住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

 続 ― 天国への道 ―

2015年11月29日 | 日記

  前回ブログの『親子心中未遂事件』。 こう云う場合、3人家族を天国に導こうとした人は誰なのか、月収4~50万円の高額所得者(=公務員)である人生の勝ち組には、到底理解出来る事ではないかも知れないが、神に対する見えない責任、人の生死に携わりながらその責任を蔑ろにした責任は、決して免れ得るものでは無い。 

  自身が、ただ無心に神に向かって手を合わせて見れば心に響きが有ろう、行政と云う役割の『いの一番』が、自分の報酬を得る事と勘違いしている、大多数の公僕にはその仕事の気高さは、理解出来ていない者が多い現代の政治には、この様に人に見えない物に対する、恐れ慄きが全く無くなったことに、大きな原因が有るのではなかろうか・・・。
前回引用の、2番目の話の両親を天国に送った娘さんの事件の経緯が、少しだけ見えて来た。


  腐れ公務員、責任を重く、深く反省し、それを形に表すべきであろう。
そうで無ければ、正義と云う事の本質、税金を出している庶民に対する責任と云う義務を、忘れ放棄したという事と、断ぜざるを得ない。
『 恥を知れ、愚か者め・・・』  これこそ、ダニの最たるもの、人間としての意識の持ち合わせを失った、『金の亡者』との非難も敢えて受けねばならぬだろう。


        ― 政治に求められる、母親の慈愛 ―

  以下、Twitter より引用
 *** 山井和則 ‏@yamanoikazunori  ***
 
  今朝の報道2001  「介護疲れで無理心中。娘が生活保護申請の4日後」 
報道によれば、認知症の母を娘さんが仕事を辞め介護。  娘さんが生活保護申請をした2日後に市の担当者が訪問したが「緊急性は低い」と保護不要の判断。 2日後に無理心中。  つらい。

  ***  以上引用   終  ***


  辛いと言うだけで終わるなら、傍観者と云う以外ない。 国会ギイン殿!! 
 政治を司る国会議員ならそれで許されるはずも無く、それでは『生活保護の必要性無し』との判断を下した、行政の担当者と同じレベルの責任を負わねばならないのではないか・・・。
生活レベルが、多くの国民の底辺層と余りにもかけ離れ過ぎた故、その底辺の生活レベルが想像の範囲を超えた公務員、これが現状の日本の姿であろう。 国民に寄生するダニ連中。

  この様な、無作為に拠る公務員の不手際を、責任なしとし許して置けば、これから益々悲惨な社会へ、進んで行くであろう、食うや食わずの国民の底辺層、生きる気概も失せてしまう。
そこから生まれたのが、現在の中近東の『テロリスト』。  厚生官僚を刺殺した某コイヅミ、もう市警が執行されたのか、その後がトンとニュースとなって来なかったが、刹那主義的な思想が、世界全体に蔓延することに、懸念を示しておきたい。
人類全体を、一つの生命体として考えた場合、一体、自律神経は働いているのだろうか・・・?



― 天国への道 ―

2015年11月26日 | 日記

  『90%の、明日は我が身』と云う表題で書き始めたのだが、天国の門は狭いと云う教えが、頭をよぎったので『ミートボール顔』の、太ったおじさんは入りにくいという意味で、テーマを変えました。

  税金の督促状が来た。  無理だが、なんとかせねばならない。  
ある意味、民間の借金取り立てに比べると、肉体的とか精神的な追い込みが無い面はまだまだ甘いと思えるが、大阪弁護士市長の商売の様に『法的』な追い込み、例えば『車』或は『住宅』の差し押さえ等の、生活が成り立たないようにする追い込みに対しては、躊躇が無い。

  『まるぼー』或はそれに類する仲間の借金取り立てでは、よく息子や娘を生命保険に入れ、自殺紛いに落とし込み、保険金をせしめると云う方法はよく聞くところである。
又、金額が比較的少ない場合、債務者本人をフィリピン、東南アジア辺りに海外旅行に連れて行き臓器売買させ、そのカネをせしめるやり方か、または娘さん或は若い奥さんの場合違った返済方法に導かれると云うのもありそう。


