いのちのつながりと温もり

2005年10月03日 | メンタル・ヘルス

今日はちょっと+αのほうの話です。

 2泊3日で、やや離れたところに住んでいる娘夫婦の家に孫娘に会いに行きました。

 高速のバス停まで迎えにきたときは、久しぶりだったせいか、恥ずかしそうにしてすぐにはきませんでしたが、ほんのすこしで慣れてきて、抱っこされるようになりました。

 1歳3ヶ月とは思えないほどよく動き回る、可愛いいたずらっ子で、前回まではすぐに下りたがってじっと抱っこされていなかったのが、今回はすこし抱っこの味も覚えたらしく、かなりの間、おとなしく抱っこされていました。

 もう、時々「ジージ」といってくれます。「バーバ」のほうは、「パパ」とまぜこぜになるらしく、あまりはっきりいってくれないので、かみさんはちょっと残念そうです。

 私は、「歳を取ることは自然なこと」と考えているので、孫が生まれて、まわりからも「ジージ」と呼ばれるようになっても全然抵抗がありません。

 それどころか、孫娘に「ジージ」と呼ばれるのは、とてもうれしいものです。

 孫娘はもう、不思議なくらい私たちがジージとバーバであることがわかっていて、今回は、坐っていると近寄ってきて、くるりと後ろ向きになって当たり前のような顔をして膝に座わるようになりました。

 まだ自分でいえる言葉はすこしですが、こちらのいうことはとてもよくわかり、「○○(愛称)、こっちへおいで」と呼ぶと、遠くから走ってきて飛びついたりします。

 こういうふうにして育っていく感覚がエリクソンのいう「基本的信頼感(basic trust)」ということなんだな、と改めて思いました。

 抱き上げると、しばらくは抱っこしているのですが、すぐに走り回りたくなるのでまた下ろし、また来ると抱き上げ……の繰り返しで、すっかり腰に来ます。

 土曜日、出がけに、ブログの記事を書いてから出発しようとしたら、一刻も早く孫の顔を見たいかみさんから「向こうに行ってから、パソコンを借りて書けばいいじゃない」と急かされ、「それでもいいな」と午前中から出かけました。

 向こうについてから夜までずっと、エネルギッシュな孫娘についてまわってへとへとになっていましたが、彼女が寝付いてから、それでも頑張って娘のパソコンを借りて記事を書きました。

 しかし、日曜日も1日しっかり付き合ったら、夜になると、「今夜はいいか」という気分になって、お休みしてしまったというわけです。

 3日目、月曜日、朝起きると、意外に元気で、かみさんと二人、目が覚めて機嫌よく起きてきた孫娘とお昼前までずっと遊んでいました。

 帰りの高速バスの中でかみさんと、「毎日一緒にいたら、けっこう体が慣れてきて、平気になるかもしれないね。そのほうが、嫌でも運動するし、いつも危なくないように気を張っているから、ボケないかもしれないし、いいかもしれないね」と話したことでした。

 娘の彼が転勤族なので、3世代同居が実現することはなさそうですが……。

 物書きや大学教師のはしくれであることなどほとんど忘れてしまって、ただのジージになって、私たちから娘へ、そして孫娘へと、確かにつながっているいのちの温もりをゆっくり楽しませてもらえた3日間でした。

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コメント (4)
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