住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

住宅の哲学・夏を快適に

2009年08月20日 | 住宅関係
 -たくさんの、ご拝読感謝、感謝です。-



  木造一戸建て住宅において、夏を比較的快適に過ごす方法は、基本的には無駄なエネルギーを使わないで、自然の法則を利用する事である。  屋根裏を密閉して、エアコンを付ける事などは、最も避けるべきことである。 最も効果が有る事は、地球をコンクリートとアスファルトで覆って窒息させない事である。 出来うるならば芝を植えて、出来なければ雑草でも善しとして、その上には防火延焼を考えて、広葉樹を植えることである。 木の種類によっては葉から渋を出すものも有るので適度の離隔が必要である。

 次に、住宅の構造について、屋根の勾配は出来るだけ急にする事であるが、メンテナンスを考えれば、人が上っても怖くない勾配である事が必要である。 そして、空気による家屋冷却の煙突効果を考え、屋根は切妻か母屋作りが良い。 それでも、外気が体温に近くなったら、体力が弱っている人、屋内でディスクワークをする人にとって、エアコンは必需品で有る事は間違いない。  エアコンも値段次第で様々な機能が付いているが、基本的には部屋の中に居る人に、直接風が当たらない事が、肝心である。 屋根裏に温度センサー付きの換気扇を付ければ、風量の選択もあるが、それなりに効果は有る。

 私は、自宅は最もくつろげる所であるべきと心得ているので、暑ければ裸に近い姿をお奨めである。 本来人間は、暑さには強く、寒さで病気になることが多いように出来ている。 汗を出す事は、体の体温調節もさることながら、老廃物も排出されるものと心得たい。 一時代前は、わざわざサウナを寝室に持ち込んだものである。 私はサジェスト無しに、それを客の希望通り施工した。 だが、現在使用している人は少ない。

 山形でも、雪に悩まされるところは、池を造るのも、一つの考え方である。
夏には、内陸では北風が70%位なので建屋の北側が涼風を運び入れられる。 “つくばい”でも置けばそれでまた涼しさが倍加する。 真冬には其処に雪を入れれば多少は、体積を減らす事はできる。 屋根もトタン屋根なら、シルバーか白っぽい色が屋内の室温低下をもたらす。

 住宅価格が高い、安いと言うのは、地元の大工さんを頼んだ場合、性能は値段に比例すると言う事と、もし資金がチョット少ないと思ったら、面積を小さく建てることを心に留めて欲しい。  10年位で、家族構成は変わり、現在の状態が永遠と言う事は無いからである。

住宅の哲学

2009年07月18日 | 住宅関係
 衣装に哲学があるように、住宅にも哲学がある。 
ソクラテスやカントを期待して訪れた方には残念であるが、私は観念的な論を好まないので、ここでは、哲学を真理の学問と定義したい。

 住宅の必要性は、人間の体が自然に対して余りにも無防備であるために起こることであるし、それは外敵に対しても安全に休息をとることが出来るようにそれなりの、丈夫さを有してなければならない。
分かりやすい言葉なので、政治の世界でよく取り上げ使われる、『安心』『安全』ということである。

 政治的な誘導か、経済的な誘導か、どちらも含まれてそうなったのだろうが、現在の家族形態は核家族を良しとして、社会が構成されている。 経済的には、その方が物は動くし、貨幣も動くので、なんとなく便利なような気はするが、それは本来人間が継承してきた文化、習慣、経験の継続を絶つ役割を促進している。 
そしてその核家族化が進んだ国ほど、国民はバラバラになり価値判断基準がすべて金銭で置き換わるようになる。 金銭で世の中を見るのではなく、善意で物事を計るように、生まれたばかりの赤ちゃんは、ご年配の人に喜びと生きる勇気を与えるし、子供たちは出来る範囲のお手伝いをし、青年たちは新しいことにチャレンジする。 そして、年配の人はその人が身につけた仕事をすれば、その個々人の役割、励ましあいとかで有機体として機能すると思われる。 かつての、東南アジア系住民はそれが普通であったのだろう。

幾世代か同居することによって、精神的には核家族のように自由奔放には行動出来ないので、お互い譲り合いをしなければ、一家を維持することが難しい。
戦前の、家族主義のように家長が全てを決める時代でもないし、家族がNOを突きつけることも許されない時代でもない。 お互いが少しずつ譲り合う心を復活させるうまい方法を考えたいものだ。

