教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教員に与えられた授業準備・教材研究の時間

2007年06月17日 20時23分03秒 | 教育研究メモ
 私としては何もやましいことは書いていないつもりでしたが、読み手にどのように捉えられるかわからないというのが、不特定多数の読者がいるブログの恐ろしさでもあります。今週に入ってから、今までの倍以上のパソコンからアクセスされているようなので、その危険性は高まっています。学校に迷惑がかかる可能性がないわけではないので、日々の細かい反省は公開しないことにしました。これは、自主的な判断です。

 ともかく、某学校で非常勤を始めて1週間が経ちました。
 授業時間と授業準備の時間が怒濤のように押し寄せ、何だかよくわからないうちに1週間が経ったというのが正直な感想です。机に座って落ち着いてじっくりと授業準備・教材研究をするという時間は、本当にありませんでした。いつも何かに追われているような忙しさの中で、毎日1コマ45分の授業を3コマから4コマ、制限時間ぎりぎりで構成することが可能であった、それ以上のことはできなかった、というのが実情だったと思います。ちなみに、注意して欲しいのは、私は非常勤なので準備するのは教科指導だけで済むのであり、種々の準備に費やすことが出来る時間数は、教員の中ではまだマシな方だということです。
 最近、教員が病気で休業したり、ひどいときには自殺してしまうという事件を、時々聞くようになりました。その原因は、仕事がうまくいかない、ということが重要な原因だと思いますが、その原因の根本には「教員には時間がない」という問題があるのではないでしょうか。教員に限らず他の職業でもそうだと思いますが、ともかく、教員には、想定外の問題解決に費やすことができる時間の余裕がないのです。そして、教育現場では、教科指導、生徒指導、校務等々の諸領域で、想定外の問題がよく起こるのです。
 昨今の教育改革の過程で、一時、教育費の削減が唱えられていましたが、この政策案は言語道断だと思います。教育費の大事な費目は、教員の人件費です。教育費を削減すると、真っ先に削減されるのは教員の人件費でしょう。教員が減っても仕事量は減りませんので、その負担は残った教員に一気に降りかかります。ただでさえ時間に追われている教員は、さらに時間に追われることになるのです。
 教員は常に時間に追われています。昨今問題になっている「学力向上」などは、いくら教科書を改良しても、いくらチェック機構を整えても、いくら政治家や学者が思想・理論を振りかざしても、教員が授業準備・教材研究に費やせる時間をもっと増やさなくては、絶対に実現できないと私は断言します。新しいことをする、創造的なことをする、というのは、相当に準備時間がかかるものだからです。この問題を解決するには、「週案作成」の時間や空き時間(授業のない時間)を、もっと多く設定する必要があると思います。ただし、問題の根幹は、教員の数に対して授業のコマ数が多すぎることにありますので、教員1人あたりのコマ数を減らさなくてはなりません。そのためには、「教員の数を増やし、相対的に教員一人あたりの負担を減らすこと」と、「教員の仕事を整理して、できうる限り他の者に任せたり、効率的に処理できるようにして、教員の仕事の絶対量を減らすこと」が必要だと思います。
 私は、教員を務め始めてからまだ1週間しか経っていません。しかし、その少ない経験からでも、上記について切実に感じています。この話が来た時、実は私はこれほど忙しいとは思っていませんでした。もちろん、説明を受ける際に、いつ授業があり、一日どれくらいのコマがあるのか見ています。しかし、実際にやってみると、予想だにしなかった忙しさが待っていました。しかも、教員の先輩方の様子を見ていると、この先にはもっと忙しい世界があるであろうことが理解できます。この問題は、机上でコマ数を見ているだけでは絶対にわからないと思います。今週の最大の成果は、実際に経験した者しかわからないこの問題を見出せたことでした。
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