教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

現代的課題としての国民国家形成の研究

2006年12月08日 20時05分41秒 | Weblog
 昨晩は、早めに眠気がきたので早寝をしたところ、2時間後ぐらいに突然目が覚め、眠れなくなりました。頑張って眠ろうとするものの、3時間ほど変に意識がありました。しかたないのであきらめて、午前3時ごろに起床、登校。
 で、眠りながら考えていたY先生の課題にとりかかる。明治10年代~20年代の教育学者のリストを作ろうという課題(Y先生には、この時期に誰が教育学を担っていたのかはっきりさせなさい、と言われていた)。ちょうどよさそうな基準があったので、その基準に沿って調べようとしたのだけど、思った以上に史料上の制約が厳しく、明るくなるまでやったわりには、ほとんど研究は進まずじまいに終わる。残念。まぁ、地道に史料を探していこう。
 夜が明けて、博士課程前期論文(修士論文)構想発表会の時間が近づいてきたので、その準備にとりかかる。というのも、昨年度まで同じ研究室に所属していて、今でもかわいがっている(つもりの)後輩が発表するのです。発表の前に少しでも理解しておいてやりたかったので、発表会のレジュメと卒論を読み直していました。少し自分のことをしてから、9時半ごろから発表会に顔を出す。質問したいこともあったけど、フロアの先生方が熱心な質問・意見・感想を述べられていたので自粛。ま、またの機会もあるでしょう。その後輩ともう一人の発表を聴くと休憩になったので、そこで席をはずす。他の人、聴いてあげられなくてゴメンね。
   
 運動後、再び登校。今日読む予定の論文をコピーした後、読書。今日は、西川長夫「日本型国民国家の形成」(西川長夫・松宮秀治編『幕末・明治期の国民国家形成と文化変容』序、新曜社、1995年、3~42頁)と、西川長夫「帝国の形成と国民化」(西川長夫・渡辺公三編『世紀転換期の国際秩序と国民文化の形成』序、柏書房、1999年、3~48頁)を読みました。これらの論文を読んだのは、明治期の「学」や「知」をテーマにした論文がある両編著の編集方針が、強烈に示されているからです。これらを読んで、「国民国家」のテーマの大きさ・重要さを痛感しました。旧来の国民統合のための制度(教育もこれ)や社会秩序の崩壊、グローバル化による国家を越える国際交流、国家間戦争・民族紛争の頻発などの問題が深みにはまっていく今、国民国家の歴史研究は重要な現代的課題なのです。実は私は今まで「国民国家って古くさいテーマだなぁ」と思ってあまり興味をもっていなかったのですが(別に世界主義みたいな考え方をしてるわけではないですけどね)、この数ヶ月間、日本史や諸学史の勉強を重ねるにつれて「こりゃこのテーマやるからにゃ無視できないテーマだなぁ」と感じ始め、この両論文を読んで「こりゃこれ抜きでは語っちゃいけんわな」と確信しました。ただ、このテーマを全面に押し出すと、研究が私の問題意識からズレてしまうのが悩みどころ。どう折り合いをつけ、より意味ある研究を進めていくか、注意して研究しないといけない。
 睡眠不足+長い論文だったので途中集中力が何度か切れましたが、読書しながらY先生の課題にちょろちょろと手をつける。完全に中途半端なやり方でお勧めできませんが、中途半端な今日の私にはちょうどよかったみたい(笑)。課題の論文構成もしっかりしてきました。
 結果的になんか充実した一日だったな(笑)。
コメント
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