先日、偶然にも 運命的に 出会った方から 本日のお題にもなっている『小さき声のカノン-選択する人々』の前売り券を購入しました
これは「映画を観に行きなさ~い」と神様からのお告げかな~と思い、先日、診療が終了後ダッシュで金沢シネモンドの方に向かいました。
この映画の、鎌仲ひとみ監督とは2度ほど映画上映の際のトークショーでお会いしたことがあります。『六ヶ所村ラプソディー』や『ミツバチの羽音と地球の回転』を観賞した時だったと思います。
鎌仲監督は、世界や日本で起きている「被ばく」の実態をドキュメンタリー映画として制作し、その現状を日本のみならず世界の皆様に訴えかけています。
私はこの監督の映画が好きなんですよね なぜ好きかというと、その被ばくの現状を、現地へ行き、現地の生の声、今回の映画のように、一人一人の小さな存在・声に耳を傾けているところです。また、そこで起こっている事実と事実を繋ぎ合わせて、その真実を浮き彫りにして、未来に向けて何をどう考え、行動していったらいいのかということを問題提起されています。
私は、西郷隆盛さんや松下幸之助さん、稲盛和夫さんなどが大好きであり、その著書等には感銘を受けます。なぜかそれは実践から生まれた言葉であり伝記であるからです。空想や机上でものを言うのではなく、紆余曲折ありながら、他人を思いやる愛の精神に裏打ちされた実践により道を切り開き、社会の明るい未来の礎となる行動を行っているからです。
その言葉には重みがあり、輝きがあります
鎌仲監督の映画にも、そのような雰囲気を感じます。そして、あくまでも一人一人では弱い小さな存在である人たちの立場に立った観点から映画が制作されています。さっきも言いましたかね 未来の日本や世界を創る子どもたちに何を残していったらいいのかということが何よりの原点なのかなと思います。
美しい地球という環境をいただき、その恩恵において生活させていただいている人間だからこそ、未来に不安や危険を残すような行為や状況は、その原因をつくった大人(政治家や官僚、国民一人一人も含めて)が「今」問題を解決しておかなければいけないのだと思います。
そんなことで、メモはしていないのでランダムになるかと思いますが、この映画の感想を少し書いておきたいと思います
4年前の3.11.福島第一原発事故当時、セシウム等の放射能汚染に関する情報は分かっていたのか、分からなかったのか政府からはまったく出されませんでした。しかし米国はいち早く原発から周囲80km圏内の米国人に避難勧告を出したようです(これは映画の中にはありませんが)。これもおかしな話ですが、このスタート時点からも「被ばく」に関しては、政府や国が全面的に被災者や被ばく地(海)に責任をもつべきだと思います。
これは金銭的云々はもとより、土壌や海洋を汚染しないため、国民とくに妊婦、子どもたちの内部被曝を極力防ぐために、官民一体となるべきだと思います。映画の全編にわたり感じました。
被災者の被ばく状況や甲状腺疾患等、病気とのかかわりについて、その説明会の場面が少し映像に流れました。行政など説明する側には医科大学の担当者などもおりましたが、住民側と行政側のあまりにも温度差の隔たりを感じました。冷戦時代のソ連とアメリカか 地球人と火星人か くらいに違う人間に視えたのは私の目の錯覚でしょうか。
福島県二本松市に真行寺という寺院があります。そこには幼稚園が併設されており約100名が在籍しています。ここのお寺の佐々木さんご夫婦の取り組みが紹介されていました。ご主人さんの言葉の「未来の子どもたちのために、今、できることはたくさんある。できることをやっているだけ」が印象的でした(覚え書きですので、少し言葉が違ってたら許してくださ~い)
その甲斐あって、幼稚園では園児が外で遊べるくらいの放射線量になったようです。佐々木さんだけでなく、この二本松市で生活していくと覚悟を決めた皆様は、そうしておられる人が多いのかなと思います。
子どもは大人よりも放射線に対しては敏感です。同じ線量なら子どもが被ばくする程度が大きくなります。であるのに政府は、原発事故前まで年間被ばく許容量が1ミリシーベルト、原発作業を行う人で20ミリシーベルトだったものが、一般の人が20ミリシーベルトまで大丈夫とした。チェルノブイリ原発事故のあったベラルーシでは今も1ミリシーベルトである。何を考えて政府はこの値に許容量をあげたのか疑問です。子どもたちの将来のことを本当に考えているのか
真行寺の佐々木さんの奥様の取り組み。外部被ばくは仕方ないとしても、子どもを内部被ばくから守りたいということで、食材に関しても、多くの方の寄付で食材の中に含まれる放射線量を測定する機会を導入した。できるだけ放射能汚染されていない食材を子どもたちに提供したい。そして同じお寺さんの繋がりなど全国から多くの野菜などの食材が真行寺に届けられる。その放射能汚染されていない食材を皆様に食べて頂こうと、全国から集まった食材を幼稚園に来て頂いているご家族や周辺の人たちに配る活動をしている。そこに「ただ分けてもらうだけでは申し訳ない」とお手伝いをするママたちの集まりが自然とでき、☞ママレンジャーの誕生ということでした。
