炎暑、酷暑という言葉で表現された、今年の夏も9月に入り依然として暑さはあるものの朝夕には、少し涼しさも感じる日々になってきました。
この季節になると、酔芙蓉が咲き乱れ色の変化に見とれることがあります。紫陽花のように梅雨をまといながら、淡い緑から濃い藍色へとじっくりと日にちをかけて変化する花に比べ、酔芙蓉は朝の白から、淡紅、さらに濃い紅へとわずか一日で変化し、夕べには散ってしまいます。
「咲き競う 酔芙蓉 八重」
数時間という短命の月下美人ほどではないにしても、ひと日花の定めを負う酔芙蓉の花の命も儚いと形容するには、あまりにも多くの物語を秘めているように感じます。
花の名前は、花色が変わる姿からお酒を飲んで酔ったように見えることが由来とのこと。花言葉には「心変わり」「しとやかな恋人」「繊細な美」「幸せの再来」などがあります。
酔芙蓉の花と言えば、私達の現役時代に話題となった高橋治著「風の盆恋歌」があります。この著作については、かつて「水曜サロン」の歌友、夕庵さんも短歌に詠まれ、詞書で触れられておりました。
そこでは、物語を彩る重要な要素の一つとして、酔芙蓉が描かれています。越中八尾の風景の中に、酔芙蓉が咲き乱れる様子が描写されることで、その儚さ、美しさ、そして恋の情熱を象徴する花として、作品の世界観を深く豊かに表現しているかに感じました。
「超然と咲く 酔芙蓉 八重」
「あのね...幸せって、いいことなの?
人間にとって、生きたって実感と、どっちが大事なの?」
これは、20余年後の再開の際、主人公の一人えり子が都築に向かって発する言葉ですが…、心からの叫びとして感情移入してしまう、深い想いを秘めた言葉とも感じます。こんな言葉のやり取りも含めて、「死をともにしても良い」ほどの愛を知り確認し合った二人。ぼんぼりに灯がともり、胡弓の音が流れるとき、風の盆の夜がふけていきます。互いに心を通わせながら、離ればなれに20余年の歳月を生きた男と女。その二人が再開後にたどる、あやうい恋の道行きを金沢、パリ、八尾、さらに白峰を舞台に情感豊かに描き出しています。
そんな物語を知ってか、知らぬか酔芙蓉は朝日を受けながら、超然として白い花を揺らしていました。
Shouさん、おはようございます。
浅間山明鏡止水です。
短歌投稿します。
源氏物語巻名歌は「源氏物語に登場する個性豊かな15~20人の女性たち」を中心に返歌を楽しみたいと思っています。主に光源氏と女性たちの贈答短歌が中心です。今週は源氏物語巻名歌から2首提出しますのでご指導よろしくお願いします。巻名歌は過去分と重複するところもありますが、返歌自体は新規で作成しています。私は再度研究しますので、Shouさんにおかれましてはお世話かけますので、返歌のみのご指導で簡潔に願います。
4夕顔(ゆうがお)
空蝉にうつつを抜かしていたころ、源氏は六条に住む高貴な女の所に忍んで通っていた。宮中から六条に向かう途中、源氏は夕顔の咲く家に住む女(夕顔)と知り合う。折しも六条の高貴な女との関係に気詰まりを感じていた源氏は、この女に耽溺していく。近所の声が聞こえるような家での逢瀬に嫌気が差した源氏は、女を廃院に連れ出す。その夜、源氏は物の怪に襲われるような夢を見て、目を覚ます。源氏は魔除けをさせたが、正気を失った夕顔はそのまま息を引き取った。悲しみにくれる源氏は瘧病を患う。秋、病から癒えた源氏は、夕顔の侍女であった右近から、実は夕顔は頭中将との間に子まで成した女であったことを聞かされる。空蝉と夕顔とのはかない縁に、源氏は物思いにふける。
「心あてに それかとぞ見る 白露の 光りそえたる 夕顔の花」夕顔
ふと目に留まった輝く君は、光源氏様でしょうか…。白露の光に映える夕顔が、美しく花開いています
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔」源氏
もしやなどと仰しゃらないで、もっと近く、なつかしく傍に寄り合い、その人かどうかたしかめてはいかがです
返歌
「涼しげな 女主人の 心づかい 扇の上に 白い花のせて」
「推量の 二人の恋は 深まるも はかない運命 夕顔のように」