舞鶴山公園・・・・ 母の遺伝子が、連綿と繋がっているのだろう・・・・。
小さいころから聞かされていた ≪けんくん神社≫ が、実は『建勲(たけいさお)神社』とは知らなかった・・・・!
この先何回、ブログに記事を載せることが出来るのか、別に体調に悪いところは無いのだが、啓蒙の気力が萎えてしまったことは、日に日に自覚するところである。 昨日、私を迎えてくれた、『お嬢さん』・・・・の画像が下記(多分ミソサザイ)・・! この前、神社の庭先で迎えてくれた『子狸』といい、彼らに、叱咤激励される気持ちも無いわけではない。 それにしても、この半月ほど近くに寄っても、身じろぎもしないで目を合わせてくれた『カモシカ』達に、会えないことが何処となく心配である。
ブログ歴も、長いと云えば長いし、短いと云えば短い。 このサイトに来たのが、3サイト目ではあろうか。 其々に、一長一短が有り ”帯に短し、襷に長し” 不平不満をあげつらえば、キリが無い。 もうしばらく、このサイトで書き込みを続けますが、秘密事項もさして無いプライバシーが、バレバレと云うところである。
結果論になるが、20年くらい前に不満を解消する『ブログサイト』を、立ち上げておれば・・・今頃、拙者、ZOZOのおじさんくらいの金持ち(剛力の彼氏?)には、なれたカモカモ・・・・とは後の祭りである。
『走りながら考える云々・・』 前に、何処かに書いた気持ちは有るのだが、何時の頃か、何処に書いたのか、どういうテーマで書いたのか、全く記憶は定かで無い。
しかし、どっかに書いた・・・。
それは、今書こうとしているテーマのプロローグと云う意味があるのだが、なにしろ、何処へ話が進むか判らないので、池に飛び込む気持ちで、Keyを進める事にしよう。
『モノの見方』と云う、過去の民族性を指摘した知っている人だけ知っているジョーク、これを日本人に広めたのは、朝日新聞の笠氏と云うヨーロッパの特派員、1950年頃に広めたという事だそうであるが、筆者、当時の世情は知る由もない。
・イギリス人は歩きながら考える
・フランス人は考えた後で走りだす
・スペイン人は走った後で考える
これに、日本人を入れたら、≪前に居る人の行動を、真似て走り出す≫と云う事になるのでしょうか。
少し前までは、各国がナショナリズムに溢れ、自分達の国は自分で、所謂『独立自尊』の心意気が感じられていた。 労働力の移動も少ない時代には、其々が育った国の独自のメンタリティーを持ち合わせ、異質化された個人と云うものはまだまだ少なく、治安の乱れや、凶悪犯罪等も少なかった。 日本で云う諺『旅の恥は、かき捨て』と云うものが、国際的にどの程度認識されているのか、検証した訳ではないが、少なくても海外からの労働者、旅行者が多くなってきて、不穏な空気が増えたことに間違い無い。
それが、グローバリズムと云われる新自由主義と喧伝され、国際金融資本家達から広められた現代、ヨーロッパにはアフリカから農業奴隷、合衆国にはラテンアメリカから農業奴隷、そして日本にはアジア各国から、経済的奴隷同様の形で、良かれ悪しかれ現代社会を成り立たせてしまった。
思い起こせば、私たちの時代も20歳前後の、農家の次男、三男、或いは女子達は、より良い収入を目指して、田舎から関西、関東地方へと就職先を選んだ。
田舎の人々は、概して都会の人よりウブでシャイ、騙される人は居ても、都会人を騙す程の人は居なかった。
舞鶴山公園と云うのか、愛宕沼公園と云うのか、人間将棋を行う広場の上の方に、天童温泉を一望出来る展望台がある。
『ニホンカモシカ』が、時々その展望台の近くに居る事も有るので、公園を訪れたときは、大体そこまで登る。 ニホンカモシカもそうであるが、展望台から見える『鳥海山』、五回登って一回くらいの頻度でしか拝めない 。
今回も、ニホンカモシカも鳥海山も見えなかった。 曇り空で大した眺めも無いのに、ガイジンのうら若い男女のペアが居た。
以前横浜で暮らしたことのある筆者、言葉や所作で、外国人を大づかみに見る目は有るつもりである。 顔が土気色で朗らかなのは、北京以北の中国人。 台湾人は、どちらかと云えば彼等より幾分血色が良い。 韓国人は、割と話し声で臆するところが無くて、訝しそうに日本人を見る。
アメリカ人やイギリス人、中東の人、比べてみれば、ハスキー犬が何を考えているのか判らないこと同様、中東の人は何処となく不気味である。 それは、言葉をかけにくいという事が有るからなのだろう。
二人とも微笑んでいるように見え表情が穏やかだったので、「大連の方ですか?」と尋ねてみた。
二人が、意味を解していなかったようなので、「タイワンレン?」それでも理解しなかったので、英語で尋ねてみた。 どうやら、旅行者では無くて、日本で働いているらしかった。
ベトナムから来たと云っていた。
なにやら、この辺では古くからの食品会社で、しっかりした会社の名前だったので、「良い会社だから 頑張ってね・・・・体が一番大切だから・・」と云って別れた。
とてもきれいな笑顔を返してくれたので、なんだか変な気持ちになっていた。 例えれば、自分の息子,娘に「ガンバッテ・・」と云った気持に似ていた。
自分が、横浜へ行きに右も左も解らなかったとき、山下公園等では、誰も私に話しかけてきた人は居なかった。 それでも、日雇い労務者とか、ホームレスとかが多く居て、とても不安な気持ちが蘇った。
自分の体験から言えば、精神的なストレスの蓄積によって起きる体の変調、そこから起きる大病、そんな身に会わずに済むことを祈りながら別れた。
ネット情報に拠れば、ベトナムに帰った日本の研修生たちは、殆どが日本を悪く言うと書き込みが有ると読んだことが有る。 彼、彼女の口から、そのような憎しみや、悲しみの言葉が出ないことを願って、公園を後にした。
家に帰れば、早速今晩のごはんの事が心配の種なのだが、OFFシールが真新しい『もつ』がスーパーに有ったので、それを買って帰った。 大好物とは言わないが、『もつの煮込み』は 息子にとって、美味しい方なのだろう・・・比較的喰い付きが良い。
あれれ・・・・野菜満載の『もつ煮の映像』が・・・・アレレーッ。
無い! ⇒ 代理出場で下記とします。 スミマセン。
最後で申し訳ない気もしますが、日本昔話の小母さんが亡くなられたことも私には残念ですが、偉大な哲学者『梅原猛』氏が、亡くなられたことの方が、歴史の転換点の様な気がして、残念でなりません。 ご冥福をお祈りいたします。