四季の彩り

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「春秋」(「綜合詩歌」改題)誌鑑賞(13) 「白萩の浪」

2022年09月11日 09時55分21秒 | ボランティア

―戦時下、空白の短歌史を掘り起こす その13―
    「白萩の浪」

 「古典太平記」に乱舞するつわもの達の哀史。源氏一門の新田義貞に攻め込まれ、北条一族ことごとく自刃して果てた地、鎌倉宝戒寺。ここはまた、坂東武者たちの夢を乗せて、源頼朝が打ち立てて150年余続いた鎌倉幕府滅亡の象徴の地でもある。執権北条の怨念に満ちた呻きが聞こえてきそうな、静寂が包む寺域一面は白萩の群生に埋まっている。
 鎌倉の萩寺とも言われる宝戒寺は1335年(建武2年)に北条高時の菩提を弔うため、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ北条執権邸跡に建立されたと伝えられている。山門から本堂に至る小径を覆う白萩を、初秋の夕陽が柔らかに染めている。煙るように咲く白萩は淡い逆光の中で、その白さを際立たせ、行きかう人々を誘うように揺らいでいる。
 胡蝶にも似た無数の小花を纏う白萩は、つわもの達の哀史を飾るにふさわしい清楚な花である。その花の一つ一つに折りたたまれた物語が時空を超えて甦ってくる。そんな哀史の一ページを、そう遠くない大戦下の詩歌の世界から紐解いて見たい。

 昭和十九年七月。東条内閣倒壊後、後任の小磯主相は組閣にあたって「国民大和一致、敵米英の反攻を撃砕するのみであります」と声明した。しかし、緊迫する戦局に対して何一つ有効な対策を立てることが出来ず、事態は益々悪化の一途を辿っていった。また、この内閣は世に言う「木炭自動車内閣」とも呼ばれ、政治力の乏しさを露呈した。マリアナ玉砕後、日本軍航空部隊の再建はついに出来得なかった。このマリアナを基地としたアメリカ空軍は、制空権を失くし無抵抗となった日本本土に対する、大規模な空襲を開始した。

 昼夜を問わない空襲と、その警報が各地で鳴り響く中で発刊された「春秋」9月号は、改題後第三号を数えた。巻頭には「墨八首」と題して、岡麓氏の短歌作品が掲載され、形式的な戦意高揚歌とは一線を画して、風雅な趣を添えている。なお、本号に作品を寄せた代表的歌人は、上林角郎、真崎徹、杉本糸子、渡辺會乃、野村泰三の各氏を初め19名の方々であった。 本土への大規模な空襲が現実のものとなった、この月に学童疎開の計画が実施に移された。幼子との別れは夫や、恋人との別れを超えた淋しさで、人々を押し包んでいった。また、死と隣り合わせの日常は、遠い戦場の出来事ではなく人々の日々の生活を覆い始めていた。

 このような情況下で紡ぎだされた歌には、歌人達の死生観が否応無く滲み、静かな緊張感をみなぎらせている。そんな歌人達の思いが溢れ、資料的にも貴重な珠玉の一首とも言える歌を抄出させて頂いた。


 近詠                        中井克比古
  警報下の暗き部屋にてわが父の位牌を包む母の後姿(うしろで)
  挙手の礼してわが道を子いでゆけり障(さや)るものなく耀ふらしも
  私の命一つにこだはらぬ時代(ときよ)に生きてむしろやすけし

 淙々居吟                      上林 角郎
  明日ありと思はぬ日々を送りつつ必ず明日のありと日々思ふ
  強からぬ狩野君さへ徴されたる世とし思ひて努むべしわれも
  決められし疎開にとほく手離さむ子の幼さをのみおもひ居り

 即日帰郷                      真崎 徹
  つづまりは感傷にをきて寄せ書きの旗をりたたむ宿のたたみに
  かんぼぢやの花に触媒する妻よ子なきをその夜嘆きたりしが
  日暦はその日のままになほありて部屋に座ればはや疲れをり

