昔、村上龍が何かで「誰もが理解されたいと願っているが、理解されてしまうことは望まない」みたいなことを書いてました。パチパチ!
泣いている人に黙って寄り添ったり、「悲しいよね」と受け止めたりすることは大切だけど、「君が悲しむ訳を僕は理解できるよ」とか「それは○○という悲しみだね」いうのは、急に上からな気が。この間のサッカーW杯のパラグアイ戦PKでも、いろんな人がキッカーの心理なんかを分析してました。ファンだったら分析したり理解したりしなくてもいいのに(サポーターだから違うのか^^;)。
それもスポーツ観戦の楽しみ方の一つだと言うのなら、きっとその人はスポーツを細切れにして「物」や「数値」化している。同じように、人生も細切れにして「物」化する流れが止まらない気がします。自分の子どもを劇の主役に無理やりさせる、クラス替えを強要する、卒業アルバムにいちゃもんをつける…。他人からは細切れに見えるその人の一瞬一瞬を、一生懸命につなぐから「人生」になるんだと思うのですが…。
写真~
ムラサキシキブの花。今年は実をいっぱいつけそうで楽しみっ!
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