「口語短歌・水曜サロンの会」(その13) 短歌の投稿を歓迎します!!
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
思っています。皆様の投稿を歓迎します。
【運営にあたって】
本件は、「水曜サロン」も既に12回を重ね、皆様にもご理解されてきていることと
考えますので、末尾に記させて頂きます。
「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」
「悲しみのラプソディ~椿山荘の思い出①」
☆閑静な 目白通りは 洒落ていて
緑豊かな デートスポット
☆タクシーを 降りるとすぐに ドアマンが
礼儀正しく お辞儀出迎え
☆ホテルを 思わさせない 雰囲気は
アールデコ風 ロココ家具調
浅間山明鏡止水(knsw0805)さん
【解説】
目黒通りから神田川の畔を辿り、椿山荘に向う小径は青春の日の「憧れのデートスポット」でした。
「ホテル椿山荘東京」を舞台にした「悲しみのラプソディ」の次の展開を楽しみにしています。
一首目に、ラプソディとしての、デートの一齣も詠み込んでみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★緑濃き 目白通りは 洒落ていて
腕組む君の 笑みも嬉しく
☆魔女たちの宴が始まる
魔王の赤い月がかがやきをまして
☆おお!わずかだが光が増して魔に打ち勝っているぞ!そしてやすらぎ
自閑(jikan314)さん
【短歌説明】
YouTubeの音楽のイメージを短歌にしております。題は「月食」、音楽は、
ムソルグスキー交響詩 禿山の一夜です。
11月19日に月食が有り、当地では薄曇りで良くは見えなかったのですが、
月食の場合、真っ暗になる訳では無く、どす黒い赤い月となります。
一首目は、これを魔王の月として魔女の饗宴ととらえました。
二首目は、月食が終わりに近付くと月の辺から徐々に明かりを取り戻し、満月となり、
同時に昨今の感染者数激減に少しやすらぎを覚えて来たと言うもの。早く世界中が、
この疫病に打ち勝って欲しいものです。
下記URLにYouTubeと愚詠を掲載しておりますので、御覧頂ければ幸いです。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/0ba92979697f2995208fdc4e75890d97
【投稿外コメント】
私も、短歌を作る際は、声に出して読んで、推敲します。短歌も歌であり、リズムが大事と
素人ながら思っております。
次に黙読で目で追い、漢字(旧字体も)にするかひらがな(カタカナ、英語)にするか?文語、
歴史的仮名遣いにするか?改行、句読点を入れるか?読者になって、自分のイメージに近いか?
をみます。素人考えですが、リコ様のご意見を拝見して。
【補足】
「推敲」への具体的なアドバイスも頂きありがとうございました。
「ご参考」として、「水曜サロン」に集う皆さんにも読んで頂ければ幸いです。
なお、「口語自由律」短歌につきましては「質問コーナー」で少し触れたいと思います。
☆花びらを透かし光の溢れたり写真に映るバラの息吹が
☆薔薇(そうび)からあふるる光に息をのむ脈打つ花の命を見たり
リコさん
【解説】
薔薇「ジュビレ デュ プリンス ドゥ モナコ」の写真に寄せて詠んだ短歌との
ことですが、いずれの歌も、この秋薔薇の楚々とした風情を情趣深く表現されています。
二首目の「脈打つ花の命を見たり」の、的を射た表現に学びたいと思います。
薔薇「ジュビレ デュ プリンス ドゥ モナコ」
☆大勢に褒められなくても魂の珠に届けばよろし一人の
☆誰からも褒め得ざれども誰からも認め得ざれど腐ることなし
びこさん
【解説】
いずれも、作者の短歌に真向かう姿勢の真摯さがうかがえる、凛とした短歌と考えます。
短歌は突き詰めれば、相聞と挽歌に収れんすると考えますが、それらの歌もただ一人の方に
向けて詠まれてきました。その意味では「珠に届けばよろし一人の」通りと考えます。
また、短歌は「魂鎮め」のためにも詠まれたと理解しています。諸々の葛藤を抱える
己に向けて、その魂の慰撫、さらに鎮めを「みそひともじ」に託して行う営みが、
あっても良いと思っています。
☆紅葉も冷たき風に惜しげなく
真っ赤に燃えて 晩秋に散る
☆落ち葉舞うメタセコイヤの散歩道
そこはか淋し 冬の訪れ
クロママさん
【解説】
山も里も紅に染めた紅葉も、幾たびかの木枯らしに耐えながら散り時を迎えています。
一首目は、その散る様を「惜しげなく」と詠んだ表現が効いています。
なお、二首目の「そこはか淋し 冬の訪れ」にも、作者の想いが滲んでいます。
