生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2010年8月22日 新座散歩イベント主催(その1)

2010年08月24日 | 都外散歩イベント主催
この日の行き先は埼玉県新座市で、江戸時代に開削された野火止用水沿いに整備された遊歩道をのんびり歩き、武蔵野の里山の風情を昔のままにとどめる国指定天然記念物の平林寺境内林を散策した。この日も暑かったが、木陰が多く土の上を歩くことが多かったので普段よりも楽な感じがした。

参加者は管理人も含め10名で、男性が1名、女性が9名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初めての方は2名。今回のコースは女性好みのコースとは到底思えないのだが、女性の参加が非常に多かったのが不思議だ。

今回は割合緑の多いコースだった。東京近郊にあれだけの雑木林が残っているのは貴重だ。いつまでも残っていてほしいと思う。野火止用水沿いの遊歩道は早朝に歩いたら気持ちがよさそうだ。個人的には紅葉の時期に平林寺に行ってみたい。

本多の森お花畑のひまわりは花びらがほとんどなくなり黒こげ状態で実に残念なことになっていた。ひまわりまつり開催時期にこの状態というのは、今年は開花が早かったのかもしれない。開花時期を予想するのは難しい。


【コース】
新座駅→野火止用水→睡足軒の森→平林寺→本多緑道→本多の森お花畑→西堀史跡公園→新座市歴史民俗資料館→道場バス停でバス乗車→朝霞台駅で解散


(写真の大部分は下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)


■野火止用水

江戸時代・承応4年(1665)に当時川越藩主であった松平伊豆守信綱が領地の野火止台地開拓のため、生活用水の確保を目的として開削した用水路。用水路は全長およそ25キロメートルで、東京都小平市で玉川上水から分水、野火止台地を経て、埼玉県志木市の新河岸川(志木市)に至る。

承応2年~3年に幕府の老中職であった信綱が玉川上水を完成させた功績により、幕府より玉川上水から三割の分水許可を得、家臣の安松金右衛門に命じて工事を行わせ、約40日間で完成させた。後に平林寺堀、陣屋堀、菅沢・北野堀の三支流が作られた。

野火止用水は昭和38年(1963)ごろまで付近の人々の生活用水として利用されていたが、急激な都市化の影響により、流れが汚染され荒れてしまったが、昭和49年(1974)度より埼玉県・東京都・新座市が野火止用水の復元・清流復活事業に着手し、本流と平林寺堀の一部に清流を復活させた。



野火止用水の本流。


用水沿いは遊歩道になっている。


支流の平林寺掘。


■睡足軒の森
国指定天然記念物の平林寺境内林の一部で、武蔵野の里山の風情が残る森。

江戸時代には野火止周辺は上野国高崎藩・松平右京大夫家の飛領地で、ここに陣屋(屋敷)があった。近代になり「日本電力の王」と称され実業界で活躍する傍ら、茶道にも造詣の深く近代の三茶人(益田鈍翁、原三渓、松永耳庵)と称された松永安左エ門(耳庵)が土地を購入し、屋敷地とした。昭和13年(1938)に、松永は横浜三渓園で有名な原富太郎(三渓)の世話で、飛騨高山付近の田舎家を敷地内に移築し、親しい友人を招いて茶を楽しんだ。

昭和47年(1970)に田舎家と敷地が菩提寺の平林寺に譲渡され、田舎家を寮舎「睡足軒」として利用していたが平成14年(2002)に新座市に無償譲渡された。






雑木林。


睡足軒。茶道、華道、俳句など伝統文化活動に利用される。


睡足軒の内部。


紅葉亭。


紅葉亭の内部。時折座禅教室が行われる。



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