 現在の建築士の制度にもいろんな問題が内包されているが、最も矛盾をはらんでいるのが、そのクラス分けだろう。 職業訓練校卒でも、東京大学建築学科卒でも、その制度上では合格すればどちらも一級建築士である。
社会の需要によって、合格する難易度が違うこともあったので能力の違いは止む得えないが、その技術力はピンキリである。 かつての「アネハ事件」のこともあり、ますますその資格の内容は複雑多岐に進んでいる。 
ダニ公務員が天下りし、その複雑多岐の隅々まで講習を義務付け、講習会費を給与に充てんが為、複雑さを解消したくないと言う思いもあるのだろうか?
そして、確認申請で問題が出れば逃げまくり、結局責任者は居ないことになる。
国民目線ではなくて、退職金目線で勤め上げようとしているナサケナイ人が多い。

 本当の、国民の健康と安全は、資本原理主義が跋扈する中でかすんで見えなくなってしまっている。 建築学上からいえば、住宅は奥が深く一言では言えないが、始めに、精神的安寧の状態を保てることが住いの第一条件である。



子猫が3匹

2009年07月09日 | 住宅関係



 玄関前にやって来て久しい。2週間くらいになるか?
納屋で小猫を生んだのは、知っていたがこんなに早く紹介してもらえるとは、思わなかった。 今のメス猫は、今年が初産なので行動の予測がつかなかったのだ。 

小猫を玄関前に運んできてから、なんか強い異臭が鼻を突くようになった。 原因が分かった。 オス猫が、毎日毎日玄関前に通ってきて、自分より高いところから“オシッコ”をかけていくのだ。 毎日ファブリーズしても臭いは取れない。 猫も哺乳類、人間も哺乳類、テリトリー宣言のための“オシッコ”は、人によるのかもしれないが、やはり自分にとってはとても嫌な臭いだ。


 話は一戸建て住宅に飛ぶが、よそのお宅を訪問して仕事をする我々のような、例えればスズメバチの様に訪れた先で仕事をする人は良く行き当たる場面だと思うが、玄関の戸を開けた瞬間、トイレの複雑な臭いが鼻を突く家庭がまだ有る。 こういう家庭を考えれば、おもに多世帯住宅だ。 建築屋として、あるいは人類学的立場からの、孫とお爺さんの同居、文化の継続を望むものとしては望ましい多世帯住宅ではあるのだが・・・・、よくストレスを爆発させないで暮らしているもんだなーと思う。

 
 多世帯住宅での問題はそこに住む女の数だけ、釜と、トイレと、風呂場があれば同居のための問題は半減する、と私は言いたい。
臭いの原因は、主に洗濯機パンのトラップ、タイル床のトラップ等比較的使われてない所の、封水が嗄れている場合が多い。 排水口にみず200cc位流すことで防げるのだが、ついつい忘れるということだろう。
その次には、節水を意識していると思われるが、小便ストールのフラッシュバルブを使わないことが多いのではないかと思われること。 自動のバルブが多種販売されている現在では3万円台で、性能の良いものもあるので信頼出来る専門家にご相談されることがお勧めである。

 ぜひストレスをなくして、3世帯住宅で仲良く暮らしていただきたい、と貧乏設計屋からの、御願いでごじゃった。

トイレ、節水、漏水について

2009年07月04日 | 住宅関係
 近年、水は資源の一つとして数えられるようになった。 日本に住むということは、水と安全は『タダ』ということも、今や伝説になろうとしている。 水が資源の一部と言うのは自覚されている方も多いと思いますが、数字を挙げて後に取り上げてみたい気はする。

 新築において、トイレの便器はもはや洋風便器がほとんどであるが、その用済み後の水の使用量は、6リットルが国際標準となっている。 昔の便器は10~13リットルが標準であったので、約半分となった。 昔の洋風便器から今の洋風便器に取り替えるのにさして難しい技術はいらないが、水廻りだけに専門家の意見を聞きたいところである。 便器の進歩は著しいものでその他にも色々と改良されているが、注意点は掃除、あるいは使用後に紙の使用量を加減しないと便器の流れが阻害されることがある。  マ、そういう事が有るので、我々の商売は食いつないでいける訳だが・・・・。 大手の水廻りメンテナンス業者は、同業者から言わせたら止むを得ない深夜の時以外は余りお勧めでない。