一首目は「惜しげなく」がはっきり「散る」にかかるように整理してみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★もみじ葉は くれない極め 燃えゆくも
風なき夕べ 惜しげなく散る
☆書きかけの記事をやめては詩をねるおもいの先はサロンへの夢
☆ほのかなる光頼りに足元を見つめて進む箱入り娘
☆ひとつずつ進んだ先に悩みありされどこの先止まることなし
和輪(warin2020)さん
【解説】
大切な記事を作成中にも関わらず、投稿歌を詠む事を優先している。そんな作者の
想いの先には「水曜サロン」への希望がある…。と勝手に解釈させて頂きました。
作者の鋭い感性と、豊かなユーモア精神に学びたいと思います。
☆暮れゆけば もみじ黄葉も闇に溶け 冬に真向かう支度急ぐや
ポエット・M
【解説】
木々は夕映えの中、終焉の輝きをもみじや、黄葉に託して演じきり、既に散りつつあります。
散りゆくもみじも、木々に残る黄葉もいつしか闇に溶け、冬の季節を前に「冬支度」を粛々と
するかのように静寂の中にあります。そんな光景を「冬に真向かう」と詠んでみました。
「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (14)
4.戸隠山無情 (1)
越水が
原に仰げば
戸隠の
連山晴れて
天に聳ゆる
戸隠の
山は紅
紅は
晴れの乙女の
振袖模様
紅の
戸隠山は
乙女らが
振袖姿で
並べるごとし
森林の
あふるる生気
身に浴びて
奥社に向う
歩みは軽し
随神門に
今来た道を
振り向けば
かの伝説の
比丘尼が浮かぶ
【短歌入門・質問・提案コーナー】
この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
皆様からのご提案、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、
ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
それが学びに繋がれば嬉しいです。
【口語自由律短歌】
自由律短歌は、五・七・五・七・七の定型や、韻律にとらわれずに作られた短歌を言います。
なお、伝統的な形式に拘束されずに自由な音律で、現代の生活感情なり、詩的感動を表現しようと
するところに、この名称が興りました。また、非定型短歌ともいわれています。
歴史的には、
1918年京都で「定型からの解放」を唱えた高草木暮風(たかくさきぼふう)等によってはじめられ、
1924年に、石原純の発表した歌が、歌壇において注目を集めた自由律の最初と言われています。
石原は、その後、自由律短歌論を展開し、やがて、この名称を定着させました。
石原の自由律短歌は旧来の文語体ではなく口語体を採用していたため、自由律短歌はそのまま
口語短歌運動と結び付き、口語自由律短歌として発展してきました。
昭和時代になると、金子薫園、土岐善麿、前田夕暮も参加し、口語自由律短歌は興隆期を迎えます。
特に、前田は、主宰していた「詩歌」全誌をあげて自由律を提唱し、自由律短歌集を次々と刊行して、
口語自由律短歌の代表作を残しましたが、昭和十六年に定型回帰しています。
敗戦後の1949年に宮崎信義により口語自由律短歌の雑誌「新短歌」が創刊され、同誌は2002年に
廃刊されましたが、光本恵子によって1989年に創刊されていた「未来山脈」に継承されています。
昭和末期、ライトヴァース短歌と呼ばれた、加藤治郎、荻原裕幸、穂村弘らが発表した記号短歌や、
散文に近い、字余り・字足らずの多い短歌群は、昭和初期の口語自由律に通じるものとも言えます。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、日本大百科全書 等
【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
(1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
(2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
(3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
(4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
(5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
(6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
了
