第一部「口語短歌・水曜サロンの会」(その152) 短歌の投稿を歓迎します!!
☆☆☆ 楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。
☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。
☆☆☆ 「水曜サロン」は以下の通り第一部、第二部構成に区分して運営致し
ていますので、それぞれに詠歌、返歌を出詠願います。
第一部 「口語短歌・水曜サロンの会」:従来通り三首まで出詠願います。
第二部 「ネット短歌」 :返歌専用です。
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の
詠まれた短歌を、毎週水曜日に掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に
短歌を投稿し鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見、ご提案等をお寄せ頂ければ幸いです。
「風に揺れる コスモス」
「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」
☆机(き)にむかいじっと動かぬ吾の背を
離れて見つむわが眼(まなこ)あり
☆雑踏に目を泳がせて待つ人を少しはなれて見つめてをりぬ
☆虫の声すだく夕べはうら寂し 手足の先より冷えのぼりくる
夕庵さん
【解説】
「わが眼」「待つ人」「すだく虫の声」をテーマに三首の歌を作者の
感性を交えて、味わい深く詠んで頂きました。
特に、三首目の歌は、秋の夕べの情景とその中で感じる寂しさや冷え
込みを見事に表現しています。
「虫の声すだく」という初句は、秋の夜長の静けさの中に虫の音が
響き渡る様子を、聴覚的にも鮮やかに描き出しています。
なお、「夕べはうら寂し」と詠むことで、虫の音さえも寂しさを
際立たせ、秋の夜長の寂寥感を深めています。
さらに、下の句の「手足の先より冷えのぼりくる」という表現は、
体の末端から徐々に冷えていく感覚を、如実に伝え、視覚だけで
なく、触覚にも訴えかけることで、より立体的で鮮やかな情景が
浮かび上がってきます。これら秋の夕暮れの情景描写を通して、
作者の寂寥感も伝わってきますが、それを楽しむゆとりと懐の深さも
同時に感じられます。
【短歌説明】浅間山明鏡止水さんご自身の説明です。
源氏物語巻名歌は「源氏物語に登場する個性豊かな15~20人の女性たち」
を中心に返歌を楽しみたいと思っています。主に光源氏と女性たちの
贈答短歌が中心です。今週は源氏物語巻名歌から2首提出しますので
ご指導よろしくお願いします。
巻名歌は過去分と重複するところもありますが、返歌自体は新規で
作成しています。私は再度研究しますので、返歌のみのご指導で簡潔に
願います。
「7.紅葉賀(もみじが)」
朱雀院への行幸に先立ち、身重の藤壺に気遣って宮中で試楽が催された。
源氏は頭の中将と青海波を舞い激賞されるが、藤壺は言葉少なに褒めた
だけだった。出産のため三条宮に退出した藤壺は、さらに源氏を遠ざける。
源氏の思いは藤壺に似る紫の上に向けられていく。このため葵の上との
仲はいっそう遠くなった。藤壺が出産をした。源氏の生き写しの皇子を
前にして、藤壺は恐れおののくが、事実を知らない帝は皇子の誕生を
手放しで喜んだ。そのころ源氏は源典侍という好き者の老女と関係を
持った。それを知った頭の中将も源典侍に通う人となる。ふたりは
老女をだしにしてふざけあった。
〇そよそへつつ見るに心は なぐさまで 露けさまさる撫子の花 光源氏
註)なでし子の花を見るにつけ、愛しい御子と結びついてしまい、
心は晴れるどころかむしろ涙が溢れてますます湿っぽくなって
しまうことです
〇袖濡るる露のゆかりと思ふにも なほ疎まれぬ大和撫子 藤壺
註)涙で袖をぬらしている人の縁だと思うにつけても、やはり疎ましく
思われることもあります。この大和撫子は
(返歌)
☆可愛らしく お生まれになって欲しいのも どうにもならない二人の仲は
☆光る君 返事届くも 嬉しさに 心が躍り 涙を流す
浅間山明鏡止水さん
【解説】
今回の歌は、「紅葉賀」の在りし日の光源氏と藤壺との贈答歌です。
「苦悩にかこつけて見ていますが、心は慰められず涙があふれます、
撫子の花よ」と光源氏が詠んでいますが、ここで撫子は若宮で、自分と
藤壺の不義によって生まれた子でもあります。決して口外できぬ恐るべき
罪業、源氏はこの苦悶を慰めようと共犯者たる藤壺に贈った歌です。
それに対して藤壺は「袖濡るる 露のゆかりと・・・」の歌を返しました。
「密通で産まれた子と思うにつけ、やはり疎ましく思われる撫子の
ようなわが子よ」。しかし、下の句は「それでもやはり疎むことは
