環境を整え、その可能性を引き出すような明るい未来への方向性を示してあげるのが大人の役目であると思います。家庭において、地域社会において、行政において、政治において、日本において、世界において、そのような努力もなされていますが、大人がその役割果たしているかというと、そうでない場合が多いのではないでしょうか。
苦しい子どもたちの真の姿、心の叫びを受けとめ活動されている、”夜回り先生”こと水谷 修 先生、や”平成の駆け込み寺”と言われている西居院 住職 廣中邦充 先生がともに共通して言われることは、「子どもたちが悪いんではない、大人(親)がすべて悪いんだ」ということです。
さて、その社会というところも捉えつつ、成長期の子どもたちの「身体」と「こころ」を書籍を題材にして考えていきたいと思います。
◎思い通りにいかない虫捕りが、子どもを育てる
(養老)こりゃあひどいと思ったのは、京都駅に修学旅行の高校生が全員ベターッて座っているでしょ。
(池田)ああ、時々座っていますね。専用の待機所みたいなところがある。
(養老)それよ。何のためのスペースなのか、最近までわからなかったんだけど、まさか人間用とはね。動物って、常に次にどう動くかということを意識している存在なんだけど、あそこにしゃがみ込んでいる子どもたちには、その気配がまるでない。あれは、動物じゃないね、家畜だよ。指示されるまでは動いちゃいけないって、完全に調教されている。だから、立ちもしないでベターッと座っている。異様な風景です。
(奥本)だから、形のそろった農協のトマトやキュウリなんですよ。学齢以前から、そう教え込まれているんでしょうね。そもそも。今の母親がそうやって調教している。「○○しちゃいけません!」って、二言目には叱っている。
(養老)そうそう、それで思い出すんだけど、僕の友人に若原弘之君という、ラオスに住んでいる虫捕り名人がいてね。彼は、正反対なの。どういうことかというと、たとえば、山の中に若原君が捕虫網を持って、ぽっと立っている。見れば誰でもわかるんだけど。ただ立っているんじゃなくて、ふわっと立っているんですよ。歩くのも、ふわっていう感じ。
(奥本)仙人か忍者みたいな男ですから。
(養老)そうそう。気になって、しばらく見ていたことがあるけど、山の斜面の上りでも下りでも同じなんだ。歩調がまったく変わらない。当たり前のことだけど、チョウって、どこから飛んでくるか分からないじゃない?後ろから頭越しに来るか、前から飛んでくるか。どこから現われても、いちばん楽に網を出せる体勢って、そういう「ふわっ」の姿勢なんですよ。どこにも力が入っていない。
(奥本)いわゆる自然体。
(池田)虫捕りの基本です。
(養老)そうか、基本かぁ(笑)。でね、武道家も同じことを言うんですよ。それを古武道の用語では「居着かない」と言うらしい。その場にベターッと居着いていない。次の動きが常に予想されているあり方ですよね。素人が剣を構えると、相手の次の動きを一方向しか予想できない。ところが達人の武道家になると、相手がどこから来てもいいという構えになる。それを「隙がない」と言うわけです。ああいう立ち方をしている男がいると、昔はヤクザも避けて通ったんですよ。
(池田)ヤクザも避ける虫捕り名人(笑)。
『虫捕る子だけが生き残る』 養老孟司 池田清彦 奥本大三郎 対談集
人に言われたこと、他人から指示を受けたこと、これを守って行動することは大切なことです。しかし、今、自分がどんな状況におかれていて、周囲の環境をどんな感じで、次にどうしたらいいかということを、自分で判断し行動できるという能力は、現代の子どもたちに身についているでしょうか。
こうしちゃダメ、あそこへ行ってはダメ、これは禁止、家庭や地域、あらゆる社会において多くの規制に縛られているのが現状です。規制の中で、いわゆるいい子にしていれば楽ではあります。しかし、そこには好奇心や冒険心、問題意識など実践から学ぶべき智慧や応用力を養う力が失われていきます。
虫捕り名人や武道の達人の話で出てきたように、不測の事態、想定外の事態に、身体やこころが、自然に無理なく対応できるためには、やはり身体を動かすことが大切なのだと思います。成長期の子どもの頃にそれを養うには、身体を使っての”遊び”、自然の中で行う“遊び”が必要なのだと思います。
そこに、失敗があり、思い通りにならないことが世の中にはあることを知り、それでは、どう打開していくかという目的意識や智慧がつき、さらに実践することで、身体もこころも養われてくるのだと感じます。
また、虫捕り名人と武道の達人の共通する身体の要素としては「身体に力みがなく、どんな状況の変化にも対応できる自然体」があると思います。これは科学的にも筋肉を柔軟に使うことができ、力を入れずにパワーを発揮できる筋肉の反射(伸長反射)を存分に使いこなせる状態と言えます。ということは自分の力以上のパフォーマンスを引き出すことにも繋がっていくのです。この状態は、非常に脳がリラックスした状態と言えるのだと思います。
このような身体やこころをつくるためには、たとえば野球やサッカー、バスケなどスポーツにしても、練習だけ行っていればいいというものではなく、日常の何気ない動作や行動が大事であり、それを養うには自然の中で遊び、大自然の中から様々なことを学ぶことが必要だと感じます。
長くなりましたので、続きはパート2で書きたいと思いま~す
二葉鍼灸療院 田中良和
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