ママレンジャーは子どもを出来る限り内部被曝から防ぎ守るママのチーム。そんな活動の和が少しずつ広がる、少しずつ。が、繋がりは強い。そして何よりも子を思う親の気持ち、命を守る母性の繋がりは、男の社会とは違う強さを感じた。そして、なぜ周囲から何を言われようとも信念をもって行動するか・・・ママたちは涙ながらにインタビューに答えられています。この涙が様々な心の内情を映し出してくれます。本当に真剣に一所懸命。そして、それは猪突猛進ではないということ。
でもダメでしょう 被ばくした子どもたちは、今後も生涯、甲状腺の検査を続けていかなければならないのです。こんな小さなうちから定期的に検査を行い、自分の中にある病気になるかもしれないという不安や、もし腫瘍等が見つかった場合、それなりの処置をしないといけない。我が石川県も例外ではないですが、原発がある土地の周辺で「想定外の」事故が起きたとき、このようなことが起こりうる可能性があるということです。そんなエネルギーシステムを継続していっていいのか、そこが問題だと思う。今、原発を止めても、すぐには原子炉は活動を止めないのだから・・・そのことは、福島第一原発の各原子炉の対応が遅々として進まない現状をみても理解できると思います。原子炉を処理する技術があるのかどうかすら疑問となる。
チェルノブイリの子どもたちの現状をみると必ず原因不明の身体症状等を発症する確率が多くなる。福島市から子どもを連れて移住を決意した女性は、自分の子供が踵が痛いと言いだしたという。単なる一過性の痛みだと思ったが、運動会があった日、競走でいつも足の速い子がいて1位がとれないのに、その年はとってきたという。聞いてみると毎年1位の子が「踵が痛かったから走れなかった」という。そんな症状が他の子にも多くみられたようだ。これはチェルノブイリの後、子どもたちにみられた「骨が痛い」という症状と同じだという。行政は空間線量は大丈夫だから、外で遊んでも、体育をグランドで行ってもいいという。自分や子ども守るのは自分であり、親の責任。そんなことがあればきっと移住する人も多くあるでしょう。
政府は比較的線量が低い福島県内に戻ったときには、一人60万だったか90万円だったか補償するということだった。そんなのはやめて欲しいと思う。それなのに多くの今後の生活等の補償については政府も東電も真剣に考えていない。まだまだ苦しんでいる人たちが大勢いる。
被ばくした子どもたちの内部被曝を防ぎ、少しでも内部被曝量を減少させる方法に「保養」がある。保養を行う事で一定量の放射線を排出できることはチェルノブイリの子どもたちのデータからも分かっているようだ。少数派だが子どもの命、将来を考え保養を行うご家族(ママと子ども)の様子が映像にも映しだされていた。家族が離れ離れに暮らさなければいけない子どもへの後ろめたさ、今後の不安、夫を地元へおいて来ている不安、葛藤、そんなお母さんの心に渦巻く様々な気持ちをインタビューでも話されていた。こちらも泣きそうになった。
また、チェルノブイリ原発事故で被ばくした子どもたちを受け入れて「保養」を行ってきた”NPO法人チェルノブイリのかけはし”代表の野呂さんの話や取り組みも映像にあり、たいへんなことだと感じた。取り組み自体もさることながら、人間がつくり出した放射線によって被ばくした人の線量をさげるのはたいへんなことなんだと思った。
ベラルーシでは、この「保養」を含め、放射線の内部被曝を改善させる取り組みを、NPO団体(民間)や政府・行政が協力して行っている。今では・・・。日本もそうなって欲しい。会社側である当時の東電責任者(社長や役員)も裸一貫になるつもりで真剣に問題に取り組んでほしい。
ベラルーシでは、体内の放射能除去は薬では効果がないと分かり、光線やイオン、温熱、マッサージなど、その子どもの症状に応じて、様々に身体によい効果を及ぼす治療方法を組み合わせて行う施設をつくり、そこで症状が現れている子どもたちの治療を行っている。
チェルノブイリ原発事故から4年が過ぎたころから、子どもたちの身体症状が増加してきた。福島第一原発事故から4年が経ち、今後の被ばくしたあるいは、その可能性がある子たちの状態が気になるところであるが、そのあたりは、ベラルーシ政府等の活動など学ぶべきところを学び政府、行政には対応していただきたい。と感じた。
ベラルーシの甲状腺検査等のスクリーニングシステムはチェルノブイリ事故当時、日本の医療団が中心となってつくったシステムである。市の?担当者は、そのことを日本人にインタビューされるのが不思議だと言われていた。日本では、不測の事態に備えて、そんなことは準備されているものだと思っていたと理解も可能は一言であった。
この映画は、単なる反原発という単純なものではなく、事故が起こった後はこんな風になるんだよ、こんな苦労を被ばくさいた住民は体験するんだよという記録であり、教科書的な意味合いもあるのだろうと思います。全国に55基だったかある原子炉周辺で起こりうる出来事と捉え、日本の国民一人一人が考え、認識しておく問題かなと感じた。
機会があれば 『小さき声のカノン-選択する人々』を観て、考えていただきたいな~と感じました
いい映画ですよ
長文章お読みでいただき、ありがとうございます
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