サッカー優勝、韓国名『李忠成選手』の絵に書いたようなボレーシュートで日本が勝った。
本人にしてみれば、どう言う心持ちか知らないが、恐らくWeb版中央日報にかかれてある記事とは、いささか違うのではないだろうかと言う感じがする。 以下引用 。
《 ・・・ 在日同胞で日本サッカー代表チームの李忠成は ・・・・
李忠成は2004年U-19(19才以下)韓国代表チーム候補として国内でテストを受けたがチーム入りはできなかった。 在日韓国人をさげすむ「パンチョッパリ」という悪口まで耳にした。 祖国の冷たい扱いは彼には大きな衝撃だった。 その後日本で実力を認められた李忠成は、オリンピック代表に名前が挙がると、2006年9月に日本への帰化申請をして2007年に日本国籍を取得した。 2008年の北京五輪では日本代表のレギュラーとして出場した。 彼は当時、「大きな舞台でゴールを入れ世界に在日韓国人の可能性をアピールしたい」と話していた。 帰化から4年で夢をかなえたのだ。》
当方の地方新聞が、女子走り幅跳びの池田選手とか、広島カープの栗原選手とか、こと有るごとに取り上げ、山形県の名誉のごとく書き立てるのに似ている。 だが彼ら自身は、山形県山形県と言われれば、「ああそう・・」この程度なのではないか。
人によっては、祖国のためにあるいは生まれ在所のために、頑張っている人がいるのかもしれないが、マスコミが大々的に取り上げるのは、大抵は自分達の営業が第一の目的であり、あとはいかにセンセーショナルにニュースを書き上げるかということに尽きるのであろう。
高校野球などは、地元出身の選手が数名などと云うことは、良くあることである。
政治家として、日本で国会議員になり、日本より母国の事を考えている議員もいるようだが・・・それは例外的で恐らく年月を経れば弾き出される・・? 。
ソニーの新卒採用3割が外国人、パナソニックに至っては採用の8割が外国人という言葉もネットには踊っている。 何処の国の人でも、日本の世情を、自然を、人情を尊重し、この国を良くしようとする人であれば、受け入れられるように国民の気持ちが傾いていくのは止むを得ないことだろう。
日々、世の中は進んでいる訳であるが、小沢一郎氏の強制起訴は避けられないと、大手紙では報じている。
テレビと新聞で殆ど同じ内容が報道されると言うのも違和感が有るが、人の好い国民はその報道の頻度を持って植えつけられたニュースを、信念へ固めさせられるわけである。 現代では問題意識のある人は、ほとんどネットで確認しているようなので、これからは遅まきながら時代は変わって行くのだろう。
既得権益層まるがかりで追い詰められている小沢一郎氏記者会見動画のURLが解った。
小沢一郎氏は、本当に『国民の政治が第一』と思っているのか、本当の所は判らない。 しかし、官僚他既得権益層が総力を挙げて、追い落とそうとしているのは事の経緯を見れば明らかで、彼自身はその瀬戸際にいることになる。 判断材料になれば良いのですが・・・。
1月27日の記者会見動画の URL
― http://www.ustream.tv/recorded/12276430 ―
新燃岳の200年ぶりの大噴火。
歴史を紐解けば、インドのポンペイで人々が逃げる間もなく、3~5mの火山灰に埋もれた。
日本に住んでいる人は多くの人が、そこまでの状況悪化を考えている人は、少ないのだろう。
しかし、火山灰に拠る太陽光の遮蔽で、冷害があるかも知れないと云うことは、考えている人が少なくないのではないだろうか。 食料の値上がりは、アメリカ国際金融筋の投機によるものと言う理解は、現在では間違ってないのかもしれないが、一つ間違えば食料の絶対数が不足する事態は、明日にでも起きると云うことは為政者が心しなければならないのではないか。
二宮尊徳翁は、一人一日三合のコメを食すると考え、飢饉の時は一日一合のコメをおかゆにして命は繋げると教えた。 次年度の為、一人コメ365合即ち55Kg程度は備蓄する必要が有るのではないか。 TPPなんかクソ喰らえと言いたい。 ドルが覇権の座から滑り落ちるのはある日突然ということ・・・。
理念の無い菅総理のこと
『最少不幸社会』、まったく深みのない言葉だ、思いつき以外考えられない。 この言葉に『魂』を吹き込んだ思えないことは、素人目にも明らかだ。
これを聞いて安心する国民がいるのだろうか? それは、最少不幸(自殺するような人々)を、推進することを示唆はしていないのだろうが、少なくても不幸な人は有っても仕方が無いという状況を、言外に認めているという感じがは否めない。
一人(奥様と二人?)言葉の自己満足に浸るだけで、政治の基本の一つがセーフティネットと言う事を、置き忘れた感じだ。 『平成の開国』といい内容が無いだけに、言葉の響きをコイヅミシのワンフレーズポリテクスに重ね合わせ、いっときでも長く政権を担当したいと言う思いが、発せられる言葉の端ハシから漏れ落ちる。
