教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

京都にて、私の中の教育と作曲の間を見る

2006年11月18日 23時55分55秒 | 純邦楽
 今日は、花園大学邦楽部平成18年度定期演奏会へ行ってきました。昨日説明した通り、私の自作曲「竹々」が初演されるためです。なんと1曲目だったので、リハーサルも1曲目で10時スタートとのこと。どうしても本番前に聴いておきたかったので、東広島駅から始発の新幹線に乗って京都へ向かいました。京都駅からJR花園駅へ、それから徒歩数分で会場の「右京ふれあい文化会館」に到着。自分の曲のリハが終わったら、私がずっと会場にいる必要はなかったのですが、何だか居心地がよくて、結局本番が終わって片付けが終わるまで、一歩も会場を出ませんでした。なぜかというと、同邦楽部員の方々がよく世話をしてくれたのと、熱心に演奏会準備にいそしむ彼らを見ていると、何だかうれしくなってきたので(笑)。
 演奏会そのものは、とてもすばらしいものでした。花園大学邦楽部は、毎年定期演奏会で様々な演出をすることで有名なようですが、今年の全曲初演・曲順構成・舞台演出(背景・照明等)いずれも質が高く、さらに一曲一曲演奏者によってなんらかの仕掛けやネタがあり、見る者をあきさせない演奏会でした。とくに私事では、「竹々」の演出が非常に凝っていたことに、まず驚きました。「竹々」の基本的なテーマは「人間とくに若者の成長」でして、人間を竹に見立て、仲間とともに(仲間がいてこそ)成長することを竹が群生する様子に比喩して描写した曲です。また、冒頭部で、竹林に降り注ぐ日光を描写しようとしました。本番前、演奏準備ができた舞台を見ると、私が考えていた細かい状況設定を反映するかのように、演奏者の位置の後ろに竹林を見立てた舞台装置(細い節のある植物(何という植物だったんだろ?)がたくさん植えられていた)が設置され、その舞台装置に照明が当てられて天上に光と影が写り、あたかも竹林に降る光の輝きと竹の青葉のように見えました。開場前にセットされたそれらを撮ったものが、その写真です(バタバタしていてこのような形で掲載したい旨を伝えそびれました。まずかったらご一報ください)。とにかく、私のようなポッと出のにわか作曲者の作品が、こんなにすばらしい演出をしていただけるとは…一瞬涙が出そうになるくらい感動しましたよ、マジで。
 写真の真ん中に掲示されている書は、大きく「無」と書かれています(演奏会途中から「空」という書も登場しました)。花園大学は禅宗の学林を前身とする禅学研究所まで持っている学校ですので、その学生もまたその素養を持っているのだと考えると、仏教的な意味が含まれているものだと思いますが、詳しくはわかりません(苦笑)。これを書いたのは、なんと部員の一人の山本蒼翠さんとのこと。私も書は少したしなんできたつもりですが、こんな大作(大きさも質も)とても書けません。これにも驚かされました。
 私の曲の本番では、ちょっとしたハプニング(三絃ではよくあること)がありましたが、ハプニングに負けて崩れそうな中で、彼・彼女らが必死に力を振り絞り、最後まで弾ききってくれました。最後に披露された彼ら独自のパフォーマンスも、私の曲をしっかり受け止め、すばらしい「チーム」になっていたことを示す、非常に意味あるものだったと思います。曲のテーマが、一言で言うと「仲間とともに成長する若者たち」でしたから、私の曲が彼らを「チーム」にするほんの少しのきっかけを与えたのだとしたら、演奏の出来云々よりも遙かに意味あるものだったと思います。私以外の初演曲は、とくに鷲見大眞氏の曲「色即是空」は、2本の尺八がまったく違う音色を表現しながら、互いに違う音色を一体のものとして展開しており、作曲者の構成力・精神性ともに感服しました。また、演奏者の2人がしっかりした技術と精神を有していたので、この曲の観客に訴える力がさらに増したように思います。その他も、いずれも個性的で興味をひく曲でした。今日パンフレットを見るまで詳細を知らなかったので勘違いしていたのですが、履歴を見る限り、大学等で専門的な作曲教育を受けた方は一部の方々だけだったようです。それでも、いずれの曲も、曲への想い、音楽が一曲としてまとまる構成力、メロディの魅力など、私の曲など及ばないくらい、とてもすばらしいものでした。非常に楽しませてもらいました。
 学生邦楽の担い手は、大半が邦楽器を始めて数年の学生たちですから、プロやベテランと比べて技術や表現力は劣ります(私も人ごとではない(笑))。ですから、彼らに技術や巧みな表現力を求めるのは筋違いです。私は学生邦楽を聴くとき、彼らのウリはやはり、何事にも熱中し主張する「若さ」だと思っているので、今回もそれを見ていました。その点で、花園大学邦楽部の部員たちは、演奏の中で、時々のパフォーマンスの中で、すばらしいものを見せてくれました。睡眠不足の中、早朝からわざわざ京都まで出て行った甲斐があったというものです。私は今回の演奏会に対し、単なる観客としてではなく、作曲者として関わりました。その立場からしても、私が曲によって求めようとしたものを、演奏者たちが見事に体現してくれたので、満足していないわけがありません。なお、この満足感の源泉が何かを気づかせてくれたのは、私の曲に対して司会の西耕一さんがおっしゃられた一言でした。
 「この曲は、作曲者の教育論を体現したものではないでしょうか」 (※記憶が頼りなので、正確な発言内容は不明)
 そう、私は、「竹々」の演奏によって、演奏者が仲間とともに高く大きく力強く成長することを求めていました。もちろん反省的に見れば、今回曲の基礎になった私の教育論はまだ「論」というほどのものではないし、今回の「竹々」もまた私の教育論を十分体現できたとはいえないと思います。そう思うからこそ今、また曲を作りたい、と思っているのかもしれません。

 打ち上げの一次会にお邪魔した後、21時12分京都発の新幹線に乗り込む。O君、わざわざの見送りありがとうね! 23時半ごろ、東広島駅に着。
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