教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

自作純邦楽曲その3 「祭りの喧騒」

2010年04月01日 01時35分37秒 | 純邦楽
 混迷の仕事は3月31日で何とか終了。やっと終わった~…と思ったら、もう4月かよ!という気分です。新学年が始まります。授業が始まります。実習が始まります。

 さて、気分転換に自作曲の再公開。動画は1時間足らずで作りました(笑)。早く寝ろって感じですね。
 今回の曲は、「祭りの喧騒」(2003年)です。三絃2本の合奏による曲。こんな曲弾けたらいいな、と思いながら作った曲。当時影響を強烈に受けていた故杵屋正邦氏。表と裏とに畳み掛ける三絃は、正邦氏の名作「呼応」を思わせます。「呼応」は純器楽曲の感をもっていますが、この曲はそれを私なりに情熱的にメロディに乗せてみたというような感じでしょうか。一気に書き上げたと記憶しています。そのためか、最初から最後までスパッとキレよい曲。ただ難点は、演奏は至難なこと。私自身も弾けません(苦笑)。



太鼓が打ち鳴る
みなの興奮は高まり 心は躍る
体は自然と動き 思い思いの熱を込めて

雑多な感はあるけれど
同じ空気をすうもの同士
自然とひとつをかたちづくる

祭りの興奮は 今宵のうちは冷めやまぬ

ちがいをそのまま
まとめてそのまま
ひとつになるとはなんと心地よきことか


(白石崇閃 2003年作曲 1分34秒)
(三絃2)
(未初演)

 自分の中では特A級の難しさです。三絃で、この早さで、この細かな音を弾くのは至難かな、と。こういう負い目があったので、曲の長さをあまり長くはしませんでした。でも、祭りの風景をもう少し広げたいし、詩の世界にも十分に近づけてないので、機会があれば続編書きたいと思います。
 なぜ三絃か。
 三絃に用いられている「皮」は、本質的に熱を込めるが故に、人の熱情を表すのに適していると思います。もちろん太鼓でもいいのですが、太鼓的要素を持ちながら音階をはっきり出す三絃は、人の熱情を表現する楽器として非常に魅力的です。祭りは土地を守る神とその土地に住む人のための行事で、その空気は人の気持ちを高めます。祭りの時は、人の熱のこもった感情を露骨に表す時なのです。これらが、三絃で祭りの熱情を表してみたいという所以です。
 なお、私のいう「祭り」の風景は、あまり動的なものではありません。外側に動きは見えないけれども、心にたまらず動く動きがある、という、まさに「熱情」が主体です。
 (執筆時期不明、2004年ごろ?)
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