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無観客は果たしてマイナスか?

オリンピックはほぼ無観客と決まった。
盛り上がらないオリンピックだとか史上最低だとか、
こんなオリンピックで勝ってうれしいのか、だとか、
議論が喧(かまびす)しい。
でも私はむしろ「無観客のオリンピック」をこそ見たいと思っている。
常日頃、最近のオリンピック放送が、やれ金メダルが何個だとか、
メダリストの家族だの友人だのまで巻き込んだ感動ストーリーを作り上げるのに辟易していたからである。
私は競技が見たいのだ。
競技者が孤独の中で自らを研ぎ澄まし、最高のレベルで競い合う
(団体競技でも一人一人の選手は孤独な競技者である)。
その果てに、競技の結果を越えて、同じ人間として認め合い尊敬し合う。
平和も何も、「国や言葉や人種は違ってもお互い同じ人間だ」という意識が心の底から育たなければ生まれないだろう。
それが生まれる数少ない場がオリンピックなのだと思う。
そして観客というのは、選手の発奮材料になるかもしれないが、同時にナショナリズムを煽る興奮をもたらしかねない存在である。
いてもよいが、いなくてもよいものだと思う(プロは商売だから話は別だが)。
私の好きな陸上競技など、むかしは閑古鳥が鳴く状態が当たり前で、
今のように拍手を要求する選手など皆無だった(あれは三段跳びのウイリー・バンクスあたりが始めた行為ではなかったか)。
選手は観客がいようがいまいが、全力で競技するだろう。成功すれば、勝てば喜びの声を上げ、負ければ失望の表情を浮かべるだろう。
無観客の舞台でどのようなドラマが繰り広げられるか。
むしろオリンピックの本質が現れるのではないか。
そしてテレビ局の実力が試されるオリンピックでもあるだろう。
コロナ禍での開催に議論があるのは理解する。
しかしやるとなった以上、意義あるものにしてほしい。
テレビでそれを見届けたいと思っている。
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