     引用元:http://satofamily3.blog85.fc2.com/blog-entry-125.html


  貧困のスパイラルに落ち込んだ場合、なかなかその『渦』から抜け出すことは容易ではない。  一時(いっとき)も休むことなく、貧困者は悩み続け、せかされ、そして、四へと赴く。  たまたま今回は立て続けに、記事が続いたので印象的に耳目に触れる事になったが、あなたの身の回りにも、このような人々が、増え続けていることをご存じでしょうか・・・。

  *** 以下引用 asahi.com  ***
   @@ 11月25日付 @@
  ― 80代夫婦の遺体 ―
 24日午後0時40分ごろ、大阪府寝屋川市打上(うちあげ)元町の住宅内で、住人の男性(86)がぐったりしているのを弁当配達員の女性が見つけ、119番通報した。府警によると、男性は階段の手すりで首をつって死亡しており、1階寝室では認知症の妻(82)が亡くなっていた。夫婦は2人暮らしで、寝室から「介護に疲れた。死にます」とメモ ・・・・・・・・・・・


   ――――――――――――――――――

   @@ 11月23日付  @@
  ― 夫婦死亡、殺人容疑などで三女逮捕・・―
 埼玉県熊谷市の利根川で22日午前、人が流されているのを近くの住民が見つけた。男女3人が引き揚げられたが、深谷市稲荷町北、無職藤田慶秀(よしひで)さん(74)と妻ヨキさん(81)が死亡した。  ・・・・・・・・・・・
署の説明では、ヨキさんは認知症のため介護が必要で、慶秀さんが新聞配達で生計を立てていた。生活保護は受給していなかった。    ・・・・・・・・・・・・


   ――――――――――――――――――

  @@  11月23日付 @@     
  ―  死後数カ月経過 兄妹が病死 ―
 東京都江東区辰巳1丁目の都営アパート4階の一室で22日夕、警察官が2人の遺体を見つけた。東京湾岸署は、この部屋の住人で、81歳の男性と71歳の女性の兄妹とみて確認している。
 署によると、遺体は居間で倒れた状態で見つかり、いずれも死後数カ月とみられる。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  ***  以上  3件 引用おしまい(合掌) ***




  折しも欧米では、善か悪か見る人に拠って、或はマスコミの立ち位置に拠って『テロ』と騒がれ続けているが、歴史的に見れば、おおよその革命と云うものは、暴力を伴って行われてきたものであろう。

 一時の人類の痛みや、或は個人の死によって、来るべき世界が貧困者が無くなるような、あるいは、争いや、妬み、嫉みが無くなるのであれば、この筆者でも各爆弾にでも抱き付きたいという気持ちも無い訳ではない。

 貧困者が、今の社会に疑問を感じずに、自分さえ居なくなればなどとはユメユメ考えるべきではないのではないか・・・。

 勿論、建設的な方向に自分を向かわせるだけの、体力、智力、財力の有る人は、それに越した事は無い。  グローバリズム(アメリカ化)とは、トリクルダウン理論に拠って、国民全体に幸福が行き渡るなどと云うのは、10%か1%かの支配層が、取るだけ取った後の国富を、『施してやる』位の実態しか望めないのは、現状を振り返るまでも無く、明らかとなっている。  北アフリカや中近東の『テロ』と云われる暴力を、排除した後の資本や資源の流れを予測すれば、それが如何なる理由で策動されているのか、考えることはそんなに難しくは無い。





白鷹町・文化センターの人形展から

2015年11月20日 | 日記

  駆け足で『秋』が去って行く様な昨今ですが、仕事が早く終わりましたので、かねてから気になっていた、『大滝博子』氏の人形展に行って来ました。 そして、『マッタリ』と幸せな時間を過ごして参りました。
  いつぞやの天童の郷土資料館(?)で行われた人形展、どうしても写真撮影は断られ、とっても残念な気持ちだけが印象に残り、展示されていた人形の印象は殆ど残っておりませんでしたが、白鷹の公民館では快く「他人の迷惑にならぬよう」と云うお断りは有りましたが、カメラを持ち込む事が出来ました。
ー有難う御座いますー  出来ましたら、12月の閉幕までまた行きたいと思っております。
一部ご紹介いたしますが、テーマは筆者が勝手につけたものです。
              ―見た、聞いた、言うた・・―