できないわが子よ」という意味にもとれ、藤壺はどちらの想いにも
揺れ動いて苦悩していたと考えてしまいます。
雅な振る舞いしか見せぬ高貴な人々も、心の内では己の過去の種まきで、
もがき苦しんでいる。そのような内面の葛藤渦巻く描写が多いのも、
「源氏物語」の特徴の一つであり、魅力とも考えます。
これらを踏まえて作者の二首の返歌を鑑賞させて頂きました。
一首目は、下の句で「どうにもならない二人の仲は」と、一見突き放して
詠っているように見えますが、二人に寄り添う優しさが滲んでいます。
二首目は、中々返歌がない藤壺から届いた返歌に、小躍りする光源氏の
様子を詠んでいます。藤壺の苦悩と葛藤への想いが意識的に避けられて
いると理解しました。あえて「苦悶」も詠みこんでみましたが・・・。
【ご参考】
★耀ける撫子いだく君の頬 苦悶にじむも艶もあふるる
【詞書】能登の災害で詠ませて頂きました。
☆能登で家流され娘が見つからぬ 時も無情に流れゆきけり
【詞書】10月の真夏日を詠ませて頂きました。
☆10月に気温は8月下旬並み 神は確かに憤慨している
【詞書】能登の災害で詠ませて頂きました。
☆僅かでも赤十字社に義援金 能登よ復興諦めないで
西BOOさん
【解説】
今回は、追加も含めて「能登豪雨」「10月の真夏日」「義援金」の
今日的なテーマで三首詠んで頂きました。
一首目の歌、福井県沖で30日に発見された女性の遺体について、DNA
鑑定の結果、能登豪雨で行方不明となっていた石川県輪島市在住の
喜三翼音さん(14)であることが報道されています。詠まれている
ように、ご家族には発見されるまで「 時も無情に流れゆきけり」の
日々であったことと思います。このように被害者の方に寄り添った
詠歌は、少なからぬ励ましになっていると感じます。
二首目の歌、10月は神無月とも呼ばれていますが、出雲に集まった
神様たちも、この暑さに詠まれているように「憤慨」しているかも
知れませんね。ユーモアも滲む辛口の良い歌と感じます。
三首目の歌、私達も自らができる範囲で、復興支援をとの想いで諸々の
チャネルで義援金やボランティアを重ねてきましたが、詠われている
ように「復興諦めないで」の想いを届けることも大切なことと思います。
能登はもとより、福島、熊本も含めて、未だ復興途上にある人々の状況に
想いをめぐらす事の大切さを、改めてかみしめています。
「揚羽蝶と紅の曼殊沙華」
【詞書】銀河、銀漢で二首、押入れに見つけたもので一首詠みましたので
出詠します。
☆果てしなく続く円周率のごと 銀河に続く宇宙を眺む
☆大の字に寝て銀漢を見上ぐれば 沈みゆくやに ちさき我なり
☆押入れの奥に見つけし小箱には 返せぬままの鉛筆と恋
みっちっちさん
【解説】
「銀河」「銀漢」「小箱」をテーマに、独創的な表現を交えて三首の歌を
詠んで頂きました。
一首目の歌は、宇宙の広大さと神秘を、数学の概念である「円周率」と
結びつけ、独創的で新鮮な表現となっています。
円周率は理系の人間にとって興味深いテーマの一つですが、この数字は
無限に続く小数であり、その規則性は未だ見つかっていません。
「果てしなく続く円周率」と「銀河に続く宇宙」を並置することで、
無限に広がる宇宙と、それを表すための円周率を結びつけています。
この対比は、宇宙の神秘をより深く感じさせ、想像力を刺激する表現と
なっています。なお、「宇宙を眺む」という行為は、視覚的なイメージ
を喚起し、宇宙の広大さをさらに実感させてくれます。
二首目の歌の「銀漢」は、「銀河」と共に「天の川」を指しますが、
銀河はアンドロメダ銀河など、宇宙に無数に存在する他の銀河も含めて
指し、現代ではより学術的な言葉としても使われています。
一方「銀漢」は、天の川をより美しく、幻想的なイメージで表現する
詩歌や文学作品によく見られます。これらを使い分ける感性も大切と
感じます。
【詞書】YouTube短歌:Jesu, Joy of Man's Desiring
☆私は今、神の言葉を聞いて生かされている
この荒野にも
【短歌説明】自閑さんご自身の説明です。
多分、誰でも一度は聴いた事の有る、ヨハン・セバスチャン・
バッハの1723年に作曲した教会カンタータ『心と口と行いと生活で』
(BWV147)の終曲のコラール「イエスは変わらざるわが喜び」
(Jesus bleibet meine Freude)の英語からの訳「主よ、人の望みの
喜びよ」を、聴いて短歌にしました。
キリスト教的な短歌にしか出来ませんでした。バッハの教会
カンタータの名曲だから当たり前ですが。😃
「荒野でも」と迷ったのですが、何度も読み上げて「にも」としました。
以下URLに、曲を2つ貼付していますので、お聴き戴ければ幸いです。
映像なら、下の動画かな?
