非常に強い台風7号は、当初関東直撃と予報されましたが、房総半島に接近したものの銚子市の東沖にずれ、私達の住む三浦半島は大きな被害とならずホッとしたところです。
ただ今回の台風は中心の気圧は950hPa、中心付近の最大風速は45m、最大瞬間風速は60mとかなりの大型のもので、このような規模の台風が今後も発生しやすい状況とのことで、今後一層の警戒が必要となります。今回の台風で被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。
「咲き盛る百日紅 薄紅」
お盆休みの後半は、地震や、台風で落ち着きませんでしたが、そんな一日、お盆休みが取れたとのことで長男と次男家族が我が家に集合しました。正月や、五月連休では比較的休暇が一致し全家族が集まることがあるのですが、夏は、それぞれの休暇の調整が難しく三家族の集合は出来ないできました。今回も、全家族ではなく二家族でしたが、孫たちも含めて休暇の調整が出来たようで一緒に集まることができました。
今まで、夏期は子供達と共に私と細君のふる里へ墓参を兼ねての旅行を計画してきましたが、今回は、炎暑と地震等への警戒から秋口へと変更しました。
「咲き競う ブーゲンビリア」
今回は、台風の影響で海はうねりも結構あり、さらに地震の警報等もあり海水浴は避け三浦半島の海辺のドライブと、依然として人気のあるポートマーケット等への買い物、食事等に出かけてきました。「いちご よこすかポートマーケット」は以前のblogでも触れましたが、今回は少し詳細に触れて見たいと思います。
ここは、海に向かい合うようにして聳え立った、かつての巨大な冷凍倉庫に造られたマーケットで、さまざまな食材が行き交う拠点となっていたこの空間をリノベーションして生まれました。このマーケットの第一次立ち上げに経営企画の一員として関りを持った者として、現在の賑わいには感慨深いものがあります。
フードエクスペリエンスは、ただ「食べる」だけではなく、横須賀や三浦半島の野菜や魚の旬を知り、生産者や料理人の知識と技術に触れ、心地いい環境に身を置いて頂くこと。さらに「いただきます」と心から言って頂ける場を提供することをコンセプトとしています。
なお、廃棄される食材を無駄にせずに、循環させること、さらには自然への感謝がおのずと湧いてくるような、食の未来を描きだすことを目指しています。また、オーシャンビューのウッドデッキでは、いつでも誰でもお食事を楽しむことのできる工夫が随所に施されています。最近、この場所で横須賀出身のミュージシャンや地元のミュージシャンを中心に、ライブ演奏が週末に催され賑わいをよんでいます。このステージには私のかつての職場の同僚も、しばしば立っているようです。
「いちご よこすかポートマーケット 内部一部」
このマーケットでは、ビーカー入り手づくり焼きプリンで人気のマーロウ、横須賀ご当地グルメで有名な「ヨコスカネイビーバーガー」が、また「あがっとこ」とのお店では、三崎マグロや長井漁港で水揚げされた鮮魚など、三浦半島の海の幸がたっぷり詰まった海鮮丼を楽しめます。さらに、「長井水産」の直売店では、相模湾や東京湾で水揚げされた鮮魚をはじめとした魚介類だけでなく、三浦野菜など、生鮮食品を販売しています。
「咲き競う 浜木綿」
孫たちは、YOKOSUKA GELATO FACTORYのジェラートが大好きで、食事よりこちらがいいと言っており、細君は天然氷から作られたかき氷が美味しいと言っていました。道の駅とは少し趣を異にしていますが、食事のみでなく「食」を中心とした様々な情報に触れ、三浦半島をそして、東京湾唯一の無人島・猿島等の観光情報にも触れることができる「食のテーマパーク」的な役割を果たしていると感じました。
折からの炎暑もあり外での行楽は控え気味としましたが、久しぶりに家族で集い長男、次男がシェフとなり、それぞれが得意料理で腕を振るった美味しい料理を味わうことができました。また、彼らも含めて孫ともゆったりと語らうひと時をもつことができ、短いながら「良きお盆」を過ごすことができました。
Shouさん、おはようございます。
浅間山明鏡止水です。
短歌投稿します。
1月17日より源氏物語・紫式部日記の和歌を返歌で投稿して来ました。「幻」の巻で終わりましたので思案しましたが、引き続き新たな視点「源氏物語に登場する個性豊かな20人の女性たち」を中心に返歌を楽しみたいと思っています。今週は源氏物語巻名歌から1首提出しますのでご指導よろしくお願いします。巻名歌は過去分と重複するところもありますが、返歌自体は新規で作成しています。私は再度研究しますので、Shouさんにおかれましてはお世話かけますので、返歌のみのご指導で簡潔に願います。
1桐壷の巻
ある帝(桐壺帝)は、特別身分の高い出自ではない女性(桐壺更衣)に深い愛情を抱き、彼女との間に美しい皇子(光源氏)をもうけました。しかし桐壺更衣は、他の女房たちからの嫉妬や嫌がらせが重なったせいか、光源氏が3歳の時に病で亡くなってしまいます。帝は亡くなった桐壺更衣と瓜二つの先帝の皇女(藤壺)を入内させ、彼女を慰めとしました。藤壺は帝の寵愛を受ける一方で、光源氏と密かに恋仲になります。
帝は光源氏を臣籍降下し源姓を与え、左大臣家の娘(葵の上)と結婚することになりました。彼はその美しさから「光る君」と呼ばれていました。
「かぎりとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり」 桐壺更衣
今日を限りと死出の旅路に赴かねばならぬとは、悲しいことです。私は生きたい。行きたいのは命ある道です。悲しみの中で気づきました
返歌
「幼子の 心優しい 母なれど 一つの歌を 遺して散りぬ」