四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
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-空白の短歌史- 「綜合詩歌」誌鑑賞(4)

2021年10月24日 18時57分57秒 | 短歌

戦時下、空白の短歌史を掘り起こす (その4)
「秋桜の揺らぎ」

 遥かに東京湾を望む丘と森とからなる横須賀久里浜緑地。その谷戸一面を覆う百万本を越えると言われるコスモスは、未だ炎暑の名残を留める残照の中に淡あわと浮かんでいる。その花群れは夕陽の想いを語り合うかのように揺らぎ、薄紅のさざ波を谷戸に立てている。儚げに見えるコスモスは、幾たびかの風雨にもめげずしなやかな茎と、たくましい根を荒地に張って毅然と立つ花でもある。

 戦に明け暮れた戦国の世から、第二次大戦に至る歴史の底で男たちの誉れと夢を支えたおみな達。それゆえに男たちの胸に去来する夢の愚かしさと哀しみを、その胸に静かに受け止めてきたのかも知れない。その戦時下のおみな達の健気さは、コスモスの儚げな風情に秘められた、しなやかな揺らぎに重なって見える。

 昭和十八年二月。ソロモン群島ガダルカナルでの敗戦により、日本軍は戦局の主導権を米軍に完全に奪われる状況に陥った。さらに、七月七日サイパンの陥落により、日本本土は米軍の長距離爆撃機B-29の爆撃圏内となった。
 このような戦局悪化の情勢下、昭和十八年十一月に発行された「綜合詩歌」十一月について、前号に引き続き鑑賞、紹介を行って行きたい。

 当月号に作品を寄せられた代表的歌人は、斉藤史、筏井嘉一、野村泰三を含む十八名の方々である。これらの作品の中から、時代の苦悩を一人の表現者として真摯に受け止め表出した歌、さらに、惨い歴史に刻まれた先達の足跡として受け継いで行きたい歌を中心に、僭越ながら抄出させて頂いた。

北辺              斉藤 史
  ○ 一兵もあらざる島に振られたる日の丸あなや神顕(た)ちたまふ
  ○ うつつなす将士の魂が呼ぶ声の萬歳とまさに聞えたらずや
  ○ アッツ島に凝りしみたまがさきがけて護りたまふぞ北の国辺を

山荘日暮            神山哲三
  ○ ソロモンに神怒りますみいくさの烈しきさまは忘れて思へや
  ○ 釣橋のながながと写したる流れに向きて朝の息吸ふ
  ○ きびしかる世相となりて山畑の手入れ一しほ楽しくもあるか

原寸図             泉 四郎
  ○ 窓枠に移れる秋のゆたかさに受感はけふのよき原寸図
  ○ 相模野の狭間のつつみの曼珠沙華風に明るき対比といはめ
  ○ 底ぶかく轟きこもる波の音ききとどめゐて夜目にはてなし

一粒も            筏井 嘉一
  ○ おもへ子らこれ一粒の米ながら天地のめぐみ人の労あり
  ○ 配給に平らされくれば隣組おなじくらしをさやけみ睦ぶ
  ○ 貧しさに敢えてわがするやりくりの国に添ふらしいくさつづけば

秋深む            谷山 つる枝
  ○ もんぺにて都心へかよふことなどもわが今日の日のすなほさにして
  ○ きびしかる日々に生くれば一きれの薩摩藷にもあふれ来るもの
  ○ つぎはぎの敷布にうから事足りてけふにぞ生くるまた深きかな

至情              野村 泰三
  ○ 戦局になにの憂ひや燃ゆる血を秘めてしずけし銃後に生くる
  ○ たぎる血のいのちの若さ不可能を可能とすべし身ぶるひや斯の
  ○ 早稲みのる狭田の畔の曼珠沙華炎のごとしわが眼に咲けり


 抒情詩としての短歌は本質的に、詠嘆であり、感動であり、慟哭を秘めた叫びであると言える。苛烈さ極まる戦時下に紡がれたこれらの歌群より聞こえてくる澄明な響き、その意味を真摯に受け止め、改めて味わっていきたい。
 特に谷山つる枝氏の「秋深む」一連は、自らの日常および、体験の詩的昇華を思わせる澄んだ響きとともに、戦時下にあってなお、真の豊かさとは何かを私たちに問いかける迫力を秘めている。

 当月号には古典抄として賀茂真淵の「歌意考」を始めとした優れた歌論が掲載されているが、入門的歌論とも言える「随筆寸筆」より一部抜粋し、歌友諸兄の参考に供したい。

調べのこと
               長谷川 富士雄
 「歌は感動を表現したものである。これも判りきったことであるが、その感動は一体どうして表現されるか。それは歌っている事柄の意味と、一首の調べとによって現されるのである。これも判りきっている筈である。ところが実際にはそうはいっていない。意味は別におくとして、調べにおいて、とても舌にのって来ないものがある。なる程、五七五七七と三十一音にはなってはいる。しかし、歌の調べはそんなものではない。
やはり実際に、舌頭千転といって本当に声に出して詠んでみて、その内容になっている心情、意味とが一致した調子を伴ってくることが大切である。調べこそ歌の命である。

 その証明に万葉集の歌をみても、事柄、意味としてとりたてて面白さも妙味もなくても、なお今日に愛誦されているものには、調子のよさ―内容と合致した―ひとつによるものが随分と多いではないか。調べを会得するためには萬葉集を読む事が先ず第一である。そして暗誦しなくてはいけない。今の人は萬葉集を読むというと意味内容にばかりとらわれるが、私はそんなことは末のことで、先ず初めは声に出してせっせっと舌頭千転、誦みに誦むことが何よりだと思っている。」