              ―なかよし兄妹 ―


              ― 明日は我が身 ―


              ―ねえねえ~お母さん ―


              ―幸せな家族 ―


              ―私の仕事は、躯体の神経科・・―
 

              ―後ろ髪を引かれる、思い―


              ―去りゆく秋 ― (以下筆者の持ち球)








  冬が来る前に、お怠り無く準備すれば、冬が遅く成ると言うには言うが・・・、今年は、どうなのでしょうか・・・?  雪が少ないと良いですね!!!

  

政治の原点は・・・陣取り合戦

2015年11月14日 | 日記

  余り、注目されてなかった様だが、今日夕方、17時からサッカーの天皇杯4回戦が佐賀で行われ、そして『モンテ』は、県民の期待もむなしく三対四で、負けた。  
二軍落ちが確実になった今でも、山形市の商店街は、起死回生の逆転ホームランになるのではないかと、サッカーチーム『モンテ』のホームスタジアムを、天童から山形に持って来たいと考えているようである。
  自分たちの、創造力と努力の無さを棚に上げ、赤く綺麗に見える『他人の花』奪い取ったって、決して、山形市の旧県庁通りが活性化されるとは思わないが、もし、そのサッカーチームがボロ負け続きで、県民のお荷物になっているという状況であれば、その様な行動は、大きく県民に支持される場合もあるのだろう・・・。




  その昔、真実かどうか確かめたわけではないが、あの『山寺』は、天童の行政区であったと云うのを、聞いたことが有る。
山形市の所謂『旦那衆』様方としたら、やはり、当時の事であるから≪マーケットリサーチ≫した訳でも無く、そして又、≪山寺観光≫をどの様に発展させるかと云う、将来的な展望も無く、ただがむしゃらに囲い込んだのであろう。
紅葉の綺麗な『遊仙峡』や『紅葉川渓谷』などは、それらは現在、殆ど訪問者の為に手を入れているという感じがしないのは、筆者だけなのだろうか・・。


  国際政治が何時もそうであるように、政治とは『我田引水』『利益誘導』、或は『強者の論理』に引き込まれるのが常である。

  
  寒河江市が、何時の頃から≪さがえのさくらんぼ≫と言い出したのか、筆者は寡聞にして承知をしていないが、いつの間にか、≪佐藤錦≫と云う品種を生み出した、東根市を凌ぐ宣伝をしている様な気さえする。  その事に拠る、特産とする地域の≪印象度の拡散≫など、どこ吹く風である。
サクランボの≪世界種飛ばし大会≫や≪サクランボマラソン≫は勿論、両市で行われているし、道の駅も御本家より早く≪チェリーランド≫と云う、名前を付けている。  日本人に昔から有ったメンタリティーは、寒河江市民でお持ちの方は居られないのか・・・・?  半島人紛いと貶したら、ヘイト記事として嫌われるのだろうか・・・?


  今又、パクリ寒河江の面目躍如と云ったところを、開花させている。
あれもこれも、県内の大物政治家が寒河江方面を地盤として居た事と、分けて考えることは出来ない。  現知事も、さる方面の出身だからと云う事なのだろうが、県会議員が居てもこういう事が平然と決められるのだから、県民や或は県内の、バランスある発展などと云う事は、県会ギインの役割では無いと云って居るかのごとくである。

