教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教師に必要なことば

2010年04月22日 19時48分59秒 | 教育研究メモ
 平時には理知的なことば

 特殊な時には心に触れることば

 教師が普段から感情的になっていては、授業はできない。生活指導もできない。教師は導く者であり、学生は導かれる者である。教師は、冷静に、合理的に、客観的に学生を導かなくてはならない。だから、教師は平時には理知的なことばを必要とする。
 しかし、平時にあれだけ必要だった理路整然なことばも、冷静なことばも、無意味になる瞬間がある。その瞬間、問題となる関係は、教師と学生との関係だけではなく、人間と人間との関係である。教師は、教師として以前に、一人の人間として、学生にことばをかけなければならない。師と子との関係は、本来、人間と人間との関係である。教師が本当に、その学生にとっての教師になれるか。心に触れることばを必要とするときは、そのことが問われている。
 人間として発することばは、教師が人間として生きてきた人生のあり方によって、その形を変える。学生の心に触れることばをかけられるかどうかは、教師がどれだけ人間として豊かな人生を生きてきたかにかかっている。そのときかけたことばによって、学生の人生は大きく変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。教師は、人間の人生を変える、ほんとうの教育者(教育する者)なのか。この瞬間、そのことも問われている。
 教師は、学者であり、研究者でなければならない。しかし、それと同時に、豊かな人生の先行者でなければならない。教師は、ただの教員か。それとも師か、教育者か。それらの問いに対する答えは、生きてきた人生の豊かさによって、その形を変える。

 何を言ってるかわかりにくいが、そんなことを思いました。
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