教師の最も主要な職務は、教育(被教育者の学習支援)である。
被教育者の学習を支えるための工夫をしようとしない教員は、教師失格である。
教師は、学習を支えるための授業づくり・教材研究(その基礎研究たる学術研究含む)を行わなければならない。
学習支援のために工夫しようとしている教員を支えない学校は、教育機関失格である。
学校は、教師が授業づくり・教材研究(その基礎研究たる学術研究含む)の意欲と時間とを捻出できるよう、組織体制を整えなければならない。
最近、ときどき学校経営関係の雑誌などをペラペラとめくっていると、合理化による会議数の減少によって教員の教育時間の増加をねらう学校改革の事例を見ることがあります。会議合理化による時間創出の取り組みは、企業ではもう少し前から行われているような気がします。企業でも、小中高校でも行われている会議の合理化による時間創出…。さて、大学・短大はどうでしょうね。
教員の仕事の質・能率が高まれば、誰の利益になるか。教員が良い仕事ができるようになって自己充実感を得られる職場環境が実現すると同時に、よい教育を受けることができて学習者の利益になる、というのは当然です。それだけではなく、あそこの学校はよい教育をしていると学校の評判が良くなり、かつ教員に余裕が出てきて地域貢献などの教育・研究・運営以外の仕事に力を振り向けることができて地域の活性化につながります。教員・学習者・学校・地域、すべての利益になるのです。
ずいぶん前から言われ続けていることですが、どの段階の学校現場でも教員が多忙化し、教育に向ける時間をいかに確保するかが大きな問題になっています。教員のエネルギー・時間を、どこに集中させ、仕事の質や能率を高めるか。教員の本当にやるべきことを核にして、合理化していきたいところです。教員は、自らの役割をしっかりと見据えた上で合理化の努力をし、捻出した時間を有効に活用する必要があります。
ただ、運営に関わる会議の合理化については、教員の個人的努力だけではどうにもならないものが多くあります。そこは、運営管理者の腕の見せ所ですね。
※ 私については、いろいろ努力しながら、なんとか捻出はさせてもらえています。
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