 梅雨どき                      渡辺 曾乃
  サイパンの死闘を思へば庭木々の若葉の照りもわが目に昏し
  工場のベルトの唸り警報と錯覚したるわれをさびしむ
  貧しかるわれを師として疑はぬ子らの瞳に合ひて惑へり

 作品                        野村 泰三
  病み伏していくばくうとく過ぎしゆゑ夏へ移れる光りに怯ゆ
  国をこぞる戦に徹しぬさりながら或る日はなごみて無為なりにけり
  凄惨なり死闘するぞと伝へ来てわが嘆けども銃後にありつつ


 空襲警報の鳴り響く部屋の中で「父の位牌を包む母の背」に注ぐ子のまなざし。「疎開にとほく手離さむ子の幼さ」に寄せる父母の思い。「サイパンの死闘」と、それに続く玉砕に思いを馳せるおみなの悲憤。呻吟や慟哭の夜を重ね、それに耐え、越えながら詠まれたこれらの歌から滲み出してくる想いを、重く受け止めていきたい。

 本号には、これら短歌作品の他に古野清人氏による「トバ湖畔の聖者」と題する随筆を初め伊澤幸平氏、北村淑子氏らによる論文、紀行文が掲載されている。戦時統制下、用紙窮乏のおり随筆、論文等の編集にも厳選のあとが感じられる。これら論文の中から歴史的にも、また文献的にも貴重な資料として古野清人氏の文章の一節を抜粋し掲載したい。


 ―官憲と現地住民との媒介となる現地出身の官吏、警察官などは大部分がフランス統治時代のイデオロギーを、大東亜共栄圏理念へ切り替えているわけではない。したがって衣料、食料を根本とする経済変動は奔々と痛感されても政治的革新は急速に実現されえないような情況の下にある。そこに現地住民の不満と不安が胚胎し、伝統に宗教的雰囲気の豊かな社会にあっては、必然的に宗教運動を核心とする新しい運動が展開される根拠がある。もちろん、この種の運動が十分に成長するか中絶するかは、主として諸種の社会的要因によって決定される。―

 オランダそして、フランス等欧州列強の植民地として、その桎梏と抑圧の下で呻吟してきた長い歴史をもつスマトラの民衆。そこに戦勝者として登場した日本と、その掲げる共栄圏理念に寄せた人々の惑いと苦悶を思い起こしている。この惑いと不安が「宗教運動を核として新しい民族的な運動へと発展する」との古野氏の指摘は、其の後の歴史の進展と、怒涛のような民族独立への展開をみるとき、氏の洞察の確かさを示している。

 本号では、会員からの投稿歌を中井克比古、泉四郎の両氏が選者となって二部立てで選歌を行なっている。なお、「春秋」と改題以来の選者、高木一夫氏は家族の疎開のため、選歌を休まれた旨が編集後記に記されている。 この作品の中から、緊迫する戦局と明日をも知れない生命を抱きながら、なお湧き上がる思いを岩に爪で刻むが如くに詠われた歌。詩魂の結晶とも言えるそんな歌の数々を抄出させて頂いた。