  *** 以下引用  下記URL より  ***
   http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201511/20151114_51005.html

   ― <雪祭り>なぜ雪の少ない地で?疑問の声 ー
  山形県が13日開いた雪祭り観光イベントの実行委初会合では、構成する自治体首長から開催地の選定や趣旨に対する疑問とともに、事業費の内訳に詳細な説明を求める発言が相次いだ。自治体関係者らによると、イベントは他都市の雪祭りを視察した吉村知事の意向を反映し、内容が固まったという。県は今後の会合などを通し理解を求める。
 「寒河江はハワイのようで雪のまちではない」
 大江町の渡辺兵吾町長は、周辺に比べて雪が少ない寒河江市での開催に、極端な例えで否定的見解を示した。「雪に関わる山形県民の暮らし、歴史が反映していないと祭りの意味や広がりに欠ける」とも指摘、一過性のにぎわいづくりになりかねないと危惧した。
 雪祭りを開催する各自治体中心部の積雪深は昨年2月の観測で、米沢市179センチ、新庄市134センチ。「雪旅篭の灯り」を開く西川町は2メートルを超える。一方、寒河江市は78センチにとどまる。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ***  以上引用   終  ***


  県の組織の中に、観光課に担当者が居るようなので、計画は進んでいるようであるが、あまりにも唐突に≪県は雪運搬・雪像制作費の総額4500万円だけで、内訳を示さなかった。≫と、記事文末に有ったが、筆者でも、地元への利益供与がメインで、計画そのものに大きく矛盾が含まれており、民間事業としては絶対あり得ない事と断言して置きたい。
≪ムリ≫≪ムダ≫は、例え知事殿の発案であっても進めるべきではない。 税金の基本がどういう事であるのか、知事の頭は、県民とはかけ離れている。 お金に困らない人々に囲まれていると、こう云う事に成るという見本であろうか。

大山倍達、力道山・・を吸い込んできた日本文化

2015年11月08日 | 日記

  先日、見るとは無しに見ていた全世界空手道選手権のスポーツニュース、今まで見て来た形だけの空手の勝ち負けでは無くて、実際の手刀や足蹴りを止めること無しの(寸止め無しの)、真剣勝負の映像であった。 兄が生きていた時に、江戸川の河川敷で空手着を着て、トレーニングをしているのは何回か見たことが有ったので、それがすぐ、極真会館系の選手権だという事は、理解できたが見るだけでも、余りにも痛々しく、当人たちは言葉では言えないほど痛かったろう。

  ***  以下引用 日刊スポーツ 11/1付  ***

  <第11回全世界空手道選手権>◇最終日◇1日◇東京体育館

 男子は日本のエース島本雄二(25)が、2大会連続日本人対決となった決勝で入来建武(20)を再延長戦の末、初優勝した。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ***  以上引用  終  ***

            引用元:http://www.shinkyokushinkai.co.jp/11wkcresult/

  
  私の父は、農民の立場を一歩も踏み外した事の無い、古き良き日本国民であったが、プロレスを見るのが無類に、好きであった。  部外者と云うか、その番組構成に入って行けない者にとって、それは毎週同じシナリオにしか見えないのだが、父は、そう思って見た事はただの一度も無かったようである。
その反撃の時間帯に成れば、どれほど痛めつけられていようが、必ず相手の反則技を暴き、最後には勝つのは、力道山が居る日本側であった。
その勧善懲悪のパターンを取り入れた、テレビ局も大したものだが(日本テレビだった?)、その反撃と最終的な勝利を日本側に呼び込むことに、何の違和感も無く迎えられるというテレビ局の飽きさせる事の無い構成も、なかなかのものであった。


  ≪和魂洋才≫と云う言葉、検索すれば明治時代から日本に根付いた、ものとある。
しかし、その前にもキリスト教の認容や、杉田玄白や、からくり人形、或は時計や鉄砲、貨幣制度は見事と云うまでの見真似で、殆ど日本文化の中に、吸い込み取り入れて来た。
それは、日本文化と云う大きな≪渦≫の中に、周りのモノを巻き込みながら成長する、ブラックホールの様相と云うものであったのだろう。 あくまでも、日本文化と云う芯は少しもぶれて居ないように、感んじられるのは筆者のひいき目のせいだけでも無かろうかと思う。