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
思っています。皆様の投稿を歓迎します。
【運営にあたって】
本件は、「水曜サロン」も既に12回を重ね、皆様にもご理解されてきていることと
考えますので、末尾に記させて頂きます。
「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」
「悲しみのラプソディ~椿山荘の思い出①」
☆閑静な 目白通りは 洒落ていて
緑豊かな デートスポット
☆タクシーを 降りるとすぐに ドアマンが
礼儀正しく お辞儀出迎え
☆ホテルを 思わさせない 雰囲気は
アールデコ風 ロココ家具調
浅間山明鏡止水(knsw0805)さん
【解説】
目黒通りから神田川の畔を辿り、椿山荘に向う小径は青春の日の「憧れのデートスポット」でした。
「ホテル椿山荘東京」を舞台にした「悲しみのラプソディ」の次の展開を楽しみにしています。
一首目に、ラプソディとしての、デートの一齣も詠み込んでみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★緑濃き 目白通りは 洒落ていて
腕組む君の 笑みも嬉しく
☆魔女たちの宴が始まる
魔王の赤い月がかがやきをまして
☆おお!わずかだが光が増して魔に打ち勝っているぞ!そしてやすらぎ
自閑(jikan314)さん
【短歌説明】
YouTubeの音楽のイメージを短歌にしております。題は「月食」、音楽は、
ムソルグスキー交響詩 禿山の一夜です。
11月19日に月食が有り、当地では薄曇りで良くは見えなかったのですが、
月食の場合、真っ暗になる訳では無く、どす黒い赤い月となります。
一首目は、これを魔王の月として魔女の饗宴ととらえました。
二首目は、月食が終わりに近付くと月の辺から徐々に明かりを取り戻し、満月となり、
同時に昨今の感染者数激減に少しやすらぎを覚えて来たと言うもの。早く世界中が、
この疫病に打ち勝って欲しいものです。
下記URLにYouTubeと愚詠を掲載しておりますので、御覧頂ければ幸いです。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/0ba92979697f2995208fdc4e75890d97
【投稿外コメント】
私も、短歌を作る際は、声に出して読んで、推敲します。短歌も歌であり、リズムが大事と
素人ながら思っております。
次に黙読で目で追い、漢字(旧字体も)にするかひらがな(カタカナ、英語)にするか?文語、
歴史的仮名遣いにするか?改行、句読点を入れるか?読者になって、自分のイメージに近いか?
をみます。素人考えですが、リコ様のご意見を拝見して。
【補足】
「推敲」への具体的なアドバイスも頂きありがとうございました。
「ご参考」として、「水曜サロン」に集う皆さんにも読んで頂ければ幸いです。
なお、「口語自由律」短歌につきましては「質問コーナー」で少し触れたいと思います。
☆花びらを透かし光の溢れたり写真に映るバラの息吹が
☆薔薇(そうび)からあふるる光に息をのむ脈打つ花の命を見たり
リコさん
【解説】
薔薇「ジュビレ デュ プリンス ドゥ モナコ」の写真に寄せて詠んだ短歌との
ことですが、いずれの歌も、この秋薔薇の楚々とした風情を情趣深く表現されています。
二首目の「脈打つ花の命を見たり」の、的を射た表現に学びたいと思います。
薔薇「ジュビレ デュ プリンス ドゥ モナコ」
☆大勢に褒められなくても魂の珠に届けばよろし一人の
☆誰からも褒め得ざれども誰からも認め得ざれど腐ることなし
びこさん
【解説】
いずれも、作者の短歌に真向かう姿勢の真摯さがうかがえる、凛とした短歌と考えます。
短歌は突き詰めれば、相聞と挽歌に収れんすると考えますが、それらの歌もただ一人の方に
向けて詠まれてきました。その意味では「珠に届けばよろし一人の」通りと考えます。
また、短歌は「魂鎮め」のためにも詠まれたと理解しています。諸々の葛藤を抱える
己に向けて、その魂の慰撫、さらに鎮めを「みそひともじ」に託して行う営みが、
あっても良いと思っています。
☆紅葉も冷たき風に惜しげなく
真っ赤に燃えて 晩秋に散る
☆落ち葉舞うメタセコイヤの散歩道
そこはか淋し 冬の訪れ
クロママさん
【解説】
山も里も紅に染めた紅葉も、幾たびかの木枯らしに耐えながら散り時を迎えています。
一首目は、その散る様を「惜しげなく」と詠んだ表現が効いています。
なお、二首目の「そこはか淋し 冬の訪れ」にも、作者の想いが滲んでいます。
一首目は「惜しげなく」がはっきり「散る」にかかるように整理してみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★もみじ葉は くれない極め 燃えゆくも
