文春オンラインの『家系ラーメン・名門「六角家」はなぜ破産したか』を読んで、あの日のことを思い出したのです。パチパチ!
あの日とは、ン十年前のこと。
友人の結婚式(キリスト教式)に参列しました。
職業柄、キリスト教の所作や牧師さんの言葉に興味があるので、新郎新婦そっちのけで(ごめんなさい)凝視してました。とてもあたたかな雰囲気の牧師さんだったし、何よりもお言葉の合間合間に新郎新婦の名前を呼んだのが素晴らしいと思いました。それまで出たキリスト教式の結婚式では、そういうことが無かったから。
披露宴の席で同じテーブルに座った新婦友人にそのことを話すと、、、
「そうですかあ?私は納得いかなかったですう」
「え、どこらへんがですか?」
「だってえ、神父さんが日本人だったじゃないですかあ」
「、、、、、、。」
神父(司祭)さんと牧師さんの違いはさておき、「そこかいっ!」と心の中で突っ込みました。でも、それが現実なんですね。
そして、今、思うのです。
僧侶は、どこら辺を求められているのかなあ、と。
職人気質な真の求道者だけど、なんだか規格外な僧侶(例:一休さん、良寛さん)。本山から送られてきたマニュアルをなぞるだけなんだけど、見た目がそれっぽい僧侶(例:俳優が役柄で演じる僧侶、駅前にいるニセ托鉢僧)、、、、、
昨今は、派遣僧侶や、イオンの葬儀のように、早い!安い!品質はそこそこ!な僧侶がマスに受けているのでしょうか。
、、、、さすがに、早い安いのインスタント食品のような僧侶が求められているとは、思いたくないですが、既にいろんな面で、我々がペッパー君に負けていることは、謙虚に受け止めないといけないですね(^^;)
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