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/10f91f2927c1fd79c71c2040def5093a
自閑さん
【解説】
作者の「短歌説明」にも記されていますが、バッハの作品の中でも
特に人気の高いコラール「主よ、人の望みの喜びよ(Jesu, Joy of
Man's Desiring)」は、その美しい旋律と深遠な精神性から、多くの
人々に愛されてきました。結婚式の入場曲や退場曲としても人気の
ある曲でもあります。
「私は今、神の言葉を聞いて生かされている」の上の句は、深い感謝と
敬虔な気持ちを感じさせ、バッハの音楽が持つ宗教的な深みと共鳴して
いると感じます。また、「この荒野にも」の結句は、困難な状況や
孤独感をも表現しており、その中で神の言葉に「生かされて」救われる
という対比が印象的です。さらに、荒野という言葉が持つ広がりと
孤独感が、歌全体に深みを与えていると考えます。
バッハのコラールの曲を聴き、この歌に結実し表現し切る作者の心意気。
その作歌における力量の高さに、今回も学ばせて頂きました。
【詞書】クロもシニア犬に突入しながら、私達との日々を一緒に
楽しんでいます。
☆彼岸花
恋うる我が身は
母を超え
命貰えし
幸多き日々
☆軽やかに
クロの足音
揺れる風
彼岸花咲く
朝ン歩の路
クロママさん
【解説】
一首目の歌は、お彼岸に生まれた作者の深い想いの込められた詠歌と
感じました。お母様が命がけで作者をこの世に届けてくれた物語は、
涙なしには伺えません。その事実は伏せられ30歳を過ぎてから知ら
されたとのこと。作者はそれだけお父様を始め多くの親族の方に
愛され、見守られ大切に育てられた証でもあると感じます。
「命貰えし 幸多き日々」は、作者の今の実感であり亡きお母様への
深い想いと、感謝の思いが込められています。
二首目の歌。愛犬クロちゃんと共に歩んだ日々は、作者ご夫妻に
とってもかけがいのない日々であったことと思います。
クロちゃんはシニア犬になりながらも、愛らしさには変わりなく、
お二人に楽しさと、喜びをもたらしてくれる大切な存在になって
いると考えます。
そんなクロちゃんとの想いの交流が滲んだ歌には「クロちゃん愛」が
溢れています。上の句を少し整理してみましたが・・・、
いかがでしょうか。
【ご参考】
★軽やかな
クロの足音
響く径
彼岸花揺れる
風の朝ン歩
「風に揺れる 曼殊沙華」
【詞書】10月1日の午後6時40分ごろ、9月20日から入院していた父が
亡くなりました。93歳でした。(医師による死亡宣告時刻は午後7時20分で、
こっちが公式の死亡時刻になるようです)
私はこの日の2時から3時ぐらいまで様子を見に行ってましたが、
明日まで持つかどうだか…みたいな感じだったので、夕方6時半過ぎに
心肺停止したり動いたり、という電話があった時も「ああ、とうとうか…」
という心情でした。
姉にすぐ電話し、迎えに来てもらい(運転は義兄)、病院に向かい、急いで
病室に入りましたが、父の息はもうありませんでした。私物の片付け、
医師の死亡診断、いわゆる「エンゼルケア」(事前に用意した上下の下着、
薄いブルーのワイシャツ、グレーのズボンと靴下は茶系…を着せて
もらって髪を整え、髭も剃ってもらって…きれいにしてもらってました。
看護師さんに「きれいなお顔ですね」って言われたのが、なんと言うか…
何となく嬉しかったです)、病院への支払い…ののちに葬儀社さんたちが
来られて、ストレッチャーに乗った父に付いて地下へ行き、葬儀社さんの
車には私が同乗して帰路につきました。姉の車で、送迎バスやタクシーで
10日あまり行き来した道とは違うルートで走っているのに気がついて、
間もなく宇治川沿いに出ました。(確か府道241号線)対岸の民家の灯り、
暗い宇治川の川面を見ていると、何となくいつの間にか口の中で呟く
ように(運転している方に聞こえぬよう)斉藤和義さんの「歩いて帰ろう」
を口ずさんでいました。歌い終わると父に「帰ろうなー…」…と呟いて…。
…その前に、暗い宇治川を見ながら、「(父は三途の)川をもう渡ったん
やろか…」なんて思ったりしてましたが、恥ずかしながら知りません
でした。“初七日”まではまだ渡らないとされているのだそうですね。
…初七日までとりあえず無事に終わりましたから、もう渡り終えましたか
…。(火葬への)出棺前に棺の上に花束を置いて下さいと言われて、置く
ときに「お疲れ様…良い旅を!」と言いました。…無事に渡りきれたと
信じています。さあ…次は手続きの嵐です!