風なき夕べ 惜しげなく散る
☆書きかけの記事をやめては詩をねるおもいの先はサロンへの夢
☆ほのかなる光頼りに足元を見つめて進む箱入り娘
☆ひとつずつ進んだ先に悩みありされどこの先止まることなし
和輪(warin2020)さん
【解説】
大切な記事を作成中にも関わらず、投稿歌を詠む事を優先している。そんな作者の
想いの先には「水曜サロン」への希望がある…。と勝手に解釈させて頂きました。
作者の鋭い感性と、豊かなユーモア精神に学びたいと思います。
☆暮れゆけば もみじ黄葉も闇に溶け 冬に真向かう支度急ぐや
ポエット・M
【解説】
木々は夕映えの中、終焉の輝きをもみじや、黄葉に託して演じきり、既に散りつつあります。
散りゆくもみじも、木々に残る黄葉もいつしか闇に溶け、冬の季節を前に「冬支度」を粛々と
するかのように静寂の中にあります。そんな光景を「冬に真向かう」と詠んでみました。
「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (14)
4.戸隠山無情 (1)
越水が
原に仰げば
戸隠の
連山晴れて
天に聳ゆる
戸隠の
山は紅
紅は
晴れの乙女の
振袖模様
紅の
戸隠山は
乙女らが
振袖姿で
並べるごとし
森林の
あふるる生気
身に浴びて
奥社に向う
歩みは軽し
随神門に
今来た道を
振り向けば
かの伝説の
比丘尼が浮かぶ
【短歌入門・質問・提案コーナー】
この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
皆様からのご提案、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、
ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
それが学びに繋がれば嬉しいです。
【口語自由律短歌】
自由律短歌は、五・七・五・七・七の定型や、韻律にとらわれずに作られた短歌を言います。
なお、伝統的な形式に拘束されずに自由な音律で、現代の生活感情なり、詩的感動を表現しようと
するところに、この名称が興りました。また、非定型短歌ともいわれています。
歴史的には、
1918年京都で「定型からの解放」を唱えた高草木暮風(たかくさきぼふう)等によってはじめられ、
1924年に、石原純の発表した歌が、歌壇において注目を集めた自由律の最初と言われています。
石原は、その後、自由律短歌論を展開し、やがて、この名称を定着させました。
石原の自由律短歌は旧来の文語体ではなく口語体を採用していたため、自由律短歌はそのまま
口語短歌運動と結び付き、口語自由律短歌として発展してきました。
昭和時代になると、金子薫園、土岐善麿、前田夕暮も参加し、口語自由律短歌は興隆期を迎えます。
特に、前田は、主宰していた「詩歌」全誌をあげて自由律を提唱し、自由律短歌集を次々と刊行して、
口語自由律短歌の代表作を残しましたが、昭和十六年に定型回帰しています。
敗戦後の1949年に宮崎信義により口語自由律短歌の雑誌「新短歌」が創刊され、同誌は2002年に
廃刊されましたが、光本恵子によって1989年に創刊されていた「未来山脈」に継承されています。
昭和末期、ライトヴァース短歌と呼ばれた、加藤治郎、荻原裕幸、穂村弘らが発表した記号短歌や、
散文に近い、字余り・字足らずの多い短歌群は、昭和初期の口語自由律に通じるものとも言えます。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、日本大百科全書 等
【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
(1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
(2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
(3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
(4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
(5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
(6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
了
浅間山明鏡止水です。
短歌投稿します。
「フォーシーズンホテル」今は「ホテル椿山荘東京」になっていると思います。
「悲しみのラプソディ~椿山荘の思い出②」
