PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



弘法大師の足跡を辿るツアー、奈良から京都へ移ります。
まずは乙訓寺です。パチパチ!


乙訓寺(おとくにでら・真言宗豊山派)京都府長岡京市今里



推古天皇の勅願を受けた聖徳太子が開いたとされ、京都最古とされる広隆寺(推古十一年[603]創建)と同時期の創建という古刹。弘仁二年[811]にお大師さまが別当となり、ご在住されました。
その翌年には天台宗の開祖である最澄上人がここを訪れ、初めて両雄が相まみえ密教についての法論を交わしたと記録が残ります。
やがて、神護寺での灌頂(既に僧侶として高い地位についていた6歳年上の最澄上人が、お大師さまの弟子になる)、理趣釈経借覧の件へと繋がる一連の交流と断絶のスタートがここだったんですねー。しみじみ。

理趣釈経借覧の件とは、書物を読むことで密教を学ぼうとした最澄上人に対し、お大師さまが「何してんだよ?映画館の暗闇で、そうやって腰かけて待ってたって何にもはじまらないよ。書を捨てよ、町へ出よう!」、、、ではなくて、「あなたは勘違いをしておられる。仏教、とりわけ密教とは机上で学ぶものでは無いよ。」と諫めた、という事件です。しかも、最澄上人が後継者と期待していた愛弟子の泰範(たいはん)が、自分の元を去り、まさかお大師さまの弟子になってしまうという、、、、こうして二人の交流は断絶してしまいます。

断絶といっても、別にケンカしたわけでは無い。それぞれの行くべき道を歩んだだけだと私は思っています。

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