教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

学会・研究会での質問は、異論と批判のどちらがよいか

2007年05月12日 22時09分03秒 | 教育研究メモ
 本日、論理トレ終了。案外最後はあっさりした内容でした。
 これまで、野矢茂樹『新版論理トレーニング』(産業図書、2006年)を使って、論理トレーニングをやってきました。その中で、一番「ためになった」内容は、「異論と批判の違い」の説明でした。論は、主張(結論、いいたいこと)と論証(いいたいことを言うための根拠と論理展開(導出))で成り立っています。「異論」は、ある主張に対して異なる主張を提示するもので、異なる主張を提示するための論証も伴います。他方、「批判」は、提示されている主張をそのままに引き受けた上で(実際納得しているかどうかは別)、その主張に至る論証を問う行為です。例えば、批判的な質問とは、「この根拠は何を情報源にしているか」とか、「この概念はどういう意味で使っているのか」とか、「この根拠と結論は飛躍しているのではないか」とか、「この結論での評価は次のような異なる評価ができるのではないか」とかいったものだそうです。
 時間的な制限の強い学会や研究会での質疑応答を想定すると、そこで提出する質問は異論と批判のどちらが効果的でしょうか。異論であれば、質問される側の主張とまったく別のことを言うので、互いに理解できないままに議論が終わってしまいがちです。また、主張そのものには必ずしも普遍的な解答はないので、互いに異なる主張をしあえば、議論が空転してしまいます。他方、批判であれば、同じ結論・主張を言うために最善の論証を求めるので、質問される側にとっては持論の再確認・改良につながります。また、質問する側にとっては発表された内容のさらなる理解につながります。学会や研究会の目的は、相手をやりこめることでは決してなく、学問研究を前進させることです。学会や研究会での質問は、異論ではなく批判こそふさわしいと言えるでしょう。
 あらためてそういう場での自分の質問を思い返してみると、けっこう、異論になっていた場面が多いように思います。そもそも、質問の仕方がわからなかったので、批判も異論もぐちゃぐちゃに区別がついていなかったというのが本当のところでしょう。たしかに、異論があるなら別の機会に自分で発表するべきであり、他人の発表の質疑応答時間を使って主張するのは間違っているようにも思います。異論を出さざるを得ない場面もあるかと思いますが、普遍的な解答のない学問研究においては、あえて相手の主張を受け止めて考えてみることが大事なのです。
 今後は、批判としての質問をしようと思う私でした。

 夜、バイト終了後、研究室へ戻って履歴書を仕上げる。
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