  テーマに挙げた『大山倍達』や『力道山』は、深く詮索するまでも無く、彼らは今で云う所の『在日』である。
私は、『お宝鑑定団』が好きでよく見るのだが、焼き物の殆どは韓国と中国に由来するもので、韓国からは相当な焼き物師、や陶工が日本に渡って来たことも今更云うまでも無い。
そして、仏教や儒教も中国を経由して、三蔵法師と猪八戒の物語と共に、日本に入って来た。
その昔、寒河江の慈恩寺も『インドの高僧』バラモンが開山したと云う事になっているが、サンスクリット言語がどういう形でズーズー弁に翻訳されたのか、謎と言えばナゾであろう。






  そして現代、植民地搾取主義の≪ペリー来航≫以来、欧米に追い立てられるように、日本も日本よりも弱い国からの搾取と属国化に励まざるを得なかった。  今の世界を見渡してみれば、民主主義と資本主義という建前の理屈を掲げる『欧米諸国』に人類のイニシアチブを握られているが、本当のところは、英米の新自由主義と言われる、金持ちは益々金持ちに、貧困者は貧困スパイラルの中に追い込まれ、とても、公平な社会とか、社会の富の分配とかいうところまで行っていない。

  現代の世界の行き詰まりの原因は、紛れも無くこれまでの資本主義や新自由主義が、過ちであったことを示している。  ここ200年位の時代を見れば、ずっと続いている、英米国の寡占資本主義。  彼らは既得権益を失うまいとして、かつての植民地に武器と資本を供給し、英米寄りの政権を維持する、その≪搾取の方程式≫は、微塵も揺らいでいない。
その英米寡頭勢力は、≪まるぼーの組織≫の様に世界の隅々まで目を耳を光らせ、人類のベクトルの方向を自由に決めている。

  ブラックホールにおける日本人の魂の芯が、ぶれる事が無ければ新自由主義と云う実態も、日本社会の中で消化されるのであろうが、消化できない様な隷属化した異物ばかりが跋扈する日本社会に成れば、行く末の日本も危ぶまれる事となる。


秋深し、目御馳走に、心の御馳走

2015年11月01日 | 日記

  日本の株主の、1/3が外資で有ると云う言葉をどこかで聞いた気がする。
実体生産業に、汗して携わる者が報われずに、不労所得者の所に益々、資金が吸い寄せられている。
江戸時代には、その生産量も少なく、海外からの食料品輸入も少なかったので、天候に左右された生産は、その多寡が激しく上下し、飢えて苦しむ庶民も多かったのであろう。

  秋の野山のトレッキングで、下の様な立て札が有った。  事実関係については、調査のしようも思いつかないが、恐らくそれに近い様な事は、何処の田舎の村でも珍しい事では無かったのだろう。


  ー 山中神明宰 -
 当地屋代郷一帯は、宝暦、明和、年間水害旱害、冷害で大不作でした。 それに天明三年の大凶作で餓死者も出るほどの不況でした。
この民苦と窮状を察して、当地代官、山中太郎右衛門が独断で上米蔵を開き施し米として郷土の村民を救いました。

 代官幕府へ上申の為、江戸に旅立つ時 「一切の責任は我に有り、我もし帰らずば、念仏一遍も唱えてほしい」と申された。
山中代官の民情対する至誠は幕府当局を動かして、免租の恩命さえ下りました。
その恩を称して、安久津村、新宿村、竹森村、深沼村の村民が感激を後世に遺すべくの報恩碑です。









  話は、ガラッと変わりますが、ユーチューブの中にも思いもよらぬ、切れ者が居るものだと感心した映像に、出会いました。
ヨーロッパなら、グリムやアンデルセンのような、想像力にある種の輝きを感じる事が出来、またその言わんとするところは、人間の琴線に触れる様にまとめているように感ぜられます。






 
  その、筆力には全く脱帽ですが、取り纏めの所とか、たとえ話に置き換えるとかの、もう一段高い所に登れば、作文家として大きく飛躍するのではないか・・・・?と云う感想です。
この作者の映像を何点か続けて見れば、一定の作文の癖が目に触り、なお一層の精進を期待したいところです。
忙しく、映像を続けることを考えず、擬人的に動物を登場させたりしたら、なお一層入りやすくなるような気がします。