 
 漏水は、水道業者がメーター検針の際針が動いていれば、漏水かどうか指摘してくれるので、たいていは間をおかずに発見されると思う。 ただ、その調査能力は会社会社、個人個人によってかなり開きがあるし、修理値段にも開きがある。
なので、素人の方でも探せる方法はあるにはある。 水の使用を止め、風呂、トイレ、台所、外の水道と順に蛇口に耳を付け、漏水音を確認することである。 それで一番音の高いところの、外壁面の土を掘ってみることである。 それで分からなければ、プロを頼んだ方が良い。

傾向的に、漏水箇所を言えば、水抜き栓あるいは玄関の外に立っている不凍給水栓からが多いので、最初に音を聞いてみたいところである。 頭に赤いハンドルが載っている”アレ”である。
次が、ボイラーである。 ボイラーの廻りが濡れていたり、配管からシューという音が聞こえたり、蒸気が出ていたら間違いない。
最も、プロでも難儀するのが地中配管の劣化である。 このような時は、修理してまた漏れる可能性を残すより、全面的に入れ替えた方が良い。

凍結による配管割れなどは、現在ではほとんどなくなったが、観賞魚の配管とか電気ヒーターの劣化なども忘れずに見る必要がある。 ヒーター切れなど気が付かないと次の年も壊れる・・・・。
アルカリの強い井戸水でトイレを流している方は、水廻り全体の寿命が短いことも考慮しておきたい。

 

寒河江・慈恩寺其のⅡ

2009年06月30日 | 住宅関係
 昔、仏教の僧はインテリで庶民の羨望を一身に集め、人間の生き方のお手本を示したのだろうか?  権力筋から重用され其の教えを広めて行った事は充分に推定できるが、1500年もの長い間、失せることなく継続する事ができたのは、やはり、現代まで長らえた他の宗教同様、何らかの真実が含まれていたからであろう。 江戸時代に各寺に檀家分けしてから、お坊さんは其の檀家に胡坐をかいてしまったのだろうか。


禅宗の僧は、チョット前には真冬にわらぞうりと素足で寒行と称して、お布施を集めたものでした。 現在、僧の能力的な知恵はどの程度か知りませんが、生活能力は一般人より良いものと感じております。 車は、外車か国産の高級車で、天童のホテルに集まったとき等は、マルボーと見間違うほどでした。 刺身は食うな、肉は食うな、妻は娶るなとは申しませんが、生活に余裕があるなら、餓死にいたる人を少しでも助けてくれても良いのではないだろうか。  精神的に不安定で病気になり、種種の薬を服用し、さらに病気を進行させるのを、悩み、迷いを導いてくれただけで、病人の1/3は直るのではないか。 社会不安が何か、そんなことを、座禅の中で思い付かないのだろうか?


  話は変わるが、またぞろ献金問題が浮き上がってきた。 政権交代を期待するものとしては、鳩山氏の故人献金だけがこれ見よがしに取り上げられ、与謝野大臣の迂回献金、二階大臣の献金疑惑などは余り目に付かないように、報道されているような気がする。
やはり、自民党と検察官僚はつながっているの?  ホソダーウルマーヒワタシ各氏は東大の法学部つながりとどこかで見たが、先輩後輩のつながりはいかにあるのだろうか?


細田幹事長の献金疑惑も過去にはあったようだが上手く乗りこなしたようです。 企業献金全廃に、自民党も賛成すべきと思いますが・・・・。
過去にこんな記事がありました。
*****細田博之官房長官の運転手給与の肩代わりをしていた日本道路興運の問題で、 細田官房長官は、「全体の献金額が限度額を超えれば違反になるが、(私は)受ける側なので知りえる立場にない」と発言。規正法では違法献金をした側も受けた側も罰則規定があるとの指摘には「解釈としては、こういう違反は受ける側に故意があったら当然ですが、(私には)そのような故意はなかった」と弁明しました。  ******
 URL  ttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-05-25/02_03.html より

 