☆宇治川沿い 呟くように口ずさむ
「歩いて帰ろう」 葬儀社の車中
☆葬儀社の車中の父の傍らで
「“川”渡ったかな…」…いや“まだ”やったそう
【詞書】通夜の日の朝
10月2日の朝、勝手口を出てフェンス越しに、咲いているのを見つけ
ました。藪のようになった場所に逞しく咲くヒガンバナを見て、
すっごく癒されました。変な話ですが「おっしゃ!頑張ろ!」って
思いました。
…今日10月8日、市役所に行こうとして、自転車を出す際にうちの
玄関側から見える藪みたいになったとこには白いヒガンバナが
咲いてました。こっちもちょっと嬉しかったです。
☆人の居ぬ隣家の庭の片隅に
彼岸花見ゆ 通夜の日の朝
ちがやねこさん
【解説】
お父様の大変な状況の中で「水曜サロン」へ出詠して頂きありがとう
ございます。
改めて、お父様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみを申し上げるとともに、
心よりご冥福をお祈り致します。
「水曜サロン」の皆様の想いも同様と感じます。
一首目、二首目は作者の想いをそのまま表現した、お父様への「挽歌」と
考えます。「三途の川」は初七日の過ぎに渡るとのことですが、六文銭は、
故人が極楽浄土までの道のりでお金に困ることのないよう棺におさめる
冥銭とのことですね。「呟くように口ずさむ」歌詞も、作者の想いを
そのまま表現しているものと考えます。六文銭とともに、お父様に捧げる
作者の心からの「ひき歌」と感じます。
三首目の歌、彼岸花の花には詠まれているように癒しと共に、人を励ます
不思議な力が宿っているものと考えます。名称に穏当を欠くものも一部
ありますが、あの完璧なシンメトリーの花に「神の造形」を感じます。
紅白の彼岸花に出会うのも嬉しいものですね。
☆暑き秋 蕊燃やすがに曼珠沙華 「相思花」の名を深く思えり
ポエット・M
【解説】
曼殊沙華は、例年秋彼岸を前に咲くものと理解してきましたが、今年は
10月になって初めて咲き始めました。二週間余の遅れと感じました。
曼殊沙華の開花が遅れた主な原因は、秋の暑さによる休眠打破の遅れや
生長阻害が原因とのことです。曼珠沙華は、一定期間の低温にさらされる
ことで休眠が打破され、開花の準備が進みますが、秋の気温が高いと、
この休眠打破が遅れてしまい、開花時期が遅れるとのことです。
また、曼殊沙華は花が咲く時期と葉が出る時期がずれているという特徴が
あり、花が咲いている時期には葉がなく、葉が出ている時期には花が
ないため「葉は花を想い、花は葉を想う」ことから「相思花」と呼ばれる
ようです。
こんな背景を踏まえながら、遅く咲いた曼殊沙華に想いを寄せて詠ませて
頂きました。
「白花 曼殊沙華」
「山法師 短歌の章」鑑賞 紅林茂夫著(58)
「山法師」はエコノミストでもありました著者の経済学の論文を始め小説、
短歌等を著者により厳選され著作を集めた著者渾身の著書でもあります。
その著書から、短歌を抄出し三首づつ紹介させて頂きます。
39.「 短歌の章」 台北・東南アジア国際会議(1)
釈迦牟尼佛の頭(かうべ)にしやかの実を
月出でし夜店に購ひにけり
異郷の空に満つるに近き月出でぬ
風落ちし街にわが影を踏む
夜深きを目覚めて聞けば旅枕
花蓮の海の遠き潮騒
【短歌入門・質問・紹介・提案コーナー】
今回は割愛させて頂きます。
【運営にあたって】
(1)投稿期間は、原則として毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
なお、変更がある場合は、その都度ご連絡致します。
(2)おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
なおブログの字数制限(コード30,000字)等により詞書等編集させて頂く
場合もありますのでご容赦願います。 詞書は一首200文字以内にまとめて
頂きたくご協力願います。
(3)口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
(4)投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。 皆様から感想等頂ければ幸いです。
(5)作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
(6)掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
(7)掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
了