水場の名前の起源は、室町時代の連歌の宗匠の飯尾宗祇が時の郡上城城主から古今和歌集の秘事を伝授してもらうため、この近くに庵を結んで住みました。その時この水場を愛用していたことから「宗祇水」とされたとのことです。
御堂の中から豊富に湧き出した清水は飲み水となり、次はお米を研いだり果物を冷やしたりします。野菜物を洗うのは次の区画です。食器や桶は最後のさらし場に漬けます。町人たちはしっかりルールを作って水場を守りました。
注連縄で祀られた御堂の中から湧き出す清水を水舟に満たして流す独特の利用形態が守られています。周辺の住人は石畳の小路から集り、この場を生活用水として利用しました。環境省の全国名水百選の一番として指定されました。
重厚な感じの石垣が途切れた所のお店の軒先に赤い球が下がっていました。「難を転ずる」と言われる「南天玉」です。1か月ほどで黒い色に変わるので「赤字が黒字に転ずる」と、この地の商売屋さんに人気があるそうです。
お宮さんの入り口のような「宗祇水」と記された提灯が下がった通りがありました。ごつごつした石畳の路面を難儀して手押し車を押してくるご老人が来ます。狭いながら下り傾斜の小路が川に向かって通っているようです。
宮ケ瀬橋を渡って八幡町本町通に出ました。まっすぐに山に向かって歩けば最初に通った職人町に繋がります。このあたりは電線の地中化はできてはいません。人通りは少ないものの落ち着いたファサードのお店が連なっています。