教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

フレーベル「われわれの子どもたちに生きよう」

2012年03月23日 21時11分33秒 | 教育者・保育者のための名言

 「幼稚園の祖」フリードリッヒ・フレーベル(1782~1852)の言葉のなかで、最も有名な言葉に以下のものがあります。


さあ、われわれの子どもたちに生きようではないか!
Kommt,lasst uns unsern Kindern leben!


 子どもたち「と」、または子どもたち「のために」であれば、よくわかる言葉です。
 しかし、ちょっとまってください。訳は、子どもたち「に」、になっています。なぜ、ここを「に」と訳すのか? 子どもたちの中「に」生きるということか? だったらそれはどういう意味だ? とまあ、私はこのところがうまく理解し切れず、ずっと心に引っかかっていました。


 フレーベルの幼児教育論説の訳者である岩崎次男によれば、フレーベルのこの標語は、以下のように解釈されています。


この言葉は、親や教育者たちが子どものために、子どもとともに、子どもの気持にたちかえって、子どもから学びつつ生きること、子どもにかわって子どもの言葉にならない要求を代弁し、子どもを通じて自由な国家の実現を期待しつつ生きることを、呼びかけたものにほかならない。(フレーベル(岩崎次男訳)梅根悟編『幼児教育論』世界教育学名著選、明治図書、1974年、237頁)。


ふむ、なるほど、子どもたちのため「に」、子どもたちととも「に」、の両方の意味を含意させている様子です。さらに、「子どもを通じて自由な国家の実現を期待しつつ生きる」という意味が込められているとのこと。ここのところが、どうも私の疑問を晴らすポイントのようです。


 実は今、教材研究として、フレーベルの古典を読んでいます(翻訳ですが)。フレーベルを読んだことのある方はご存じの通り、フレーベルの文章は、装飾と難解な概念(おそらくフレーベル自身の直感的な把握だけによるものも多い?)がちりばめられていて、読みにくいです。そんな苦労をしつつ、「ドイツ幼稚園にかんする報告および弁明」(1843年)を読みました。その巻末で、以下のように書いてありました。


現代が追求するものは、教育をつうじてのみかちとられうる。幼年時代はもっとも欠乏せるまたもっとも可塑性にとんだ時期である。したがって、われわれが待望しかつ希望するものを、萌芽の段階にある世代が達成しかつみることになってほしいものである。「したがって、来たれよ、そしてわれわれの子どもたちに生きようではないか。」 (同上、126頁)


この文脈からすると、フレーベルは「子どもたちに生きよう」という標語に、次のような意味を込めているように思います。すなわち、我々現代を生きる大人の希望は、子どもたちの教育によってのみ得られる。我々の希望は、教育によって子どもたちに引き継がれ、達成されるしかない。我々は、子どもたちの中で生きて(希望を託して)のみ、自らの希望を達成することができる。そのため、我々に対して、子どもたち「に」生きることが勧められるわけです。(※この引用中の「われわれ」は、誰を指しているのかは明確ではありません)
 子どもたちの人生は子どもたちのものじゃないか、という反論が聞こえてきそうです。ただ、その反論の前に、まずはフレーベルの立ち位置を理解することをお勧めします。フレーベルのいう「現代が追求するもの」「待望・希望するもの」という概念は、もちろん19世紀半ばドイツで形成された概念であり、歴史的な特殊の意味をもつものです。大ざっぱに理解したところでは、フレーベルは子ども個人の発達を論じていますが、究極的に目指すところは、普遍・根源への到達・一体化や、人類・ドイツ社会・家庭などの改革にあるようです。また、幼児教育・保育は子ども個人の発達だけのためではなく、保育者が自分自身を理解するためでもある、という論旨も見かけました(「遊び」、1838年)。そういった論旨からすると、子どもの教育は子どものためではあるが、大人・市民・国民のためにもなるのだ、という理解もありうるのかなと思います。
 上の引用文は、ブランケンブルク市長とミッデンドルフ、バーロップ(フレーベルの協働者)との連名で書かれた文書であり、1840年に呼びかけた幼稚園設立運動に対する支持と無理解との間で書かれたものです。この運動への支持者は、予定ではすぐ1,000人に達する予定であったのですが、この文章が書かれた1843年6月時点で155人でした。また、1842年には、内務省に対して行った幼稚園設立のための株式申請が、「ドイツ幼稚園への需要がない」という理由で却下されています。この文章は、「幼稚園は必要なものだ」ということを、国家社会や保護者へ切実に訴えるための文章であったと思われます。そういう執筆背景からも、上のような解釈は重要ではないかと思います。


 以上のように理解すると、岩崎氏の後半の解釈も納得できます。「われわれの子どもたちに生きよう」という標語は、この1843年の文章が初出ではないようですし、他の文章でも見かけました。ただ、上の引用部分に出会って、ようやく「に」の意味が理解できたような気がしました。
 フレーベルの「子どもたちに生きよう」という呼びかけの意味は、「子どもたちと」だけではなく、「子どもたちのために」だけでもないんですね。そして、「私の子どもたち」ではなく、「われわれの子どもたち」であることに意味があるようですね。


 それにしても、有名な標語なだけに、誤解していたり、私のような疑問を持つ人もいるんじゃないでしょうか。もっとわかりやすい訳はないのでしょうかねぇ。そもそもドイツ語が読めれば、どういう意味の「に」なのか、すぐにわかるのでしょうか。本ブログはドイツ語で研究している学者さんも読者にいるようですが、皆さんはどう考えますか?



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