 萬葉集を声をだして読もうという呼びかけも含めて、その調べを会得することの重要性を説く長谷川氏の論に、見解を異にされる方もおられると考える。しかし、私たちが作歌をする上で、踏まえるべき一つの基本として理解していきたい。

 当月号には、これらの歌論とともに前号に引き続き、三島吉太郎、金井章次、吉植庄亮、大野勇二、熊倉鶏一、泉四郎および、野村泰三の各氏が論文、随筆、歌論、試論、評論等々を寄せている。これらの論文、随筆、評論のなかから資料的に貴重なもの、あるいは時代を越えてなお、心に響いてくる記述を抜粋し「語録」として掲載したい。

農村青年の歌                吉植庄亮
 ・・・明治、大正歌壇のいわゆる歌壇人の作品と、昭和の無名農民歌人の作 品とを比較して見るときに、明治、大正の所謂歌人のもっていなかつたものを、昭和の無名農民歌人はふんだんに持っている。それは即ち土の臭い、汗の臭いであって、長塚節が働きながら勤労を美化しようとつとめているのに比べて、これらの農民はひたすらに農民道をゆきつつ、ただ土まみれになって働きつつ詠っている。この態度は古今、新古今以来長塚節まで持っていなかったものである・・・。

周辺随想                   野村 泰三
 ・・・日本民族と共に存在し、そのあらゆる面に生まれる短歌作品の批評を為すもの、秀歌を求める者は一層広く社会全体にその対象を得なければならぬ。
 主要歌人が知られたる歌人の作品のみでなく、有名無名歌人の作品、更に一層広い面から秀歌を発見すべく、又秀歌を詠み出し得るであろう素質を持つ新人を得るべく、一段の努力を重ねることを希求して已まぬ。そこにこそ真に歌壇の向上がある。

「詩の道」によせて             熊倉 鶏一
 ・・・短歌の性格は個の文学であると同時に全の文学である。しかも身を以って行ずる体験の文学である。徒らなる大言壮語や切歯扼腕ばかりが短歌ではない。常に高度の詩精神を持して各自個性の練磨を怠ってはならないと思う・・・。


 作歌の姿勢、歌評のあり方、さらには個性、感性を磨くことの重要性等を、これら先達の
提言より学んで行きたい。

 戦局が厳しさを増す中でも、本誌の会員は月を追って増加しており、新たに入会を紹介された会員も59名を数えている。これら会員の出詠歌の中から紙面の許す限り抄出したい。

 ○ 曇りなき月を見るにも思ふかな明日はかばねの上に照るやと   吉村寅太郎
 ○ へだたりて君のゐる辺をとほ山の雲のゆくへとおもひつつをり  竹町 俊
 ○ あからさまに詠めぬいのちの明暗にわれつつましく耐えて息づく 北村伸子
 ○ 時折のいとまに折りし千代紙の鶴に心ふれてたのしむ      河本文子
 ○ 早や幾たび遺書を書きしと事もなげに軍事郵便に覚悟を語る   鈴木 俊
 ○ 折々に立ち眩みなどありといふ土に荒れたる父の手をみる    小菅嘉之
 ○ 女の生命あわれひそかに炎えしめて哀しき人は去り給ひけり   菅野貞子
 ○ 生まれしは男の子と書きしわが文を父なる人の読ますいつの日  廣田博子
 ○ 泣く程の思いにたえて木犀の花を仰ぎしこともありしが     秩父ゆき子
 ○ けふよりは父帰り来ぬ寂しさに母なき子等の哀れさを増す    高畠てう子
 ○ 寝つかれぬこの夜もすがら泣き明かしいまさむ友を吾は偲びつつ 田中花子
 ○ 一人子を失ひませる父上の心いかにと日々を思ひぬ       加藤シゲ子
 ○ 朝顔の真白の花のふれ合ひに何気遣ふや征くとふ兄を      飯塚 清


 歴史が大きく揺れ動くとき、そこには滾る血を沸かす男達の少なからぬドラマが生まれる。
しかし先の太平洋戦争は学徒出陣を初め、時代の青春を壊滅的な状況に晒した。さらには沖縄、広島、長崎は言うに及ばず非戦闘員を含む310万名を越える貴重な人命を奪い、ドラマと呼ぶにはあまりに過酷で悲惨な終章を迎えた。

 この人間の消耗戦とも言える過酷な時代。その中で愛する夫を、さらにはわが子をも涙を隠して戦場に送り出さねばならなかったおみな達は、二重の苦悩を強いられた。その苦悩と葛藤ゆえに、大本営発表に象徴される男達の虚像と、そこに透けて見える哀しみを見抜きながら、銃後の生活を護るため懸命に、健気にも闘い生き抜いた。この「もう一つの戦場」を戦い抜いたおみなたちの生き様と、抑えた思いが、これらの歌群の中から滲み溢れてくる。

 遠い戦場で倒れた夫を、わが子を思い、こらえきれずに涙を流したおみなたち。それを家々の庭隅で見つめていたであろうコスモスは、揺らぎつつ彼女達へ静かな励ましを送っていたのではないだろうか。

 どんな荒地にあっても、しっかりと大地に根を張り厳しさを微塵も見せないコスモス。その花の表情に、戦さ場に耐え敢えて浮かべたおみな達の微笑が重なる。寂しさや哀しみをかみ殺し押し包んだそんな微笑を再び見たくない。そんなコスモスの呟きがかすかに聴こえてくる。残照に染まりながら、うねる様な揺らぎを繰り返すコスモスに包まれながら、決して遠くない母達の時代を思った。
               了
                       初稿 平成19年9月29日

コメント (4)
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