  ☆汝を産むと二日二夜苦しみし我に応へてかく輝やくか      野島 いさ子
  ☆ひそまりし街の物音に底ごもりしずかに燃ゆる憤り聴け     金剛 みを
  ☆うら若く妻と呼ぶべきひとを置きてみ艦の君の還る日はなし   菅野 貞子
  ☆応召の名簿の中に筆太く君戦死すと書きて涙す         小島 欽一郎
  ☆まなかひはしろき雲立つこみどりのしずけき峡に君は葬むる   石田 愛子
  ☆幼きもの母人等悉く血潮染めたりああサイパン島        原  恵子
  ☆一筋に生きる命を汗にして燃ゆる入日にまむかふ吾は      河本 文子
  ☆ゆく者はなべて追はねどしかすがにこの侘しさや術なかりけり  神谷 ツネ子
  ☆さねかづら逢ふを楽しみ居ると言ふ妻を思へば身も謹しまむ   藤森 正光
  ☆一輪のダリヤが保つひそけさを悲しきまでに感じつつをり    宮路 芳夫
  ☆ただひとり ただひとりなる野のみちに抱きてありし心放たむ  府川 とし枝
  ☆愛し子を三人ささげてその母はしずかに田畑守りています    花鳥 克己
  ☆きほひ立てる心悲しもうつそみの人の生命は儚きものを     岩田 文子
  ☆靖国の神と鎮まりましませど夫と呼ばまし宵もありけり     星佳 歌子
  ☆君征くとききたる夜は今更に防人の歌を吾は思ふも       郡司 礼子


 戦局が苛烈さを極める中、小磯内閣は明日を担うべき多くの有為な青年達を「もののふ」に急仕立てし、消耗戦となっている戦場へと送り出していった。徹底した皇国教育により、使命感に燃えて戦場へ赴いた「もののふ」も少なからず存在したであろう。しかし多くの青年達は後に残される妻を、父母を、そして恋人を思い、断ち切りがたい絆を引きずり、強いられた旅路へと向かったことも想像に難くない。

 ましてや、アッツ島に始まり、ケゼリン島、コット島、さらには在留邦人の全てを含むサイパン島の玉砕の悲報に触れての出陣は、正に死出の旅路を意味した。
 なお、「幼きもの母人等悉く血潮染めたりああサイパン島」と詠われた島。サイパン島では多くの民間人が米軍に捕われる事を良しとせず、また日本軍側も民間人に対する配慮が行き届かなかったため、岬に追い詰められた民間人がバンザイクリフ(マッピ岬)やスーサイドクリフから海に飛び込み自殺を余儀なくされた。多いときでは1日に70人以上の民間人が自殺したとも言われている。アメリカ軍は自殺を防止するために島内に「民間人は保護する」旨の放送を繰り返していたとも伝えられるが、日本軍によって繰り返し吹聴された「残虐非道な鬼畜米英」への恐怖イメージのために、ほとんど効果がなかった事を史実は示している。

 「ただひとり、ただひとりなる野のみちに」たたずむ恋人を残し、また「うら若く妻と呼ぶべきひとを置きて」死出の旅路へ踏み出さざるを得なかった男達。その思いを受けとめ、銃後にあって日々の生活を支えたおみな達。その人々も本土が爆撃にさらされ戦場となる恐怖の中で、生活を背負う二重三重の闘いを余儀なくされていった。

 苦悩に呻く、その声すら上げる暇も無い日々にあって、歌に託した、また、託さざるを得なかった思いの数々。それは呻きを越えた魂の叫びと、その表出でもあった。そんな叫びがこだまとなって、これらの歌群より聴こえてくる。底こもる響きとなって・・・。 憤怒や嘆きに満ちる絶望の中から、一縷の希望を求める如く生み出された詩。そこからは悲愴や哀感を越えた、むしろ澄明な調べが基調音として響いてくる。あたかも初秋の風の音のように。

 北条一族の終焉を見守った地。宝戒寺の参道をはじめ、寺域一面を埋めて咲く花々は白一色に彩られている。萩は言うに及ばず曼珠沙華までもが白一色・・・。人によって更なる人の血が流されるのを拒むかのように・・・。参道をわたる風に吹かれた白萩が、波立つように揺れている。その波間に飛沫のように咲きこぼれる白萩の花。それは烈しい大戦の波間に揉まれながらも懸命に生き、闘ったおみな達が、祈るように求めた希望のともし火にも似て、微かではあるがしっかりとした輝きを放っている。
                           了
       初稿掲載 2008年9月14日
コメント (12)
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