医者の世界にも、カネと名誉の世界が忍び寄り、古の名作『赤ひげ』先生の様な、使命感に溢れ分け隔てなく、時を選ばず診察をしてくれた、滅私の姿勢に徹した先生に巡り合わなくなってから、ずいぶんと久しい。
私がまだ生まれる前の母が『赤痢』を患ったときに、我が身の感染も省みず診察治療をしてくださった『クリスチャン先生』。 北風と舞い飛ぶ雪も物ともせず、腰まで雪に埋もれながら徒歩で住み込みの看護婦さん(或いは奥様)を伴って往診、子供の命を守り続けた、義務感と責任感と人情感に溢れ、それを一切表に出す事無く、淡々と一生を終えられた老先生。
現代の、その人間欲に浸食される自意識も無いまま診察を続け、本来の医者の姿に立ち返れない者達が多くなって来ているのではないかと思う今日この頃・・・。 医学部を卒業するために使った、莫大なお札を取り返そうとか、自分の息子を医者にするために、再び高額の医学部への支払いにでも、充てる予定が有るとでも云うのだろうか・・・。
前に上げたが、人間の自然の《喜怒哀楽》の表現を異常事態とみなし、精神病理学上治療を要すると決断し、向精神薬を処方する一流大学の卒業者たち・・・。 自分の身内で、そのようなデリケートな反応を示す者がいたのなら、どの様な対応をしているのか、尋ねてみたい気がしないでもない。 デリケート過ぎる子供達、あるいはその子供たちがそっくり大人になった様な状態・・・・精神科医にとっては《飛んで火にいる夏の虫》皆が認める薬漬け・・・・そんな損得勘定は有りませんか・・・?
うちの猫の中に、黒の模様が付いて性格がもっそりとしている、『クロ』と云う名前の『オス猫』がいる。 模様は、母親譲りと云うか絵に描いたようにそっくりな図柄であった。 あったと云うのは、その母親猫はこの『クロ』を生んで2年くらいで天寿を全うしたからである。 隣に住む『アカトラ』の連れ合いで有ったが、その『アカトラ』、連れ合いが亡くなった事を理解しようとせず、その『クロ』というオス猫を、連れ合いと勘違いして4~5年過ごしたのではないか疑われる。 このクロ、鳴き声はどら猫特有の、発情期の声は出さないし、何時も隣のアカトラと一緒にいた。 猫飯もアカトラが、自分が食べた後で『クロ』に食べるように促していると、隣のおばさんが言っていた。云わば、これは後天的な人間で云う処の『性同一性障害』と云う事なのだろう。
いきなり話が飛ぶのもなんであるが、我が身を振り返れば、思い当たることも無いわけではない。 但し、その事情や病名は多少違う事になろう。
《年齢同一性障害》 ウィキペディア風に言えばその症状は・・・『生物学的年齢と年齢の自己意識とが一致しないために、自らの生物学的年齢に持続的な違和感を持ち、自己意識に一致する年齢を求め、時には生物学的年齢を己れの年齢の自己意識に近づけるために年齢の適合を望むことさえある状態』と云う事にでもなるのだろうか・・・。 もちろん、こんな理論を声を大にして公にしたのは、私が世界で初めてではないかと思っている。
アングル (ヴィーナス誕生)
今日は、お仕事である大きなお店に行き、レジに立っている女の人に一目惚れ・・・。 その立ち姿は、アングルの『泉』と云う絵画に描かれている『ビーナス』そのもの・・・。 その表情には世間ずれが全く見いだせず、一つ一つのしぐさはまるで高根に咲く蘭の花、このままレジの前に置いて置いては、性悪男に騙されるのではないかしらと心配になってしまう、よく親御さんはこの様なお嬢さんを、荒波の中に放りだしたものだと心配になってしまう。
これが、《年齢不同一症候群》と云う事なのであろう。
だからと言って、自分の様なおじいちゃんに、何が出来ると云うのか・・・!
こんな、年齢不相応な不純な思いは、どこから湧き上がってくるのだろう。 自分は悪魔と我が身の命の契約をして、全てこの世の望む者を手に入れようと望んだことも無い。 しかし、娘さんには親も有り、親には親の気持ちも有り、友達も有り友達の気持ちもある。 こんな、周りの状況が手に取るように見えれば、世の中で思ったように行動することは、とてもとても思っても出来得るものではない。
一生に一回くらいは、全ての周りの人々の思惑を無視して、行動するようなバカな『度胸』も必要なのだろうと、密かには思うのだが・・・ 。 行動しなければ思いは届かないのだが、行動したからと言って思いを理解してもらえるとも限らない、《アラ、シクスティー》の儚い、迷いです。 その娘さんは、何の因果か夢の中まで追いかけて来て、今日で3日目になる。 正直、幾日位、付纏われる事になるのか、毎日心配でたまりません。