寒河江・慈恩寺

2009年06月29日 | 住宅関係


 724年行基がこの地を選び、746年菩提僊那と言うインドの渡来僧によって寺院が建立されたとウィキに記されているので、AC800年より前に、この地に中央の僧が入山したのだろう。 山寺が円仁(慈覚太子)さんによって開かれたのが860年、空海(弘法太子)が東北行脚されたとされた820年あたり、坂上田村麻呂がアイヌと争いを止めようと来たのが790~800年あたり、 一方、ヨーロッパではローマ帝国が分解し混沌の時代となり、 中国では楊貴妃の時代が終わりを告げようとしていた。 アメリカ本土がコロンブスに発見されたのが1500年頃だから、インディアンたちが助け合って、緑に溢れていたアメリカの大地を自由に走りまわった時代であろう。

 
 ところで、パソコンと言う便利なツールが無かったら、ブログで言いたい事も言えないし、また言葉が違う外国の人には、ちんぷんかんぷん、それは仕方が無い。 同じ言葉を話す日本人同士でも、何の為に意見を書き続けるのか、何を言っているのか、その考えも、気持ちも全く理解できない人も居る。 本当は、舌足らず、言葉足らずの説明べたなのだろうが、自分にストレスを貯め易いタイプなので、読んで意思が通じない人を、豚に真珠、馬に念仏と思う事にしている。 しかし、本心は行間ににじませた思いを感じ取ってもらいたい気がする。

 宗教というものは、有る意味『薬』と同じで毒にも薬にもなる。 度が過ぎなければ、適度なモラルと良識を思い起こさせてくれる。 新渡戸稲造氏がクリスチャンである事はつとに知られているし、福沢諭吉氏も『神』と言う言葉を『天』と置き換えただけで、その人知を超えた者への畏怖の念を待たせようとしていた。 

 
 1200年の歴史ある慈恩寺の荒廃は、宗教家の無為無策を責める事もできようが、本当は個人個人の信仰心が恢失してしまったからなのだろう。 教育制度云々より、『ジージ、バーバ』がご先祖様に、神様に御参りする姿を、あるいは父母がお参りする姿を、見ないで子供達が成長するからだろう。
不景気が、3世代同居を促し、良い習慣、昔からの行いが、祖父から孫へ伝わって行けば望外の喜びという感じがする。
そして、鐘楼の修繕費ぐらいは、アッという間に寄付が集まるそんなことにはなるまいか・・・・・・・・?


一休さん

2009年06月19日 | 住宅関係
 ご連絡有難うございました。お名前は分かりませんが感謝いたします。 早速、五十沢観音に行って参りました。 
近くには、わらぶき屋根の里が有ると言う事で、見てまいりましたが、観光で出かけるほど、わらぶき屋根は残っておりませんでした。 白川郷などと比ぶべくも有りません。

自宅の話をすれば、私の家もたかだか30年ほど前までは、わらぶき屋根でした。 掃き出し窓の上と下では隙間が出来、そこから冬など隙間風と一緒に粉雪も入ってきたことを記憶しております。
わらぶき屋根の中で生活をしている人のことを考えたら、いかに芸工大の先生でもそのいい加減さに、あきれてしまいます。 其のわらぶき屋根の痛みがひどい事もありますが、軒けた等は波打ち、震度6の地震が来たら、ひとたまりもない事は明らかです。 もし、県で研究費として大学にいくらか出しているとしたら、本当にそこに住む人のことを考え、大学でなく地域に100万でも200万円でも支援費を出すことがより良い予算の使い方ではないでしょうか?


話は変わりますが、いまどきの時代、市長になった人は自分が世話になった市に住まず、県知事になった人は、世話になった県に住まず、市職員でさえも余りある給与のために、其の俸給を戴いている自治体より良い環境に住むのが当然のような現状となっております。 本来は役場に勤める人は、生活環境を共有し、喜びも、困りごとも一緒になって解決する形が望ましいのでしょう。

どうすればよいか、公務員の給与高過ぎるのではないでしょうか。 地元の会社の給与の、2/3位のところに有るように迅速に給与を動かせばどうでしょう。 人事院も、公務員で民間から見たら、何処から見てもお手盛り給与と言われても仕方が無いのではないでしょうか。 世襲公務員、世襲政治屋がが増えないない程度の、私は金のためでなく住民の笑顔のために働くという気概の人が増えたら、すこしは地域が、雰囲気が、良くなるのでしょう。