本人にしてみれば、どう言う心持ちか知らないが、恐らくWeb版中央日報にかかれてある記事とは、いささか違うのではないだろうかと言う感じがする。 以下引用 。
《 ・・・ 在日同胞で日本サッカー代表チームの李忠成は ・・・・
李忠成は2004年U-19(19才以下)韓国代表チーム候補として国内でテストを受けたがチーム入りはできなかった。 在日韓国人をさげすむ「パンチョッパリ」という悪口まで耳にした。 祖国の冷たい扱いは彼には大きな衝撃だった。 その後日本で実力を認められた李忠成は、オリンピック代表に名前が挙がると、2006年9月に日本への帰化申請をして2007年に日本国籍を取得した。 2008年の北京五輪では日本代表のレギュラーとして出場した。 彼は当時、「大きな舞台でゴールを入れ世界に在日韓国人の可能性をアピールしたい」と話していた。 帰化から4年で夢をかなえたのだ。》
当方の地方新聞が、女子走り幅跳びの池田選手とか、広島カープの栗原選手とか、こと有るごとに取り上げ、山形県の名誉のごとく書き立てるのに似ている。 だが彼ら自身は、山形県山形県と言われれば、「ああそう・・」この程度なのではないか。
人によっては、祖国のためにあるいは生まれ在所のために、頑張っている人がいるのかもしれないが、マスコミが大々的に取り上げるのは、大抵は自分達の営業が第一の目的であり、あとはいかにセンセーショナルにニュースを書き上げるかということに尽きるのであろう。
高校野球などは、地元出身の選手が数名などと云うことは、良くあることである。
政治家として、日本で国会議員になり、日本より母国の事を考えている議員もいるようだが・・・それは例外的で恐らく年月を経れば弾き出される・・? 。
ソニーの新卒採用3割が外国人、パナソニックに至っては採用の8割が外国人という言葉もネットには踊っている。 何処の国の人でも、日本の世情を、自然を、人情を尊重し、この国を良くしようとする人であれば、受け入れられるように国民の気持ちが傾いていくのは止むを得ないことだろう。
日々、世の中は進んでいる訳であるが、小沢一郎氏の強制起訴は避けられないと、大手紙では報じている。
テレビと新聞で殆ど同じ内容が報道されると言うのも違和感が有るが、人の好い国民はその報道の頻度を持って植えつけられたニュースを、信念へ固めさせられるわけである。 現代では問題意識のある人は、ほとんどネットで確認しているようなので、これからは遅まきながら時代は変わって行くのだろう。
既得権益層まるがかりで追い詰められている小沢一郎氏記者会見動画のURLが解った。
小沢一郎氏は、本当に『国民の政治が第一』と思っているのか、本当の所は判らない。 しかし、官僚他既得権益層が総力を挙げて、追い落とそうとしているのは事の経緯を見れば明らかで、彼自身はその瀬戸際にいることになる。 判断材料になれば良いのですが・・・。
1月27日の記者会見動画の URL
― http://www.ustream.tv/recorded/12276430 ―
新燃岳の200年ぶりの大噴火。
歴史を紐解けば、インドのポンペイで人々が逃げる間もなく、3~5mの火山灰に埋もれた。
日本に住んでいる人は多くの人が、そこまでの状況悪化を考えている人は、少ないのだろう。
しかし、火山灰に拠る太陽光の遮蔽で、冷害があるかも知れないと云うことは、考えている人が少なくないのではないだろうか。 食料の値上がりは、アメリカ国際金融筋の投機によるものと言う理解は、現在では間違ってないのかもしれないが、一つ間違えば食料の絶対数が不足する事態は、明日にでも起きると云うことは為政者が心しなければならないのではないか。
二宮尊徳翁は、一人一日三合のコメを食すると考え、飢饉の時は一日一合のコメをおかゆにして命は繋げると教えた。 次年度の為、一人コメ365合即ち55Kg程度は備蓄する必要が有るのではないか。 TPPなんかクソ喰らえと言いたい。 ドルが覇権の座から滑り落ちるのはある日突然ということ・・・。
理念の無い菅総理のこと
『最少不幸社会』、まったく深みのない言葉だ、思いつき以外考えられない。 この言葉に『魂』を吹き込んだ思えないことは、素人目にも明らかだ。
これを聞いて安心する国民がいるのだろうか? それは、最少不幸(自殺するような人々)を、推進することを示唆はしていないのだろうが、少なくても不幸な人は有っても仕方が無いという状況を、言外に認めているという感じがは否めない。
一人(奥様と二人?)言葉の自己満足に浸るだけで、政治の基本の一つがセーフティネットと言う事を、置き忘れた感じだ。 『平成の開国』といい内容が無いだけに、言葉の響きをコイヅミシのワンフレーズポリテクスに重ね合わせ、いっときでも長く政権を担当したいと言う思いが、発せられる言葉の端ハシから漏れ落ちる。