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うたのイラスト(「東京ブルース」)

この歌は、奇妙な形で私の頭に蘇った曲である。

西田佐知子の歌った有名なヒット曲である。もちろん知っていた。というより、忘却の彼方からふと浮かび上がって頭に焼き付いたのである。しかも私の父が危篤になった、と知らせを受けたその朝に、である。

連絡を受けた私は急いで早朝の電車に乗り、実家のある町の病院へ向かった。とはいっても、電車がいつもより速く走ってくれるわけではない。

(親父が死んでしまう。親父が死んでしまう。)

電車の床を見つめながら、心の中でそう繰り返す。しかしその思いとは全く関係なく、ふと「東京ブルース」は頭の中で鳴り始めた。内容は父親とは全く関係ない。なぜなのだろうと思いながら、しかしその歌は私の心を揺さぶり続けたのである。人間とはなんと不思議なものか。死に瀕した父と、古い昭和の歌。一体何がつながっていたのだろうか。

病院へ着いて、もう穏やかになっていた父の死に顔を見てもなお、その歌は鳴り続けた。もはやこの歌は私にとって、懐かしい昭和歌謡ではなく、父の魂を送った時の歌に変わってしまった。

きっとあの時、父と共に、私が過ごした昭和の日々の一部が死んだのだ。私の一部でもあった大切な何かが、ゆっくりと、でもはっきりと死んでいったのである。その象徴として、私の心があの曲を選んだのだろう。これは作詞・作曲者や歌唱者には何の関係も責任もない、私個人の魂の問題なのである。人は死んだときに死ぬのではなく、時と共に人々の心からその記憶が薄れて行ったときに初めて死ぬのである。時代もまた、そこに生きた人々が一人去り二人去り、誰も思い出してくれる人がいなくなった時、真の意味で死ぬのである。それまでは緩慢に、少しずつその時代の一部が、人々の心の中で死んでゆくのだろう。

この曲を聴くと、どうしてもあの朝の心情を思い出す。そしてとどめようもない時間の移り変わりを思わずにいられないのである。

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