住宅火災と電線とネズミ

2009年06月16日 | 住宅関係
  時々、火災による悲惨な報道が流れる。 住宅と付帯設備が燃えるのは、過失によるものなら有る程度は仕方のない事である。 それをよく考えれば人生のリセットと考え、改めて生活を立て直す事ができる。 しかし、それらは時として人命を奪うので油断できないし、被害者は子供と年配の人が多いので悲惨さは倍加する。 それを防ぐ為に打つ手が有ったら、前もって手を打っておいたほうが良い。

住宅火災のデータをネットで調べれば、概ね火災全体の電気関係の原因が10%、原因不明が10%となる。 住宅に携わるものとして意見を述べさせてもらえば、原因不明も大部分が電気関係だろうと思う。
 http://www.fdma.go.jp/html/data/h15_12.html#3

 仕事柄、他人の家の天井裏を這いつくばってお邪魔する事が多いのだが、天井裏にネズミが居ると仰る家の殆どが、電線の被覆をかじられている。 現在の分電盤(電力ブレーカの付いている)には、漏電ブレーカと言うものが、必要な事になっているので、その分電盤以降は、ほぼ漏電に対しては安全であろう。  
ほぼと言うのは、その漏電ブレーカも10年くらいで働きが鈍くなるものがあるからである。

しかし、電気屋として肝を冷やすのは分電盤の前の電気配線(8M以内)の被覆が“ネズミ”にかじられ、きらきらと光っているときである。 実は、この分電盤と積算電力計の間には、保護装置が働いていないのである。 私がその状況を発見した場合には、電力計のすぐ後に漏電、過電流制限のブレーカを勧め付けていることが多い。

 それから、‘08年の建築基準が変わって、火災報知機が義務付けとなった。 この間の法改正はいたく不完全で、官製不況、官製不況と言われたが、この火災報知機も中途半端な義務付けとなった。
仮に、考えてもらいたい。 今ここに、寝たきりのおばあちゃんの寝室が有るとする。 許可された火災報知機がつけられている。 火事になった。 おばあちゃんの頭の上で、『火事です! 火事です !』と叫んでも一人では逃げられない。 火災報知機は、一軒の家では報知器全部に連動を義務付けるべきであったのだろうと思う。

一人暮らしの場合には、どちらにしても余り変わりは無いだろうが・…。


山形・農業

2009年06月13日 | 住宅関係
 山形に住んでいるということは、形はどうあれ農業と関わらない訳には行かない。 今、通信事情が発達したから山形で事務作業を受けて生活を営もうと思いながら、人間関係、営業関係が希薄になり、仕事が薄くなり已む無く東京に舞い戻る人も居る。 残る人はある種の食料自給、あるいは身内の土地が足かせとなる人か。

農業でも、特用作物、嗜好作物を作ったり、製造業で他に真似のできないアイデアを発揮できている人もいる。 それが地場産業となりうるのであろうが、それを考え、実行できる人は2割も居ないだろう。  あとの6割は見よう見真似、あとの2割はヤクザ(?)な人達である。私はその後の2割か(?)

山形に住んでいる人に関わらず、日本全国で農に関心のある人が心を痛めて居るのは、荒廃地のことであろう。 そもそもの原因は、高級官僚の米の需給予測の間違いである。  40%の休耕水田で米以外のものを作るのは、別途暗渠施設、水利用費の除外等々、再び三度、金が要るのである。  官僚が、私たちのデータが間違いでしたと、誤りを認めたなどとは聞いた事がない。 その40%の耕作放棄地にも、延々と耕地整理賦課金、水利用費が職員の給与と退職金のために毟り取られている。  いったい土地改良区職員の給与が、農民の収入に比例して下げたとは聞いた事がない、コレはどういうことだ。

何もお知らせが無いのもつまらないので、天井裏のネズミについて一言。
床下換気口の格子をくぐるほどの、ネズミがいることは御存知の方も居られよう。 彼らを追い払うには、ご先祖様に毎日お祈りをする事である。
昨日の無事と、今日の無事を祈って毎日、お線香を3本づつ焚けば、ねずみはたぶん天井裏から逃げ去るだろう。 ただし、無香料の線香の場合は良く分かりません。