過日、満開の桜に誘われて横須賀市走水にあります「走水 水源地公園」へ細君と共に
花見に行って参りました。いつもは、この隣にある湧水を汲みに車で来るのですが、
当日は散歩を兼ねて5kmほどの道のりを徒歩で行って参りました。
この公園は、自然海岸の走水海岸に隣接し、磯の香りとともに東京湾を一望でき、桜は
染井吉野や大島桜等約150本近くあり、当日はまさに満開の状況で、ウイークデーにも
関わらずかなりの人出でした。
「咲き競う桜 染井吉野」
私たちも、それぞれ桜や、海、さらに花見に饗する皆さんの姿をカメラにおさめたり、
久しぶりのフカフカとして心地よい、芝生の上の散歩を楽しみました。
また、途中のスーパーで購入したお弁当を頂きのんびりとした花見のひと時を過ごす
ことが出来ました。なお、ここは海辺の公園でもありますので、トンビにしばしば食べ物を
さらわれる危険があり、所々で悲鳴が上がっていました。私たちは松の木陰に陣取り、
トンビの飛行ルートの二方向を遮断していましたから被害は特になかったです。
「走水 水源地公園」
青い海を眺めながら花見を楽しむ方々の楽しそうな表情を見るにつけ、このひと時でさえ
砲弾の雨の中、命の危機にさらされているウクライナの皆さんを想うと胸が締め付けられる
ように痛みます。とにかくロシアの侵略戦争をやめさせ、停戦が一刻も早やからんことを
心から祈りたいと思います。
この水源地公園は、市内随一の桜の名所であり、昨年から都市公園として整備されています。
かつては、桜の開花期のみ開放されていた芝生広場は、今年の2月15日から開放されて、
JR横須賀駅から、馬堀海岸を経て観音崎までの遊歩道「1万メートルプロムナード」の
一部に位置しております。市としても新たなにぎわいの場としたいようです。
また、走水水源地は、明治9年、フランス人技師ヴェルニー指揮のもと、日本の近代化が始まった
横須賀製鉄所(後の造船所)の用水として使用したことに始まる歴史ある水源地です。
一日約1,000立方メートル涌き出る水はミネラルを豊富に含み、「ヴェルニーの水」と名付けられ
美味しいことで有名です。 私たちも週一回ほど、この水をポリタンクで採取しコーヒー用として
頂いています。
この「走水」の地名の由来は、遠く古事記の時代にさかのぼります。
古事記の記述によりますと・・・、
日本武尊は、上総国へ軍船でいっきに渡ろうと船出されましたが、突然強い風に襲われ、
海は荒れ狂い軍船は波にもまれ進むことも戻ることもできず転覆寸前の危機に見舞われました。
その時、日本武尊に付き添ってこられた御后の弟橘媛命が「このように海が荒れ狂うのは、
海の神の荒ぶる心のなせること、尊様のお命にかえて海に入らせて下さい。」と告げ、
「さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」
と、辞世の御歌を残し、海中に身を投じられました。すると、たちどころに海は凪ぎ
風は静まり日本武尊一行の軍船は水の上を走るように上総国に渡ることが出来ました。
以来、水走る「走水」と言われるようになったとのことです。
「弟橘媛命の歌碑 ネットから拝借しました」
この日本武尊と、弟橘媛命を御祭神とする「走水神社」は、水源地の裏側の丘陵の一角に
あり、弟橘媛命の辞世の御歌の歌碑も建立されています。
花見に行って参りました。いつもは、この隣にある湧水を汲みに車で来るのですが、
当日は散歩を兼ねて5kmほどの道のりを徒歩で行って参りました。
この公園は、自然海岸の走水海岸に隣接し、磯の香りとともに東京湾を一望でき、桜は
染井吉野や大島桜等約150本近くあり、当日はまさに満開の状況で、ウイークデーにも
関わらずかなりの人出でした。
「咲き競う桜 染井吉野」
私たちも、それぞれ桜や、海、さらに花見に饗する皆さんの姿をカメラにおさめたり、
久しぶりのフカフカとして心地よい、芝生の上の散歩を楽しみました。
また、途中のスーパーで購入したお弁当を頂きのんびりとした花見のひと時を過ごす
ことが出来ました。なお、ここは海辺の公園でもありますので、トンビにしばしば食べ物を
さらわれる危険があり、所々で悲鳴が上がっていました。私たちは松の木陰に陣取り、
トンビの飛行ルートの二方向を遮断していましたから被害は特になかったです。
「走水 水源地公園」
青い海を眺めながら花見を楽しむ方々の楽しそうな表情を見るにつけ、このひと時でさえ
砲弾の雨の中、命の危機にさらされているウクライナの皆さんを想うと胸が締め付けられる
ように痛みます。とにかくロシアの侵略戦争をやめさせ、停戦が一刻も早やからんことを
心から祈りたいと思います。
この水源地公園は、市内随一の桜の名所であり、昨年から都市公園として整備されています。
かつては、桜の開花期のみ開放されていた芝生広場は、今年の2月15日から開放されて、
JR横須賀駅から、馬堀海岸を経て観音崎までの遊歩道「1万メートルプロムナード」の
一部に位置しております。市としても新たなにぎわいの場としたいようです。
また、走水水源地は、明治9年、フランス人技師ヴェルニー指揮のもと、日本の近代化が始まった
横須賀製鉄所(後の造船所)の用水として使用したことに始まる歴史ある水源地です。
一日約1,000立方メートル涌き出る水はミネラルを豊富に含み、「ヴェルニーの水」と名付けられ
美味しいことで有名です。 私たちも週一回ほど、この水をポリタンクで採取しコーヒー用として
頂いています。
この「走水」の地名の由来は、遠く古事記の時代にさかのぼります。
古事記の記述によりますと・・・、
日本武尊は、上総国へ軍船でいっきに渡ろうと船出されましたが、突然強い風に襲われ、
海は荒れ狂い軍船は波にもまれ進むことも戻ることもできず転覆寸前の危機に見舞われました。
その時、日本武尊に付き添ってこられた御后の弟橘媛命が「このように海が荒れ狂うのは、
海の神の荒ぶる心のなせること、尊様のお命にかえて海に入らせて下さい。」と告げ、
「さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」
と、辞世の御歌を残し、海中に身を投じられました。すると、たちどころに海は凪ぎ
風は静まり日本武尊一行の軍船は水の上を走るように上総国に渡ることが出来ました。
以来、水走る「走水」と言われるようになったとのことです。
「弟橘媛命の歌碑 ネットから拝借しました」
この日本武尊と、弟橘媛命を御祭神とする「走水神社」は、水源地の裏側の丘陵の一角に
あり、弟橘媛命の辞世の御歌の歌碑も建立されています。