「ル・マーキー お洒落なバーが お気に入り
ハバナ葉巻に バーボンスコッチ」
「イタリアン 舞台のような イル・テアトル
白トリフのパスタに 舌鼓打つ」
「夕闇の 帳が落ちて 漆黒の
闇夜が来れば 愛のささやき」
次回も続きます。
前回1首目を加筆して頂きありがとうございます。
次回は悲しみのラプソディに相応しい短歌「想像の翼」を拡げて残り3首書きました。
時間がありましたので感想を書きました。
まずは私の「悲しみのラプソディ」1首目を修正して頂きありがとうございます。1首目にこの歌があれば後の流れもスムーズに行きましたね。そこに気がつかない私の浅はかさです。
今回は全体的に文字も大きくなって物凄く見やすくなりました。老眼鏡に頼っている者にとっては有難い限りです。それにしても毎回の写真が綺麗・美しくて感動・ため息の連続です。そして私を癒してくれています。
会員の方の投稿はどれも素晴らしく勉強になります。
哀花さんは「別れ(7)」より一転して、タイトルは「戸隠山無情」となっていますが、少し明るくなっているような気もしますが、彼女への想いを吹っ切ったのでしょうか?気になります。
「水曜サロンの会」に関してはShouさんの書かれている「それぞれの感性で日々の生活の中で生まれる驚きや、感動を~自らの歩みの足跡に繋がっていければ~」に共鳴しております。
早速に出詠頂きありがとうございます。
「悲しみのラプソディ」の第二弾。
おしゃれなバーにレストラン、さらに漆黒の闇に交わすささやきと、
「ラプソディ」も佳境に入ってきましたが、テンポの良さに惹かれます。
一首目は、ホテルのメインバー「ル・マーキー」で、ハバナ葉巻を燻らす
カッコいいKenさんが浮かぶ短歌ですね。なお、お酒は「スコッチ」か、
バーボンに絞ったほうが、物語が膨らむと考えますが、いかがでしょうか。
★ル・マーキー お洒落なバーが お気に入り
ハバナ燻らし バーボンを飲む
なお、温かく前向きな「感想」を頂き、嬉しいです。
文字の大きさも、少し大きくしてみました。また、写真についても評価して頂き
ありがとうございます。Kenさんの言葉を励みにして取り組んでいきたいと思います。
「水曜サロン」も、多くの優れた「歌詠み」の方に参加いただき、刺激を受けると共に
学びになります。
これからも宜しくお願い致します
修正短歌ありがとうございます。
バーボンウイスキーとするべきところを誤りました。
もし許されるなら来週水曜日発表の際にはスコッチ→ウイスキーに訂正して頂けると嬉しいです。
訂正の件了解いたしました。
「水曜日サロン」への掲載の際は「スコッチ→ウイスキー」にさせて頂きます。
ご丁寧な推敲に痛み入ります。
掲載ありがとうございました🙇🙇😊😊
記事を拝見させて頂きまたまた勉強になりました。
がんばります❗
それでは失礼致します🙇🙇😊😊
いつも本当にありがとうございます🙇🙇😊😊
ご丁寧なコメントを頂きありがとうございます。
和輪さんの視点、鋭い感性には学ばせて頂いています。
「水曜サロン」への出詠をお待ちしています。
これからも宜しくお願い致します。
久しぶりに投稿いたします。
ご指導をよろしくお願いいたしますm(__)m
しめやかな宿雨の朝をひとりじめあかさび色の落ち葉踏みしめ
冷たい雨の朝いつも人の多い公園はだれもいなくてメタセコイアの落ち葉の絨毯をひとりじめ、気分は爽快でした。
享楽という時代に確かに私は生きていた。青春時代
【短歌説明】
YouTubeの映像音楽を聴きながら、短歌を作っております。
題は、「享楽への郷愁(山下達郎 JR東海)」で、この時期になると毎年流れていたJR東海の山下達郎のクリスマスイブです。
10年前に作った短歌ですが、先日銀座を歩いていて、きらびやかな世界に、バブル時代を思い出し、以前作ったのですが、投稿します。
何かがおかしかった時代ですが、そこに私の青春時代に生きていたんだと言うものです。
YouTubeの映像と最近の銀座の写真を下記urlに載せておりますので、愚詠もご覧頂ければ幸いです。女優たちの衣装がいかにもバブルだなあと。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/10da09f770f6965b0dc24780b1d74a15
【投稿外コメント】
自由律短歌について、詳しく教えて頂き有り難うございます。定型であれ、自由律であれ、自分の思った事を表現でき、相手に伝わればなあと。でも独善的にもなり勝ちなので、十分注意しないとと思っております。
2作、投稿させて頂きます🙇
1→雨上がり
澄みきった空に
浅間山
雪の冠
凛と佇む。
2→つかの間の
コロナ休息
倍返し
気を抜く隙を
狙って撃つか?
宜しくご教示ください🙇